2011年12月31日土曜日

「新年を迎えて」

Blog-(26)
1-1-2012
「新年を迎えて・・・」
 皆様、新年おめでとうございます。今年が祖国、日本にとって「より良い一年間」になりますように、心から願っております。
 さて、昨年は実に悲しい一年間でした。天災津波に人災原発、無能な総理と閣僚、経済界の無責任、円高不況、それにも増して民主党の瓦解状態と野党の無気力、民主党の選挙公約詐欺、等々、何一つ心に響く「朗報」が聴けなかったのに、「忍耐強い日本国民」は不満の声ひとつ上げなかった。地球全体を覆う「異常気象」、日本全体を覆う「異常政局」、シドニーから眺める「祖国の姿」に何か重大な異変が生じつつあるのではないかと心配し続け、窮極にある日本を救う方法を考え続けた一年でもありました。
 平成24年の年頭にあたり、政治に関する明るい「希望」から述べます。
 一つ目は、「大阪維新の会」の活躍です。現在日本の政党政治は全く機能せず、すでに末期的症状を呈していて、日本の政治を崩壊状態にしています。これは、民主党だけの責任ではなく戦後の「政党政治」の失敗の累積から来ています。その中で、70%近くも占めている二世、三世議員たちの無能さに加えて、彼らと特定利益グループの後援候補しか当選できない選挙制度に欠陥があります。そんな「政治的逼塞状態」の中で、先日の「都構想」を掲げて勝利した「大阪ダブル選挙」は、まさに幕末の志士活動に匹敵する「歴史的価値」があったと思います。橋下新市長の決断力と行動力は、幕末の坂本竜馬を彷彿させるものがあり、それに刺激された名古屋の河村市長、大村県知事たちの「追従構想」も含めて、日本の地方自治体制へ大変革をもたらすのみならず、必ず「中央政府のあり方」にも波及する可能性を持っております。日本への「道州制」導入は、行政組織の大改革のみならず、国家経営の根本にも大きな変革をもたらす潜在性を秘めています。その上、国の天文学的な借金を減少させ、垂れ流し状態の「赤字財政」を是正する「唯一の可能性」も兼ね備えています。各級レベルの議会、行政組織の統合、合理化と大幅な人員と経費削減、独立行政法人の見直し、等々、現体制では不可能な改革を、この「維新の会」は「国民の支持」のもとに遂行できる可能性があるからです。日本国民は、おとなし過ぎて自主性皆無の付和雷同型、珍しくて新鮮に見える物にすぐ飛びつきます。民主党の時も同様でした。国民は、次回の国政選挙で間違いなく「維新の会公認候補」に投票しますので、「政権奪取」も可能です。あとは、「維新の会」の政策実行能力の問題が残りますが、平成の「竜馬」が新機軸を打ち出して、強力な「舵取り」をすれば、官僚たちは優秀ですから何事でも実現可能です。どちらにしても「駄目もと」で、現今続いている無能内閣よりはマシなはずで、失敗しても「現状より悪く」はならないからです。そんな理由で「維新の会」の国政奪取に絶大なる望みを託しています。
 二つ目は、「長老連合」の旗揚げです。「亀の甲より年の劫」、亀井先生の旗振りに同調する政界長老が「揃い踏み」を試みています。これも「政界再編成」の一つの方法です。現体制では、与党も野党も共に政権担当能力も実力も無いから、長い経験を持つ彼ら「長老」の行動が「何かを変える」基点にはなるはずです。ただし、「石原都知事主導」が原則になります。「長老連合」全員がいくら頑張っても、体力的にせいぜい四年間くらいしか持たないはずですから、その間に「次期政権候補」を育てて「本物の育成」を待つのも選択肢の一つです。
 三つ目は、「首相公選」を掲げた国民運動を興すことです。旗振りは「維新の会」でも可能です。「アラブの春」ではありませんが「ツィッター」、「フェイスブック」等、若者を動かせる「インターネット」をフル活用して「新しい風」を吹き起こす事です。安保闘争、大学紛争、秋葉原族のように、何か「わけが分からなくても」若者が熱狂出来る「目標」を掲げて「一大運動」を引き起こせばよいのです。そのテーマが「首相公選」です。すべての若者は選挙権を持っています。彼らを惹きつける「首相公選制度実現」を主題に掲げて、付属的に老人受けをする「政治と政策」を提示すれば、現在各党にに分散している平均投票率50%の一部と「浮動票」のすべてが掻っ攫えて、「政権与党」になれます。「維新の会」が乗らなければ、誰か「旗振り候補」になりませんか? 「やる気」と「潔癖さ」を兼備した候補者ならば、アイデアはいくらでも提供します。
 さて次は、あまり新年の話題には相応しくない予測です。
 「野田政権」は、どちらにしても長く無いでしょう。彼の責任という事ではなくて、民主党自体が、すでに「崩壊」し始めているからです。2009年9月に政権を取ってから2年4ヶ月、彼らの選挙公約は何一つ実現していません。その上、鳩山、菅、野田と三人もの首相と幾人もの閣僚が、世論調査で「不適任」の烙印を押されています。鳩菅両人は自分の党員から引導を渡されました。その他ご存知の閣僚たちも退任寸前状態になっています。民主党には、この程度の人材しか居ないのですから、まして立派な総理大臣候補なぞ、望む方が無理なのです。現在の分裂状態の民主党が、一旦「解散総選挙」に持ち込めば、「民主党の惨敗」は必至ですから、「政権を保持」したまま代表の首を挿げ替えて、新代表で「政権維持」を図るはずですから、衆議院選挙は来年九月まではないと見ています。しかし、党内選挙で「だれが新代表候補になりますか?」、先回の「代表選挙」以上に「小物」選びの「茶番劇」にしかならないはずです。小沢一郎? 彼は多分「有罪」になると思いますし、もし党内で彼の再登場を許したら、国民は「民主党」を完全に見限り、この政党は消滅します。その間、内政、外政ともに「日本の劣化」は益々進行して、「国際的信用」を完全に失い、取り返しのつかない局面にまで突き進む可能性があります。
 神聖であるはずの「選挙公約」のすべてが「実現不可能」と判った今、民主党を信用している国民は一人もいないと思います。その上で、公約の議員定数、議員歳費、公務員総人件費の削減もせずに、国民に払わせる「消費税」増率を持ち出している現状を有権者は決して許すはずがありません。だからと云って、民主党に代わって「国政を担って欲しい」既存政党が一つも無いのが「現代日本の悲劇」です。
 汚職有罪判決で刑務所の「臭い飯」を喰っていた宗男先生が「仮釈放」でシャバに出てきた途端、何ら反省する様子もなく、「公民権停止中」にも拘わらず、しゃあしゃあと新党結成の旗揚げをしています。国税からの「政党助成金目当て」は明らかです。総額は一億円強、五人で分けても一人二千万円、無職の彼には「助成金様さま」で、新党を立ち上げたはずです。この程度の「倫理観」しか持ち合わせていない人物を選び続けた北海道の選挙民は、今、何を考えているのでしょうか?  一郎先生の公判が今月10日から再開されます。国民のすべてと検察が「有罪」と考えているのに、ご本人は「党員資格停止」中にも拘わらず106人もの民主党議員を傘下に納めて「党内党」作りで政治を壟断しようとしています。民主党は彼が参画して作った政党です。彼は、09年の衆議院選挙で政権奪取をした時の「選挙公約」策定にも参画しているはずです。その公約のすべてが「反故」にされ、国民は民主党の公約詐欺に引っかかったのも同然です。そんな立場の彼が、公判中にも拘わらず「党代表」の首の挿げ替えを画策しているのです。こんな民主党ですから「沈没する船からネズミが逃げ出すように」離党する党員が増えていますし、まだまだ増えるでしよう。野党に取っては「またとないチャンス」のはずですが、誠に残念ながら、このチャンスを生かせる「野党」も「人材」もいません。これは、現代日本の悲劇だとは思いませんか? 小筆が、未熟の「維新の会」や熟れすぎの「長老連合」に期待を寄せざるを得ない理由です。
 現在の国会は、「魑魅魍魎の世界」と何ら変わるところがありません。与野党共に、自分たちが「国民を騙している」という感覚がまるでないから、都合の悪いことには頬かむりをして、自分勝手なことだけを平気で実行しているのです。民主党の「選挙公約」違反は、重罪相当の詐欺と同じことです。彼らは、それさえ理解していないのです。「腐敗永田町」の実情がご理解戴けたと思います。
 「お目出度い元旦」早々、皆様の心を乱した事をお詫びします。このブログを始めて二年間、26回目の上梓ですが、やはり気になるのは「日本の将来」、その中でも特に「政治環境の悪化」を憂いています。「希望も夢も無い」今日、唯一見つけた光明、それが「維新の会」です。現代の日本では、彼らに頼る以外、何も希望がない・・・。悲しい現実ですが、この「希望の星」に夢を託せることを祈りつつ「お屠蘇」代わりの「白ワイン」で新年を祝います。日本にも皆様にも、佳き一年になりますように・・・。
この「ブログ」シリーズは、http://goushutaro.blogspot.com/ かyahooの「豪州太朗のシドニー通信」で通覧戴けます。 ご意見、質問、ご希望等は、kentokura@hotmail.com 豪洲太朗宛お寄せ下さい。

2011年12月12日月曜日

Blog-(25)「12月8日に思う」

 日米開戦は小筆が二才の末、当然記憶にはないが、以後北朝鮮に疎開して終戦を迎えるまでの緊張感と帰国後の貧困生活、進駐軍の権威、等々は幼心にも鮮明な記憶として残っている。そして今、開戦後70年を迎えて考えることは「何故日本は無謀な対米戦に踏み切ったのか?」と云う疑問である。この難題に挑戦することで現代日本が直面している「国難回避」への答えが編み出せないかと思い下記を羅列、友人知己の皆さんと一緒に考えを進めてみたいと思っている。
その前に、明治維新以後の日本の歩みを見る。徳川幕府崩壊後、明治新政府の最大の課題は、西欧列強の圧迫を回避するため国政の近代化と富国強兵であった。そのために手がけたのが、近代的国軍を創設し、天皇を中心とする立憲制度を確立した。欧米諸国や清国、朝鮮王朝から見ても、当時の日本は単なる「島国王国」くらいにしか見られていなかった。その新興国「日本」がいつの間にか実力を蓄え、威勢を伸ばして欧米や近隣諸国へ「対等な口」を利く様になったので、近隣諸国、特に清国と朝鮮は「生意気な日本」と思い始めたのであろう。そんな国際環境の中で「明治日本」の軍備は充実され、民族伝来の「武士道」で鍛えられた「将校団」によって、農工商階級から徴募された「召集兵」が近代戦可能な軍団へと練兵された。当然、国民の4%弱しかいなかった「士族階級」からの将校要員は絶対数として不足していたから、全国から士族以外の頭脳明晰な子弟も選別して「陸海軍士官学校」で教育をした。彼らは、江戸時代までは最下層の庶民階級であったが、帝国陸海軍の将校になったことで、「官員様」と尊称れた政府機関のエリート官僚と同様に扱われる「特権階級」になり上がり、「選良意識」を持ち始めた。その過程として彼らは、台湾遠征、朝鮮出兵、日清、日露戦争、北清事変、シベリア出兵、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争と勝ち進み、結果として帝国日本陸海軍、最後の大戦争となった「太平洋戦争」での敗戦に続く皇軍史と共に生きた。
私観ながら、北清事変までは「国家の命運」を賭した「必死の戦い」であり、中堅将校層までは維新以前に「武士道」をもって教育された年代であった。しかしシベリア出兵あたりから、維新後の士族、庶民階級出身の将校が軍指導部を占めるようになり、連戦連勝の気概から「武人の本分」を忘れて、自分たちの選良意識を驕る風潮が出始めた。彼らは、政治理念から離反して、軍部独自の「軍略」と軍人の「栄誉欲」が混じった「個人感情」をベースに、軍人には硬く禁じられていた「政治関与」を始めた。もちろんその背景には、大正期の優柔不断な内閣、何事も決められない国会、個人利益の追求しか頭にない産業界への不満もあったと思う。そんな彼ら軍事官僚が、第一次大戦を好機に、「軍略」を政治に優先させて国を動かす「伝家の宝刀」として使ったのが、天皇陛下のみに許されていた「統師権」であった。この天皇の大権発動には、政府も国会も国民も反対できないことを知った彼らは、以後、「統師権」を盾にして勝手に軍を運用し始めた。それが満州事変であり、支那事変と呼ばれた日中戦争であった。政府はすでに、戦局の「蚊帳の外」に置かれて、陸軍中枢のエリートが勝手に国家予算を使って兵を進めた。アジアの資源と市場の争奪を賭した対米戦争もしかり、そこには日本政府の「関与」も天皇の意思も、国民の存在も、全く反映できない「軍閥政治体制」を確立してしまった。そして引き起こしたのが対米戦で、陸海軍の大元帥であった天皇専権の統師権は、陛下の聖慮の届かないところで「壟断」されて、少壮軍部官僚の意思だけであの大戦争に突入した。
 しかし、華々しかった緒戦の勢いは、圧倒的な米軍の反抗に効しきれず、次々と敗北を重ねていった結末が広島、長崎への原爆投下であった。それでも軍部政権は「終戦工作」に踏み切れず、無為な人的、物的損傷を重ねていった。現実はすでに壊滅的状況にあったが、戦争を始めた軍部も、戦時内閣もマスコミも、国民の誰一のとして「停戦交渉開始」を口に出すだけの勇気がある日本人がいなかった。しかし昭和天皇だけは、末期的戦況を見極められ、国内に充満している嫌戦気分を明察されて、自らの英断をもって終戦の「詔勅」を発せられ、日本の壊滅を阻止された。未曾有の大戦争の結果は、将兵、民間人併せて320余万人の死者と全国の焦土化、そして人心の荒廃、と云う結末をもって、近代日本を蹂躙した「軍閥」が終焉した。
 終戦直後、最後の陸軍大臣であった下村定大将は国会で、陸軍解体にあたり一言述べます、と前置きした上で、「一部の陸軍軍人が独善的で横暴な措置」と「不当なる政治干渉」を採った結果、「このような悲痛な状況を国家にもたらした過去の罪科」を詫びて謝罪すると同時に、「幾多純忠なる軍人の功績」は消されるべきでなく、「無数の戦没英霊」に対しては深い同情を賜りたい・・・、と懇請した。
 軍閥勃興の間、華々しい戦果とそれを持ち上げたマスコミ報道に、国民は自我を忘れて感激、興奮して皇軍賞賛に夢中になった。そして国民もマスコミも、軍部の横暴に眼をつむり、正論を述べる国民を国賊扱いにした。軍部エリートは、自分たちの思考の是非や国際社会への影響を考慮することなく「野望達成」に血道を上げた。その間、非エリート将校や召集兵、国民の生命は「自分たちの勲章」のために無為に犠牲にされ、無益な戦場に投入され、継戦目的のためのみに殺戮され続けた。「天皇のため」、「帝国日本のため」、「聖戦完遂」と自分たちの都合の良い標語を勝手に連ねて自国民を殺戮していった軍部選良たちは、母国の敗戦後も生き残り、「畳の上」で死んでいった。小筆は過去、数人の「陸大卒」に会う機会があった。いずれの方も頭脳明晰なのは流石であったが、「人間性」はとても尊敬し、心服できる人たちではなかった。「この程度の人物が軍隊を動かしていたのか・・・」と落胆し「負けて当然であった・・・」とも思った。  
 「日本の政治」を武力をもって「簒奪した」軍部は、日本の敗戦で消滅したが、以後日本国民は「文民統治」の美名の下に、戦力保持を否定した幻想的な「平和憲法」に呪縛されて国家を守る自衛隊を卑下し続けてきた。「民主政治」の象徴としての「政党政治」の下、国会の横暴を許し、無能な二世、三世議員、利益代表グループ選出の議員たちの勝手な行動も許し続けている。短期間でころころと変る首相と閣僚たちに愛想をつかしたのか、各省庁の高級官僚たちは、誰一人として政府方針にも主務大臣の指示に従わない。面従腹背、勝手に省益と保身に専念し、国益と民益を見失い、「善政」どころか因習固執に憑かれて勝手気ままに旧習踏査に憂き身を費やしている姿は、戦前の軍閥官僚と何ら変わりが無い。
 現在の日本は、危機的な状態にある。第一は、膨大な「財政赤字」である。第二は、台頭する「中国の軍事的脅威」であり、第三は「国民の気概亡失」である。これらに比べれば「日本経済の低迷」などは解決可能な簡単な問題である。赤字財政の増進は、日本存亡に係わる重大課題であるのに、歴代政権は赤字幅低減に無関心で「借金」を重ね続けている。現、野田政権ですら「赤字容認」の上、行政経費の削減無しに復興財源確保のために「増税」を決行しようとしている。「国民に負担を強いること」への反省も罪の意識もまるで無い。中国の軍事的脅威は、すでにカウントダウンの状況にある。中国の経済的破綻は時間の問題であり、国内事情の緊迫により、自国民の目を「外国からの危機感」に向けて逸らすのは歴史の常識であり、軍部がそれに着手した時、中国政府は「軍部の暴発」を食い止められるか? という重大問題を抱えている。恐らく中国軍部は、「尖閣諸島」あたりを占領して「内圧」を逸らせる可能性がある。その時、日米安保が機能するかどうか? 機能しない場合は、どうして日本は「国家主権」を守るのか?
 現代の「日本国民」は贅沢に慣れすぎて、自ら困難に立ち向かう「気概」に欠けている。戦後教育の欠陥が今頃になって表面化してきている。北方四島、竹島の不法占拠と中国の尖閣諸島への異常な関心事は現実問題である。しかし、日本国内にはこれらの不法占拠と侵略意図に関心を示す「若者」が居ないどころか、政府でさえ長年「頬かむり」を続けている。こんな事で日本の国家主権が守れるのか?? 大きな疑問が残る。小筆の野田政権への期待は大いに裏切られた。「野田政権よ、お前もか・・・」という感じである。決断が鈍く時間が掛かる、不適切な閣僚人事、特に防衛大臣と消費担当大臣の任命と参院での問責決議無視を見ては、この内閣を見限った。「寄せ集め政党」、「烏合の衆」民主党の命脈はすでに尽きている、と確信している。
 今年のシドニーの夏は涼しい限り、初夏の輝きが感じられない。それでも「年末」は近づき、今夜は娘とオペラハウスでヘンデルの「メサィア」を聴きにいく。せめてもの気晴らしになるかも知れない、と期待しつつ・・・。

2011年11月6日日曜日

Blog-(24),

6-11-2011.

「ある教育者」
 先般訪日の折、仙台で40年近く複数の学習塾を経営している女性と話す機会があった。彼女の塾は、ご自身の経験と知人の教育者と共同で開発した「特異なプログラム」で塾生たちを成功裏に育てていた。その経緯と彼女自身の生涯に大いに感銘を受けたので、是非とも我が知友諸氏ともこの貴重な経験を分かち合い、教育の原点と日本将来の教育方法について考えてみたい。
 彼女が塾を開くに至った過程は、小学校に通っていたご自分の二人のお嬢さんへの「補習教育」が契機であった。当時の文部省の教育方針、すなわち学年単位、クラス単位の生徒の平均的理解度をベースにカリキュラムを組み、平均値の生徒を対象とした学習指導をしていた、とのことで、能力のある生徒はクラス教育では物足らないので学習意欲を失い、平均値に至らない生徒は授業に付いて行けないために落伍していたのだそうだ。この状況を二人の娘を通じて知った彼女は、担任の先生とも幾度か会って話をしたそうだが、地方学校の一担当教師では到底手に負える問題ではなく、教育方針の欠陥を知りつつ現状改定には至らなかったそうだ。そこで彼女は、自分で各学科の「理解度」を判定する基準を設けて、二人の娘の国理英数の「基礎学力」の修得度を探り出した。その結果、各教科の基礎が解っていない科目は、いくら次の課程を教えても理解出来ないことを知り、各科目の基礎を徹底的に習熟させることから手をつけてみた。結果は上々で、娘たちの理解度が直ちに上がっていき、その科目の勉強自体に興味を示すようになったそうだ。娘たちが好成績で上級学校に進学すると、彼女はこの貴重な体験を何とか実社会で生かしたいと考えて、既存の学習塾の臨時教師になり、不特定多数の塾生への指導方法を体験した。この塾でも「平均的な塾生」を対象にした教育指導方法を採っていたために、「塾の落ちこぼれ」が出ていたことを知った。この体験を元に「個人指導」を徹底させる「塾経営方針」を研究した結果、塾で知り合った教師仲間が「個人指導カリキュラム」を研究していたので彼と話し合い、「○✕式回答方式」を一切排除した国理英数の基礎科目を学科別に各々50教程に細分化した教科書を作り、その教程で各塾生の能力と習熟程度に合わせて、徹底的に「基礎教育」から積み上げていく方式を開発して今日まで教え続けているそうだ。   
 最年少は3才児から、年長者は大学受験生までが、同じ教室で各自異なった「教程」を自習しながら、理解出来ない箇所は、いつも教室に控えている教師の指導を仰いで修得する方法を採用しているとのこと。彼女曰く「基礎教育が身についていない生徒には、何を教えても理解出来ないから、基礎教育の本質から教えているのだ・・・」そうだ。各科目の基礎を理解した生徒たちは、ただちにその科目に興味を示すとともに、猛烈なスピードで「理解力を深めていく」そうで、大学受験の高校生と机を並べた小学校入学前の児童が、小学校高学年用の難問をすらすらと回答している、かと思えば、高校入試を目指す中学生が、小学生用の基礎教育の問題に挑戦している姿もある、とのことであった。彼女は、今日まで恐らく4万人近くの塾生を育て上げて、世に送り出してきたそうだが、全員がそれぞれの志望校に入学し、東北の雄「東北大学」や大学入試の最難関、東大医学部へ進学した生徒たちも数え切れないほどいて、各々が希望した社会分野で成功を収めているそうだ。彼らのすべてが、自分たちが経験した「学校教育」よりも、「彼女の塾」で学んだ「教育方式」のほうがはるかに有意義であったことを知っているために、自分たちの子供や孫たちまでも「彼女の塾」に通わせている家庭が沢山あるのだそうだ。
入塾希望者が来ると、彼女は必ず父母と児童と共に直接面接して、その児童の人間としての「成熟度」を見極めるのが大切な第一歩だそうで、その次に「各科目の理解度」を探り出して、その子の「能力に合った」教材を選び、繰り返し教科の「基礎」から教え込む、とのことだ。「むら気」が強く「忍耐力」の弱い子供たちでも、自らの性格の欠陥点を悟らせ、努力の仕方を教えると、真剣に教材と取り組むようになり、自ら理解しようと努めるようになり、進んで一段上の教程に挑戦するようになる、とのことである。従って彼女の塾では、世間で騒いでいる「学級崩壊」や「教師無視」の塾生など一切経験したことが無い、とのことであった。彼女は、この方式を基にして、カナダ、アメリカ、オーストラリア等、英語圏から英会話教師を雇い入れて「英会話教室」も成功裏に経営しているとのことだ。
 この話を聞いていて小筆は、「教育の原点とは何か」、という最重要なポイントを悟ることが出来た。併せて「日本の戦後教育は完全に間違っている」と思った。何故なら初等教育から中高等教育、大学教育に至るまで「一貫した背骨」の無い、おざなりな教育をしている、としか思えないからである。この「背骨」とは、学習する前に生徒たちが学ぶべき「精神」と「姿勢」の教えが抜けているからに他ならない。まず、人間として「なぜ勉強をしなければならないか?」という「基本精神」が教えられていないから、生徒たちが目標とする「人間像」が描けていない。本来なら、それを教えるべき教師が「自己の確立」をしていないから、生徒たちにこの目標を教えることが出来ないのだ。「卒業」と「進学」のみが、唯一の登校目標であり、上級学校に行く目的が「より良い中学、高校、そして大学」に進学して「より良い就職先に採用される」ことのみが人生の最大目的になってしまっているから、その間に、「人間として、日本人として何をなすべきか」という大前提が存在しない。結果として、個人主義に徹した人間ばかりが増えて自分が所属している「日本国」というコミュニティーへの「帰属意識」さえ生まれてこない。その上、自分の事しか考えられない「無責任」な国民が育ってしまった、ということであろう。
 優秀で頭脳明晰な子供は沢山いる筈だが、それ以上に鈍感な児童も沢山いる。彼らを一堂に集めて「同じ方法で教えても」、より出来る子供には不満足であろうし、出来ない子供には理解不能なので、当然授業自体に飽きてくる。教える教師も情熱を失うのは当然の成り行きであろう。そんな教育方法を戦後66年間も続けてきたのだから、日本全体がおかしくなったのは当然であった。
 先日、世界の人口が70億人を突破した。二百年前の人口がたったの10億人であったのだから、猛烈な勢いで人口増加が進んでいる。あと50年すると90億人を超えると予測されている。しかし、日本を始めとする先進諸国では人口減少傾向が激しく、老齢社会化が国家危機として現実化している。それにも増して、この地球上のエネルギー資源の枯渇と食料供給能力の限界が現実化しつつある。そんな中での「人口爆発」である。近い将来、世界的に「利己的である」と云われている中国とインドの人口が地球全体の人口の三分の一を占めるそうで、50年後には60才以上の老齢人口率が26%を超えるのだそうだ。砂漠化が進むアラブ諸国やアフリカの人口爆発は急速に進んでいるそうで、現在の日本からは想像も予測も出来ない世界環境が出現して「資源戦争」、「食料確保戦争」が出現するのも時間の問題であろう。その折に、我々の日本が生存できるか否かは「すべて教育」の成果に掛かっているはずである。そんな近未来を控えた地球で生き抜かねばならない日本の教育が現状のような体たらくでは、「日本国の生存も危うい」と危惧せざるを得ない。
 「基礎教育」の重要性は、世界に冠たる日本の「町工場」の卓越した職人技を見ても判るように、叩き上げの親方から「基礎技術」を手取り足取り、徹底的に教えられるもので、見よう見真似で簡単に修得できるものではない。この「職人技」が息吹いている事や彼女のような無欲無私の「塾経営者」が存在している事が「日本の凄さ」でもある。無資源国の日本が、将来生き残る道はただひとつ「技術立国」でり、それを「支える」のが基礎教育である。そんな日本が「教育」を疎かにして、巷の「塾」や「町工場」に「人材育成」を頼っているようでは日本の将来は暗澹たるものになるのは必定である。国民は「国家の財産」であり、その国民を生かすも殺すも、すべて「政府の教育方針」にあり、国家の将来は「基礎教育」の確立にある。仙台の「ある教育者」との会話が、日本の将来にまで飛躍するのも、小筆の高齢化と杞憂が成せる技かもしれないが、「基礎教育」の重要性は、国家根本の要であり、絶対に必須条件である。日本人同胞諸氏よ、日本の将来のためも、未来の日本を背負って立つ子供たちのためにも、現行の「教育制度」の改革を進めねばならない、と思うのだが・・・。
 シドニーの至る所に、初夏を告げる花「ジャカランダ」が咲き乱れてきた。くすんだユーカリの緑の中に、突然現れる「濃い紫色の杜」。ジャカランダの花見酒は、やっぱりドライな白ワインが合っているようだ。

2011年9月22日木曜日

Blog-(23) ソウルの平和像

Blog-(23)
22-9-2011
「ソウル、平和の像」
 昨日の産経新聞によると、韓国、ソウルの日本大使館前に反日グループが推進する「慰安婦事件」への抗議のために「平和の像」建立を韓国政府が許可したのだそうだ。
 申請した反日グループの「感覚」も「許可」した政府機関の「国際儀礼に対する見識」も、共に世界の常識として決して通用するものでは無く、いくら「日本憎し」の感情が強くても、これほど「常識外れの行為」がまかり通るとは、一体全体「韓国人の国際感覚はどうなっているのか? 」と疑わざるをえない。この事件は日本のみならず、当然世界各国から非難されるだけでなく、韓国自体が軽蔑される結果を招くことは必定である。戦後66年間、歴代日本政府が取ってきた、前大戦への「謂われ無き自虐意識」と「諂い外交」、外務省の「事なかれ主義」の継続がこのような結果を招いたのだと思う。この事件に関して、今回は「朝鮮半島と日本」に関する自説を述べる。
 まず、朝鮮半島の歴史である。世界地図のどこの「半島」も有史以来、絶えず「大陸勢力」の影響を受ける地理的条件があり、そこに住む民族は「個性として」強力な大陸勢力に「諂って生きる民族的属性」を身上として生き永らえてきた。所謂「大に巻かれ」、「小に威を張る」民族的な性格である。朝鮮半島も例外ではなく、彼らの歴史は新羅、高麗以来、綿々として蒙古、満州、漢民族系等の大陸勢力からの「大陸圧」を受け、その中で絶えず諂い、へりくだり、そして恭順の意を示すことで安泰を守り、その不満の「捌け口」を半島の先にある脆弱で非文化的であると彼らだけが「勝手に思い込んでいた島国」、日本列島に「威を張る」ことで癒してきた。
 韓国は、高麗軍(朝鮮族)の将軍、李成桂が母国を裏切り、敵国であった明帝国の力を借りて「李王朝」を打ちたてて出来た「クーデター国家」であった「負の歴史」を持つ。その間五百年余り、李王朝は、宗主国、明、それに続いた清に「朝貢」することで自らの「王朝」の安泰を守り続けた。その間、中華思想、朱子学、漢学を導入し、明、清の「暦」、後には官職の採用試験「科挙」、「宦官」制度まで模倣して「小中華思想」の扶植に努めて「王朝」を継承した。少数の王族と貴族「両班」が国政を牛耳り、国民は少数の自由民「中人と常人」と大部分の奴隷「賎人」で構成され、両班以下は「国民」でさえ無く、牛馬以下の生活を強いられ続けてきた。儒教思想で凝り固められた国民には「上長に反抗する」という思考がない。ただ限界に達すると爆発して「喰わんがために暴動」を起こした。この国家的惨状から朝鮮族を解放したのが、今、彼らが憎悪してやまない日本による「日韓合併」であった。朝鮮民族が英雄と仰ぐ安重根は、人間として立派な人物であったようだが「日韓併合」に反対していた伊藤博文をハルピン駅頭で暗殺して「英雄」になった。伊藤が生きていたら「日韓合併」はなかったかもしれないのに、彼は「曖昧な情報」を元に過激な暗殺を実行して刑死した。「短慮思考」、「過激言動」、「刹那的行動」も半島人の特性かも知れない。
 朝鮮民族は、日韓併合によって「近代文明の恩恵」に浴することが出来た。これは「歴史的事実」である。合併後の日本は、膨大な国家資金を半島に投入して朝鮮人の「民度向上」に努めた。最初に手を付けたのが、たった二つしか無かった「両班子弟専用」の小学校を、一般庶民の子弟用に各村ごとに作り、朝鮮語(ハングル)と日本語の読み書きから教えると共に、中学校、高等学校、医学専門学校から大学まで作り、朝鮮人を教育した。道路も橋も鉄道も無かった全国に交通網を縦横に敷き、新たに港湾施設を建設して経済流通と人的移動を可能にした。曖昧模糊としていた土地の「所有権」を検地して確定させ、それまで土地の所有を許されていなかった両班以外の人間にも土地をを与えて自耕を可能にした。貨幣制度、度量衡制度を確立させ、法律と税制を整備して「国家経営」を可能にしたために、経済は急速に進展した。産業確立のために鉱山資源の豊富な北朝鮮に日本よりも遥かに大規模な重化学工場を建設し、その電源供給のために世界規模を上回る「多目的ダム」をいくつも建設して、「朝鮮半島」が自活出来るようにした。当然国民の生活は向上した。その間、たったの36年間弱の日本支配の間に、朝鮮半島の民度の向上と資本主義国家としての内容は、先に日本領土となった台湾と、後の満州国と共に「資本主義国家の奇跡」と世界中から賛美されるほどの内容を持っていた。
 太平洋戦争は、英米蘭中と日本の戦争であり、朝鮮民族には関係の無い戦いであった。しかし、日本の敗戦により朝鮮半島は独立した。独立と共に即、自己分裂を始めて南北朝鮮が生まれ、同胞同士で勝手に民族戦争を始めて、日本が36年近く掛けて営々として築き挙げた国内資産のすべてを消失させた。日本の敗戦直後、朝鮮半島に存在した「日本資産」の総額は、米軍の試算で58億米ドルの価値があった。この価値は、昭和16年度の日本の国家予算が約5億米ドル強であったから、いかに膨大な資産であったかが分かる。北朝鮮は、日本時代の資産を喰い潰すと「乞食国家」になり、ソ連、中国に支援を仰ぎ続け、金稼ぎのためには平気で国際法無視の海賊行為(偽造紙幣、麻薬製造密売、偽タバコ、在日朝鮮人からの送金強要、等々)を日常とするようになり、最近では「核兵器技術の輸出」さえ手がけている、とのことである。南朝鮮は36年間の日本植民地時代の追加補償と贖罪を未だに求め続けている。親日派の糾弾、反日教育、竹島不法占拠、日本文化の否定、それに今回の「従軍慰安婦」に係わる「平和の像」建立、等々である。彼らが強要する「歴史認識」とは、「日韓合併」のすべてを「悪」と決め付け、彼らの云っている「悪行」のすべてを日本が認めよ、という事である。そこには先般の東日本大災害に際して、韓国内からも相当額の義捐金が集まったらしい。その後の「言い分」は、韓国民はこれだけ「日本のために同情」しているのに「竹島が日本領土」と教科書に書くのはけしからん、と「筋違い」なことを云ってるらしい。
 1965年5月、日本と韓国は「日韓基本条約」を結び、戦前のすべての補償関係と請求権を清算し、日本は当時の韓国の年間予算の三倍にあたる11臆ドル余りを支払って、戦前の「すべての問題」を解決したはずである。その後もODA、1965年から90年までだけでも6千3百億円以上を支援し、民間企業の技術支援を加えると天文学的な金額を支援し続けている。「甘え」に付け込むのも半島人の性格であるのかも知れない。個人的には良質で優秀な人間も沢山いるはずであるが、なぜ、彼らは「事、日本が対象」になると、かくも無理難題を平気で口にできるのか、民俗学的にも興味ある課題である。
 朝鮮半島の人間は、李王朝成立以来、「儒教思想」を基盤に生きてきた。文を尊び、年長者を敬い、年下の者を庇うのが最大の「徳」としてきた。彼らの思考からすると「中国は年長」、「日本は幼齢」という「序列」になるらしい。その幼齢の日本が明治維新以降、自分たち兄貴分を超越する国力を付けたのみならず、自分たちの上に君臨した、という事実が許せないらしい。事ある毎に「反日感情」を剥き出しにする原因であろう。その上、戦後の韓国を牛耳った李承晩大統領が、コチコチの反日憎悪の塊で、全国民に「反日感情」を叩き込んだのも原因のひとつである。小筆は、7才から8才にかけての一年間、北朝鮮の鎮南浦という平城近くの田舎町で疎開生活を送った経験がある。終戦の3日前、満州の首府「新京」からソ連軍に追われるようにして北朝鮮まで逃げて来た所で終戦の詔勅を聴き、その直後ソ連軍に推された金日成が38度線を封鎖したために帰国できず、一年間の疎開生活を体験した。しかし、朝鮮人たちは大人しくて親切で、治安も良好で、日本人を憎んでいる風情など微塵も感じられず、何も不安は感じたことはなかった。この経験からして、日本の朝鮮半島統治は、現在の彼らが叫びまくっているほど「悪いものではなかった」と体験上確信している。従って、今日の「反日感情」は「戦後政治的に仕立てられた」もので、決して彼らの本音ではないと観ているし、時が経てば「彼らとの友好関係」も回復できるものと信じている。
 今回、日本を襲った「台風15号」、まさに日本列島を縦断して、各地に豪雨をもたらした。犠牲者や被災者には誠に申し訳ない言葉ではあるが、小筆はこの台風を「平成の神風」と感じている。何故ならば、東日本のみならず本州各地で大問題になっている「放射能汚染」地帯を最大量の豪雨で洗い流してくれたからである。この天恵「神風」は、復興予算の中から「土壌洗浄経費」を大いに削減してくれているはずである。戦時中、軍部が採用した「欺瞞の神風」は決して信じない。しかし「神州日本」とまでは云わないまでも、小筆は昔から日本の危機に必ず吹いてくれる「神風」の存在を信じているからである。シドニーは春たけなわ、初夏の花、ジャカランダが咲くのも時間の問題である。

2011年8月19日金曜日

「この道は何時か来た道」

Blog-(22)

19-8-2011.

「この道は何時か来た道・・・」
 今年も8月15日を迎えた。小筆7才の折、北朝鮮、鎮南浦の疎開先で聴いた陛下の「終戦の詔勅」のことは、今でも昨日の出来事のように想い出せる。それから66年、焦土と化した日本の姿は大いに変わり、誰も想像だに出来なかった豊かな国民生活が実現した。
 国土拡張、資源模索、それにも増して勲章欲しさに暴走し続けた軍部独裁体制は、日中戦争から太平洋戦争に拡大され、結果として日本を壊滅寸前にまで追い込んだが、昭和天皇の異例の聖断で日本は救われた。戦後の日本は、あれだけ軍部が欲しがっていた資源を「平和裏に、そしてそれ以上に」入手して国家発展の基礎となして、今日の繁栄を得た。天皇陛下のご聖慮で敗戦を選んだ日本とは別に、前大戦で戦勝国となった「連合軍」諸国は、戦後も各種「紛争」に巻き込まれて、未だに膨大な国費と人命を「戦争」に費やし続けている。歴史のアイロニーと云うべきであろうが、皮肉な現実である。しかし現在の日本の平和と安泰が、果たして「真実の姿」であるかどうかは、大いに疑問である。今回は、この「日本の真実」について述べたい。
 戦前の軍部独走は、明治憲法上、天皇のみが持つ「国軍の統師権」を軍が独自に歪曲して、陸海軍の意思に「政府が容喙できない」存在として、自らの恣意の赴くままに独走した。満州事変、日中戦争、太平洋戦争、と日本国政府のみならず、自分たちの統師の源泉である「天皇の聖慮」まで無視して、自ら求めるところへ暴走をしたのだ。政府のみならず国会の意思さえも有名無実になり、国民の意思などは当然無視された。その結果、内閣も国会の意思も何ら「国政」には反映されず、国内は荒廃の一途を辿って敗戦に至った。最後は、憲法上大いに疑問のある異例の「天皇自らの聖断」に頼って終戦に導かざるを得なかったのが、歴史の真実である。政府も国会も、軍部さえも日々、戦火に焼かれる国土と連日、万単位で玉砕して果て逝く将兵の情報を耳にしながら、誰一人として、戦争終結を叫ぶ勇気ある日本人はいなかった。まさに、総理大臣を始め、内閣閣僚、国会議員、政府高官、日本国民全員が「軍部独走」に眼をつぶり、無謀な戦争継続を黙認して破滅に突進した結果であった。しかし、天皇陛下のみは現実を直視され、「内閣の輔弼」勅裁の慣例を超越され御自らの判断で終戦の詔勅を発せられ日本の壊滅を阻止された。
 戦後66年、平和な日本にあって、なぜ今「この道は何時か来た道・・・」なのか? これが今日の主題である。 
 昨今の無能極まりない「政党独裁」の暴走と、「羊のごとく大人しい日本国民」の姿が余りにも戦前の軍部独走に似すぎている上に、国家最大の危機に直面している現実まで、昭和20年の敗戦直前の状況に酷似しているからである。55体制確立以降、自民党の「お手盛り独裁」は38年間も続き、国民に煮え湯を飲ませ続けた結果、民主党の「政権公約」を信じた国民により「政権政党」の座から引き摺り降ろされた。しかし政権を取った民主党の結末は無残なもので、二年を経ずして国民の心はすでに民主党から完全に離反している。その上、国家を代表すべき宰相、「総理大臣」が、まるで日替わりメニューのように、一年ごとにコロコロと代わる異常事態である。政権政党が駄目、最大野党の自民も駄目、その他の弱小乱立政党はもっと駄目。日本がこんな状況に追い込まれているにも係わらず、日本国民には、政府を代える「選択肢」が存在しないのが実情である。自民時代も、現、民主党時代も、「国民の意思」を表明出来る機会は、総選挙か衆議院選挙の他は、地方選挙とマスコミが実施する「世論調査の政党支持率」くらいしか表現の方法が無いのが現実である。政権与党である民主党が「国会解散」を宣言しない限り、あと2年間は国民疎外のままで、自民時代同様に「民主党内」だけでの「首相たらい回し」が続くのである。
 前大戦時、日本の財政は、歳入の9倍の借金を抱えて破産寸前であった。現在の財政赤字は、国、地方併せて、歳入の39年分、特別会計を含めた歳出予算の6.5倍を上回る「借金」、1.411兆円を抱えている。この金額には各種公社や行政法人の抱える借金は含まれていない。それに加えて今回の大震災への「復興国債」25兆円である。民主党は、この25兆円を「増税」で賄うつもりらしい。増税による「消費の落ち込み」が「一般税収」を圧迫することは常識である。増税分と減収分のバランスを熟慮した形跡は見られない。景気回復策の議論は聞かれず、「財政赤字」の上に加えられた「復興国債=増税」、その結果としての「消費減退=ネガティブ・スパイラル」、こんな政策しか取れない民主党に日本の将来を任せられるだろうか?
 増税措置の前提として、まずは「緊縮体制」を表示して「無駄遣い」を徹底的に検証削減した後で、必要経費の削減を図り、なおかつ不足する分を「増税」で補う議案を提示するのが常識である。しかし、政府はおろか、野党も、政府官僚たちの誰一人として、この膨大な「累積赤字」(赤ん坊を含めた全国民一人当たり一千万円を超える借金)の改善解消に言及する者は誰一人として居ない。前大戦時、有識者のほとんどが敗戦を予測していた。しかし軍部独裁下では、当然そのような発言が許されるはずがなく、マスコミを含めた国民のすべてが沈黙し、軍部の「先棒を担いだ」マスコミは提灯記事を書き続けた。その中で、剛直な政治家、中野正剛と正義感に溢れた逓信省高官、松前重義は、時の宰相東条英機に停戦を直言して、中野は切腹、松前は二等兵として懲罰召集されてフィリピンの戦線に送られた。戦争反対の共産党員や社会主義者たちは、或いは「転向」し、ある者は祖国を捨ててソ連や中国へ亡命した。
 現在の政治家も高級官僚たちもマスコミさえも、この膨大な「財政赤字」の行く末と「デフォルト」の危険性が待ち構えている事を充分に承知している。しかし、誰一人としてこの「財政赤字解消」を唱える者が居ないのは、戦時中「事なかれ主義」に徹底して「日本を敗戦」に導いた責任者たちと全く同質の人間集団であることの証拠であろう。政党、官界、民間人を含む全日本国民すべての「無責任風土」に対する寛容姿勢に警鐘を鳴らさざるを得ない所以である。これが「何時か来た道」、前大戦開始以降70年後の現在、「日本の真実」である。
 米国の財政危機は世界を駆け巡り、米ドル不信が招いた「超円高時代」、輸出減少は当然のことながら、国内産業の海外移転にまで歯止めが掛からないのが実情で、日本経済の行く末も決して安泰なものではない。自ら高度成長を謳い続けている中国経済も「バブル崩壊」のみならず「共産党政権崩壊」さえカウントダウンの状況にある上に、ユーロ圏内のデフォルト多発の現在、日本は何が何でも「財政健全化」に努めて、一刻も早く「身軽な国家体制」を作る必要に迫られている。そのためには、戦後66年間続いた「政党独裁政治」を早急に解消して、国家体制の根本を改定して「新時代」に即応できる政治体制を一刻も早く確立する必要がある。
 戦後66年、歴代内閣の初期支持率は常に50%に近かったが、以後急速に減少するのが常で、20%を切ると「危険水域」だとされてきた。1,2の例外を除き、常にこの減少傾向を辿るのは、国民の期待感と現実の乖離が大きすぎるからであり、つまり与野党ともに「政権担当能力」が国民の期待以下であった証拠であろう。
 日本は自ら、この「無責任風土」からの脱却を図らねばならない。その第一歩は、現行「憲法」の改正である。「憲法無謬論」を唱える者がいる、しかし人間の作った物に完璧なものは無く、時代の変遷で「憲法環境」は当然変化してくる。世界各国で60年近くも「憲法改定」をしてない国は日本だけである。
 この国家的危機に際して、国政機能を高めるために「憲法改正」の国民運動を起こすべきである。その第一は、リコール付きの「首相公選」であり、衆参両議院定数、地方議会定数の「現行三分の二」削減であり、「道州制」導入による「小さな政府」実現であり、エネルギー政策の大変革、つまり無尽蔵、ノー・コストの「潮流発電」の開発に全力を注ぎ実用化を図ることである。開発費に幾ら掛かろうと、完成した発電装置がノー・コストで運転できれば、こんなに安い買い物は無い。まさに人類史上初めての最も安全で偉大なる「エネルギー革命」である。それに加えて、国家防衛の基本である自衛隊の「国軍」への昇格、日本民族再生のための教育制度の根本的改革、等を織り込んで、国家百年の大計を早急に確立する必要がある。同胞諸君、国家回天の行動を起こすのは「諸君自身」であり、「その時はねこの瞬間」である事を自覚して欲しい。
 日本の異常な酷暑に比べて、今のオーストラリアは「肌寒い冬」、豪洲太朗も白ワインを避けて、もっぱら赤ワインに親しむ日々。それでも祖国日本の「賞味期限一年限り」の使い捨て総理になるはずの「菅後の政局」が気に掛かってしょうがない毎日である。

2011年7月26日火曜日

Blog-(21), 何とかしなきゃあ・・・

Blog-(21)
26-7-2011
「何とかしなきゃあ・・・」
 「なでしこジャパン」、まさに爽やかな勝利であった。午前1時半、なんとしてもこの試合だけは見逃す訳にいかないので、難解なモリソンの「アメリカの歴史」を読みながら4時に開始するテレビ番組を待った。入場する日米両国の選手たちを見た時、正直云って「こりゃあ駄目だ・・・」と思った。体格が大人と子供ほど違うからだ。そして、試合開始、アメリカが強烈なシュートをどんどん放つのに、日本は「パス回し」ばかりで防戦一方。先制点は当然のように取られた。「これは話にならん・・・」と何度も観戦を中止しようかと思った。時間のみが経過するが良い所なし。やっと粘り勝ちで同点、延長戦前半で追加点を取られ、そして沢の神業的なスルーパスで同点。しかし、どうみても試合の流れは大人と子供の差があった。PK戦では、アメリカの力任せのラフ・シュートと日本の知的なシュートが際立ち「小よく、大を制す」、まさにきわどくも痛快な勝利であった。
 試合最中、小筆は太平洋戦争を想い返していた。アメリカのキャップテン、ウンバッハと沢穂希主将、身長差が11センチ、チーム平均で7センチの差であったそうだ。まさに大人と子供の体格差である。アメリカの物量作戦に対抗する貧弱な装備の日本軍、防、装備共に強大なグラマン戦闘機に対抗する小さなゼロ戦、マシンガンに対する、たった5連装の三八銃、それも40年前、日露戦争に使った小銃が主力であった。無尽蔵ともいえる艦砲射撃に耐える穴倉作戦、B-29の空爆を阻止出来なかった日本、原爆投下、そして無残な敗戦。
 しかし、日本人の意気と叡智、それにも増した勤勉さと器用さが、灰燼の中から日本を再建させた。近来、停滞気味の景気に悩む日本の経済界とはいえ、基幹産業に加えた高高度なハイテク産業、それを支える技能の蓄積は他国の追従を許さず、世界の頭脳指数を表徴する「ノーベル賞」さえも、日本人受賞者が益々増えていくこと必定。町工場の持つ世界に類を見ない高度な職人技、町工場のおっさん達が宇宙衛星を打ち上げるのである。体育界、芸術界での活躍、世界で愛される日本文学やアニメ、高度な礼節と高い民度を供えた上に真っ正直な日本人、この度の女子サッカー世界一のみならず、日本人の「真価」は世界が羨むほどの高評価を受けている。海外生活42年の小筆が数々体験した日本人への評価は「小さな巨人」、その象徴が今回のワールドカップに集約されていた。広い世界ではあるが、他にこんな民族の存在を知らない。
 その上に、125代、2,671年も続いている歴代一系の皇統、こんなに素晴らしい民族の歴史を兼備した国家は、世界196ヶ国中、日本だけである。しかし誠に残念なことながら、こと「政治」に関しては、恐らく世界の誰一人として評価する者はいないであろう。マッカーサーがいみじくも「日本の民主主義は7才である」と云ったのが64年前であった。それ以来、国家は再建され、経済は勇躍伸張し、国民性は大きく世界に羽ばたいた。どう控えめに観ても「立派な成熟国家」であり「平和国家」である。しかし、政治の「後進性」には、一切進歩が見られない。政治家のみがまるで異質な日本人なのである。公約は守らない、政治資金を誤魔化す、平気で嘘をつく、徒党を組み、威張り散らし、その上、政治家にあるまじき行為、平気で「法螺」を吹く。慎しみやかな国民の中にあって、なぜ彼らのみが異質な存在なのであろうかと不思議でならない。
 その証拠が、「3・11」の大国難に遭って5ヶ月経った今でも、復興予算23兆円が決まったのみで、その資金的な裏づけは未定。安易な増税案だけがちらついている。民主党のマニフェストの失態と全く同じである。これでは被災地で、何一つ有効な手立てが打てるはずがない。一体全体、我々日本人は国権の最高執行機関である「内閣」を持っているのだろうか?  永田町で高額な歳費を食み、その上、年間ボーナス、一千二百万円以上を支給されている722人もの国会議員たちは一体全体何んなのだ・・・、何をするために存在しているのか? 奴隷の上に君臨して贅を尽くしたローマ貴族だって、もう少しはましな事をしたではないか・・・。
 つらつら考えるに、この最大の原因は、やはり70% 近くを占める二世、三世議員の存在にあると思う。世間知らずで甘やかされて育ったボンボンたちが、祖父や父親議員の秘書になり、ちやほやされて選挙地盤を引き継いで議員になる。或いは、一般受けしたポピュラーなマスコミ出身のタレントが、政治の「いろは」も知らないままミィハー票を集めて「政界入り」を果たす。或いは、マスコミ受けした野次馬的な、自称、経済・政治評論家等が国会議員になり、大臣になる。それに加わっているのが、視野の狭い「役所生活」しか知らないで定年を迎えた元官僚たちである。現在日本の国会議員の大半が、所謂「プロの政治家」ではなく、全くの「ど素人」である。彼らが、衆参両院議会で、うろうろするだけで、政治が全く進まないのは当然である。彼らは「野次馬精神」だけは旺盛であるが、「国家創造」への高邁な志士の気概は、まるっきり見られない。
 今次最大の「国難」に際しても、彼らは成す術を知らないのだ。この緊急時に、即座に「復興への大目標」を掲げて、その中で「最重要課題」から手を付け、執行に必要な条件を法制化して行く。こんな簡単な手順さえ思い付かないのだ。自分たちの「不手際」を「政局論争」でごまかし。「菅降ろし」に託けて無駄な時間を費やす。「菅降ろし」を唱える連中は、もし「菅が降りたら」誰を「首班」に立てて「何をするのか?」、 自分が首班を引き継いで「何から始めるのか?」、そんなビジョンも主張さえも表明出来ないのに、闇雲に野次馬的に「菅降ろし」を叫んでも、誰も追従しないのは当然である。このような無知蒙昧な「政治家」と称する集団が、窮極に立つ日本の舵取りを任されているのが現実である。「ステーツマンの不在」が、更なる日本の悲劇を招いている。
 菅総理は、すでに「レームダック」状態にあるにもかかわらず、国際社会で日本の住宅「一千万戸」に太陽光発電装置を装着させるとか、「脱原発」とすか、「代替エネルギー」政策とか、数々の「思い付き」を公表している。すべてがこんな調子で、閣議の了承も経ずに、自分勝手な「思い付き」で発言を繰り返している。鳩山前総理は、国連でC0-2、25%削減の約束をした。安部総理も、麻生総理も国際会議で「美しい日本」とか「ODA増額」とか訳の判らない大法螺を吹き、世界に「日本の公約」を信じさせてきた。だが、後継内閣は前総理の公約のすべてを無視してきた。その上、国内では、誰一人として「そんな公約」に束縛される者はいない。日本政治が国際社会で信用されないのは当然である。
 そんな中で、菅総理の発言「脱原発」について述べる。原発の危険性と脆弱性、それに完全管理の難易性に触れたい。過去、米国のスリーマイルズ(1979)、ウクライナのチェルノブイリ(1986)、中国、深セン(2010)、そして今回の日本の福島と原発事故や放射能漏れが発生している。中国は別として、日米ソのような技術先進国においても、その管理が容易でない事が実証され、被害の甚大さも証明された。この危険極まりない「原発」を先進国のみならず、32ヶ国もの発展途上国が保有し始めている。果たして、これらの国々で原発の「完全管理」が可能なのであろうか? その安全性が、第一の憂慮である。第二の心配は、彼らの「テロ対策」である。中国を始めとして途上国のほとんどが、何らかの形で国内テロ・グループや紛争相手国を身近に抱えている。一旦緩急があれば、第一にゲリラ攻撃を晒されるのが「原発」であろう。果たして彼らに「原発の安全」を確保する力があるだろうか? 意識的に武力攻撃をされた場合の被害は、今回の福島原発の被害程度では済まない。「原発は決して安全」では無いのだ。
では、どうするか? 「核融合管理」は科学である。完璧な科学管理技術のみが「原発」を管理し得る。この技術を持つている国は、恐らく、日米仏とドイツくらいであろう。世界は電力を必要としているし、その潜在需要は無限である。これらの国の技術を以ってしても「事故が起こり得る」のが原発である。それほど危険性な「原発」を野放しの建設することは、人類にとてつもない災害をもたらす潜在性を持っている、と云うことだ。先進技術国が協調して「世界の原発」の安全確保に乗り出すべき時期が来ている。併せて「代替エネルギー」の開発を急ぎ、完成と共に「原発廃止」を実施することである。「代替エネルギー」とは、世界中に無尽蔵にある海流を利用する「潮流発電」の開発である。この詳細は、次回のブログでのべる。
 今朝のニュースで、中国の「高速鉄道」の事故を知った。日独仏の技術をベースに「独自で開発した最高技術」で、主要先進国で特許まで申請する、と息巻いていた。北京―上海間、その他、総計1万キロに及ぶ「高速鉄道路線網」を完成させたとも息巻いていた。しかし現実は、日独仏、どこの国でも考えも及ばない「初歩的な欠陥」で事故が発生しているらしい。汚染食品、コピー商品、デザイン盗用、パクリ技術、頻発する鉱山事故、そして「異常な軍拡」、それに加えた共産党幹部のすざましい汚職、世界の常識が通用しない、中華思想に犯された「田紳モンスター」の傲慢さが気になるこの頃である。

2011年6月12日日曜日

カウラについて、


Blog-(20)
12-6-2011.
「カウラについて」
 現在の日本は、大震災と原発事故、不況の最中にあり、日本人のすべてがこの大国難を克服しようと懸命に努力している。しかし、永田町に住む「日本人亜種」は、国会という「井戸の中」で、国民そこのけの「共食い」に没頭している。餌は「国家権力」である。
 歴史上、日本は現在と同じような「末世現象」と、それを「国民の叡智」で克服した「国家回天、大再生」を経験している。大化の改新=古代国家の成立、建武の中興=元寇外圧による国政改変、関が原=幕藩体制(国内統一)、徳川末期、政治機能の老化現象=「黒船来航」で明治維新、昭和20年、軍閥末期、戦争で疲労困憊した国民を差し置いて、大本営という井戸の中で「陸海軍の選良たち」が共食いを始めた結果、「帝国日本」が惨敗=連合軍進駐で「国家再生」を果たした。すべて当時最大の「国難」が契機であった。
 さて現在、戦後66年、永田町の「懲りない面々」により、すでに末期症状を示している「政党政治」の危機、今回の大国難が「日本回天と大再生」の契機になるかどうか ?  次回のブログで所見を述べるが、このブログは、初回以来あまりにも「暗い話題」ばかり述べているから、今回は取って置きの「明るい話題」をシドニーから届けたい。
 カウラは、シドニーの西方320キロにある人口一万人余りの田舎町である。しかしこの町には、日本人戦没者墓地、日本庭園、日豪親善の桜並木道、長倉記念公園、日本人捕虜収容所跡、平和の鐘、そして先日完成した「カウラ平和の像」、等々、最も親日的で日本色が溢れている得意な町である。その理由は、前大戦末期、昭和19年8月5日未明、捕虜収容所にいた1千5百人弱の日本軍捕虜の内、9百名余りの捕虜が暴動を起こしてオーストラリア監視兵の銃撃に遭い、わずか10分余りの銃撃の結果、日本側、230名余りの死者と4百人余りの負傷者、豪軍側4人の犠牲者を出して終焉した暴動事件であった。
 ほとんどの捕虜たちは、南太平洋戦線で負傷して連合軍に救助された後、治療を受けてカウラに送られた将兵であった。しかし生き残った彼らの心中には、戦死した戦友たちへの悔悟と「生きて虜囚の辱めを受けず」との戦陣訓への葛藤があり、それが暴動の契機であった。この事件は、大戦の最中であり、15万人近い連合軍捕虜が日本軍の手中にあったこともあって、連合国当局は報復を恐れて終戦まで事件発生を内密にした。
 第二次大戦勃発当初、オーストラリア軍は独伊枢軸軍との対戦のために欧州戦線に送られていた。しかし対日戦争勃発により欧州から太平洋戦線に戻されて、マッカーサーを総司令官とする米豪連合軍として3年8ヶ月の対日戦に従事した。その間、豪洲人青年男女60万人近くが、兵役、動員等、何らかの形で対日戦争の参加した。当時の人口が7百万人超であったから、国内の青年男女はすべて動員されたことになる。
 豪軍戦闘部隊は、マレー半島とシンガポール守備に当たっていた英連邦軍(16万余人)の傘下に入ったが、シンガポール陥落で1万9千人余りが日本軍の捕虜になった。太平洋戦争期間を通じて、日本軍管轄下にあった豪軍捕虜総数は、約2万2千人余り。その内、捕虜期間中の死亡者総数は7.964人であった。欧州戦線での戦死者総数が9.572人であったのに比べて、対日戦の戦死者総数が17.501名(捕虜中の死亡を含む)であったから、対日戦の激しさが想像できる。
 昭和17年末、日本軍はバンコックとラングーンを結ぶ415キロの「泰緬鉄道」の建設を開始した。ビルマからインド侵攻への物資輸送のためであった。マレー、ビルマ、ジャバ、シンガポールから民間人労働者18万人近くが集められ、豪軍捕虜13.004人を含む連合軍捕虜61.811人、日本軍の鉄道連隊1万2千余人が従事した大工事であった。完成まで1年3ヶ月の間に、豪軍捕虜2.802人を含む連合軍捕虜12.619人が死亡し、民間人労働者の死亡は85.400人余りであった。ほとんどの死因は、熱帯性疫病と栄養失調、それに加えた過酷な重労働にあったとされる。
 戦後、日本軍の管理下から解放されて帰国した豪軍将兵が、抑留中の非道な扱いと残虐な日本兵の姿を吹聴したために、オーストラリア国内の「反日感情」は燃え上がった。「名誉ある捕虜」を虐待した日本軍のみならず対戦国「日本全体」を憎悪したのだ。その主因は、「死ぬまで戦うのが軍人である」とする日本兵と、銃弾が尽きるまで戦った将兵は「名誉ある捕虜」になる、と考える白人兵の戦争観の相違が、日本軍の「捕虜蔑視」の潜在意識となり、虐待に繋がったのであろう。
 燃え上がる反日感情の中、カウラ出身の将兵たちが故郷に帰還してきた。出征兵士269名、戦死者47名であった。全員、南太平洋諸島で日本軍と死闘を繰り返し、辛うじて生き残った将兵たちであった。その中には、アルバート・オリバー准尉がおり、学徒動員で軍需工場で働いていたバーバラ・ベネットもいた。共に、後年カウラ市長や市議を務め、日本人戦没者墓地建立や日本庭園建設を通じて、日豪融和に貢献した人たちであった。彼らは、カウラの市民墓地の東側の「農地」に集団埋葬されたまま放置されていた「暴動時の死亡者たち」の存在を知り、「土に還った人間に敵味方は無い・・・」との人道的な見地から埋葬地の清掃を始めた。彼らの行動は、カウラ市民のみならずオーストラリア全国民が冷眼視する中で行われた。やがて彼ら帰還兵たちの崇高な人道的な行為が全国民に理解されるにつれて、オーストラリア人の反日感情の嵐も沈静化していった。
 「サンフランシスコ講和条約」締結で、日豪両国も平和を回復して、キャンベラの日本大使館も再開された。戦後初の西春彦大使は、カウラに埋葬されている暴動の犠牲者につき、オーストラリア政府と交渉、大戦中3年8ヶ月間にオーストラリア領土内で死亡した、民間人を含むすべての日本人の遺骨をカウラに集めて、昭和39年11月に「日本人戦没者墓地」が建立された。 埋葬された日本人慰霊は522柱、その慰霊祭の時、戦後初めて日本国旗が墓地内に掲揚された。
 以後今日まで、皇太子殿下時代の今上陛下ご夫妻や皇族を含む数多くの日本人慰霊者がカウラを訪れている。戦後もっとも「反日感情」が激しかった時期に、日本人埋葬地の清掃を始めてくれた帰還将兵たちへの「日本人としての恩義」のため、日本庭園建設には、日豪双方の政府、自治体、民間人たちの多くが協力を惜しまずに支援した。日本庭園の竣工時に、戦没者墓地から日本庭園までの一般道路5キロに「日豪親善の桜並木道」建設が発議されて実行に移され、九州電力長倉会長の名前を記した「長倉公園」が作られ、日本から「平和の鐘」も寄贈された。世田谷区にある成蹊高校とカウラ・ハイスクールは40年余り前から、直江津高校はラファエル・スクールと姉妹校を提携して毎年留学生を交換している。桜並木道建設開始と共に、毎年「桜祭り」が開催されて、日本文化の紹介と市民交流が繰り返されている。それに加え、今回の「カウラの平和像」の完成である。カウラは、世界でも珍しい「日豪親善の聖地」といえる。
 シベリアで父を亡くした小筆は、長年、カウラの「日本人戦没者墓地」の存在を知っており、学生の頃から一度は訪問したいと願っていた場所であった。1979年10月、縁あってシドニー定住が決まった翌年正月、念願のカウラを訪問、当時のバーバラ・ベネット市長の案内で墓参を果たした。よく手入れされた緑の墓地には、4、5才と見られる金髪の幼女が母親と訪れており、小さな草花を墓前に供えている姿に感動した。まさに人生観が変わるほどの思いであった。そして、旱魃最中の日本庭園へ、10年近く続いた旱魃で第一期工事が終わったばかりの日本庭園の樹木は、すべて「枯れ死」寸前であった。そこにドン・キブラー市会議員が現れて市長と庭園救済の資金集めの話を始めた。その話を聞いた小筆は、即座にボランティアーでの支援を申し出て受け入れてもらい、以来今日まで31年間、無償の「カウラ奉仕」を続けている。庭園救済の資金募集、桜並木道建設と桜祭り開催の提案と資金募集、10年ごとに開催される「カウラ暴動慰霊祭」、各種PR活動と「桜祭り」での日本文化紹介、そして6年掛かりで完成させた「カウラ平和の像」、半生近くを通じたカウラへの奉仕活動、すべてカウラ市民が「日本人戦没者墓地」を温かく見守ってくれている事への感謝の気持ちが源泉である。
 「平和の像」完成の今、日本庭園入り口に立てる「カウラ観音」像の計画に熱中している。身の丈8メートル余りの「観音像」をユーカリの大木に彫刻して、庭園入り口前の広場に設置する夢を描いている。彫刻には無縁の小筆ではあったが、6メートルの「平和の像」を完成させた自信がある。何年かかるか、小筆が神に召される以前に完成させられるか、どうかも不明であるが、人生最後の「カウラへの奉仕」として全身全霊を捧げたいと思っている。
 推定予算、1万ドル(約90万円)、日本人有志から浄財を集めて、建設資金にしようかとも思っている。有志の寄金は、些少にかかわらずメールでご一報を・・・、折り返し「振込先」を連絡し、像の背中に「寄金者リスト」を残す予定。豪洲太朗、老いて益々意気軒昂な日々である。
 今月20日から来月8日まで訪日する。梅雨の最中の訪日は憂鬱ではあるが、小筆の専門である「中小企業の輸出支援体制」を軌道に乗せるためには、どうしても行かねばならない。日本滞在中の緊急連絡は、090-3008-7549.まで。kentokura@hotmail.com に「Face Book」 を開いたので、時折覗いて「豪洲太朗のホラ」も楽しんで欲しい。

2011年5月28日土曜日

首相公選しかない・・・

Blog-(19)
27-5-2011
「首相公選しかない・・・」
 東日本大震災、福島原発人災事件、その上、25万人を超える「生身の日本人」である被災者」が、親族を失い、住を奪われ、職を失って路頭に迷っている、この国難の最中、内閣も国会もマスコミさえも、「云った・・・」、「いや、云ってない・・・」と、事件の本質には全く関係の無い、無駄な言葉の「やり取り」と「責任逃れ」の言い訳で、貴重な時間が費やされて、国会本来の任務である「災害救済」が一向に進展しない。 日本とは、こんな下らない人間たちに国政を任せていたのか・・・、と考え込んでしまっている。
 これは、民主党だけの現象ではなく、近来続いていた自民党政権時代からの「汚泥の結末」であり、担当政権に「真のリーダー」がいなかった証拠であろう。
 「なぜ、こんな政治になってしまったのか ? ・・・」、つらつら考えるに、日本の政党政治に欠陥があり、国政を牽引できるリーダーが育たなくなっているのではないか ? と思うに至った。 その証拠に、都道府県知事や各地方自治体の首長たちは、少ない予算と戦いながら最善を尽くしているのに比べて、国政レベルになるとこの体たらくである。
 国政と地方政治の違い、首相と、知事首長たちとの最大の違いは、首相の政党内選出制度と、知事、首長たちの住民による直接選挙にあると思う。知事や首長には「投票者」の顔が見えるが、政党内選出の首相には党員の顔と国民が持っている「票田」しか見えない。党内派閥の価値観で動く政党政治と、行政能力の実績を直接投票者に見せなければならない知事や首長の政治に対する「責任感」と「真剣さ」の違いだと思う。
 過去、自民党は、長年の政権与党の驕りから国民疎外の「首相たらい回し」を繰り返す事で国民に匙を投げられて政権を失った。現民主党は、カネと寄せ集めの烏合の衆、未熟政治の露呈で、早くも政権与党の立場が危うくなっている。その上、政権亡失の危機感から、党内の派閥抗争が絶えず、自分たちが選んだ党首で首相でもあるのに「菅降ろし」を広言する者が多く、政治が立ち行かなくなっている。これら騒音の元凶たちが「菅直人を降ろした後、誰を立てるのか ? 」これに言及しないのは、彼らの卑しい「おこぼれ頂戴」意識か、無責任な野次馬根性であるに過ぎないからであろう。
 現在の日本は、国家危機的状態に直面しながら、どう贔屓目に見ても「次期首相」の座を託すべき「頼もしい国会議員」が一人も居ないこと「最大悲劇」である。
 この日本の危機に際して、国政を一転させる方策を講じることで、「未来を開く」ことも日本国民の叡智ではないだろうか ? その叡智とは、「首相公選」と「衆参両議会の改変」であり、「道州制の導入」に尽きる。
 「首相公選」とは、任期6年の首相を国民の直接選挙で選出することである。立候補者は、公選2年前に立候補を表明して「マニフェスト」(政策公約)を公表する。半年以内に公約実現のための論文を公表し、1年前までに「副首相」と内閣の「閣僚名簿」にあたる「補佐官名簿」を公表して内閣運営組織を明示する。10ヶ月前から全国遊説を開始して、国民との直接討議、質疑応答に応えて新内閣の「信」を問い、公選に臨む。首相公選選挙は、衆参両議院選挙と同日とする。
 首相立候補者は政党「無所属」でなければならず、公選後は「首相兼行政府長官」として国政運営に就く。閣僚も全員無所属で、大臣職ではなくて「首相補佐官」として各省事務次官との連絡に当たる。
 「衆参両議院の改変」とは、衆議院は立法府、参議院は「立法審議府」に分けて、共に「政党機能」を持たせて、立法と審議機能を果たさせる。任期は共に6年として、「半数改選制」を採る。 議員定数は「13道州制」導入を前提に、衆議院は各道州定率代表6人X13=78人 + 人口比例78人の156人、参議院は、道州代表、各2人X13=26人+ 人口比例26人の52人、衆参合計208人の議員で運営する。
 内閣は、立法議案を作成して衆議院に諮り、後に参議院で審議をして成立する。両院議員も「議員立法」提出権限を有し、首相の合意を得ることで成立する。
 衆参両議院は「首相弾劾権」を有し、両議員総数の70%以上の合意をもって首相退陣が成立し、次期首相公選が実施されるまで「副首相」が代行する。
 「道州制」は、全国を13道州(北海道、北東北、南東北、北関東、東京、北陸、南関東、東海、関西、中国、四国、北九州、南九州)に区分し、大幅な自治制と財源移譲をもって地方自治に広範な「独立性」を持たせる。その傘下にある市町村は、議会を廃止して首長の指揮下に、ローカル機能業務(地方整備専従)を主たる業務とする。中央省庁は、国政、外交、国防、司法、国税徴収と基本的な「行政指針提示」等を主たる任務として、道州政庁に大幅な行政権限と財源を移譲すると共に、政庁独自の「殖産事業」を奨励して、政庁自身の歳入増加に寄与させる。
 各級政府は、10年から15年の期間を目途に大幅な「人員削減」と「経費削減」に努め、国家と地方財政の赤字解消に努める。
 この新制度の特徴は、アメリカの大統領制と合衆国制度に似ているが、首相の不偏不党制度と立法議案の提出権を認めることで、首相が理想とする国政を実現させ、政党の利害得失、特に衆議院から「政権抗争」を切り離すことにある。と同時に、国会議員を首相補佐官に兼任させないことで、政府官僚から隔離して「官民癒着」の根源である議員汚職を絶つ目的も達成させる。当然、議員歳費も調査費、特待制度も再考され、政党助成金制度も廃止される。
 選挙方法は、首相公選は当然「全国一選挙区」、両院議員選挙は、各「道州一選挙区」で、定数代表と人口比例候補者で争われる。各選挙区の人口比例定数は、選挙管理委員会が全国有権者総数を人口比例定数で割り、立候補者数を算出するので、定数割り当ての無い選挙区も出現する。
 この「未来を開く」改正案は、当然「憲法改正」が伴う。内閣法、国会議院制度、地方自治体法も大改革をするから、当然、現職議員からの抵抗は大きいはずだ。しかし、現在の閉塞感から日本を開放して、未来に羽ばたかせるためには、彼らの抵抗を排除してこの「大改革」を遂行しなければ「日本の未来は闇」である。国民各自が明確な確信をもって日本国民固有の「請願権」を行使して、この「憲法改定」を推し進める必要がある。
 問題は、その「旗振り」をする人間を探すことである。NPO「日本を開く会」などを打ち立てて、大学生、勤労青年、サラリーマンや魚河岸の兄ぃちゃんたちまで、すべての若者を糾合して、インターネット、ブログ、ツィツター、フェイス・ブック等、あらゆる無料のメディアを駆使して、「憲法改定」の大運動を展開して国民運動にまで盛り上がらせて、「日本再生」の礎を築くことから始めることだ。
 日本人諸君よ、行動を起こすのは今しかない、豪洲太朗も微力を尽くすから、日本の未来を開くために立上がってくれ・・・!!
 今、読んだニュースでは、来週早々、自公共同で「内閣不信任案」を提出するのだそうだ。この緊急時に、宰相の首を挿げ替えようとする非常識さにも呆れているが、「人材枯渇」の現政界に代替はいるのか ?  いくら「馬鹿殿様」でも周囲がしっかりと支えれば「世間は動く」、こんな常識さえ知らないのが「今を天下」とのさばっている「永田町の先生方なのだ」、末世日本を嘆かざるを得ない。

2011年3月30日水曜日

大災害を生かす・・・

この度の「東日本大震災」と「福島原発事故」は、その規模といい、膨大な犠牲者、被災者発生の数といい、その被害はまさに前大戦に比すべき大災害になった。犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表すると共に、不便な環境で忍耐生活を強いられている被災者の方々にお見舞いの言葉を差し上げたいと思います。
 地理的に天災発生と隣り合わせで生活することを余儀なくされている日本列島と国民のために、今回の大災害を契機に、国家事業として防災概念の根本を変革する必要があり、世界に誇れる理想的な「国家千年の大計」を立案実施して、全世界に高邁な防災対策の好例を示す必要がある。
 昔から三陸海岸は地震と津波の頻度発生地域であり、歴史的に見ても住人は絶えずこの危険に身を晒してきた。従来の政府もそれなりの対策を講じてはいたが、今回の想定外の「大規模地震と津波」は観測史上最大のものになり、その被害の甚大さは、今日までの被害想定基準を大幅に超えた。地球温暖化による海面上昇も勘案して、従来の基準を根本的に変更しなければ対応できない実態を思い知らされたといえよう。
 被害総額は、25兆円を超えると推定され、日本の国家予算、一般会計総額の30%近くになる膨大なものである。それに加えた人的被害があり、住民が失った今後の生活手段を考えると、想像を絶する額になるはずだ。藤原家摂政時代の貞観地震以来「1114年ぶりの大地震」とは云え、次の地震が発生する可能性が消えた訳ではなく、地震の稀周期性を考えると何時再来するかは予測困難である。住民個々人でも、市町村、県単位で対処できる規模の問題ではないので、国家の政治課題として対応せざるをえない事は明白である。
 陸地に制限のある日本では、どんな土地でも危険を承知で住居を定めなければならない。生活の根拠地が定まれば、勤勉な日本人はいかようにも生活手段を構築していく能力に長けている。その危険性をいかに最小限に食い止めていくかは行政の責任である。今回のBlog ではこの難題について私見を述べたい。 
まず日本列島は、地震、台風、津波、火山活動の影響が日常生活に密着しているのが現状である。三陸沖地震、東海沖地震、南海沖地震の発生は、以前から想定されており、それなりの対策は講じられてきた。しかし今回の宮城県沖地震の規模は、想定外の威力を示し、この惨状をもたらした。この回避不可能な自然現象をいかに克服するかは、人智であり、行政課題であり、究極的には「政治」の問題である。今回の大震災は、もし、あくまでも仮定の想定ではあるが、事前に「政治的に対処」されていれば、被害程度をより低く抑えられたかも知れない。しかし、過ぎ去った事象をここで問い質すのではなくて、あくまでも「将来必来の災害」に備える意味で、次に述べる対策を講じるべきである、と提議したい。
 国民の生命と財産、それを支える経済構造は国家の根幹であり、それらの保護のためには、日本国政府はあらゆる危険、天災、国難を想定した国家最重要の「防衛戦争」として位置づけ、「国防対策」に万全の備えを整える義務がある。
 
 では、対策とは何か? 答えはひとつ、「津波の回避」と「耐震建築」に尽きる。
 耐震建築は、行政指導で各個人でも実施可能である。しかし津波の回避は個人の能力を遥かに超える。そこで考えられるのが、「空中都市」(エアラ・ポリス)の建設である。すなわち、すべての集落を商業施設を付随させたまま、地上50メートル以上に整地した「高台」に移し、耐震構造を施した住居、学校、病院、市町村庁舎を緊急避難設備を兼備した公共ビルとして建設して生活基盤とする。産業施設と農耕地と遊興地域のみを海岸線で営み、そこにある工場、事務所、作業場等の建築物はすべて6階建以上の耐震、耐津波ビルと定め、屋上には必ずミニヘリポートの設置を義務づける。
 高地集落(エアラ・ポリス)と低地産業地区とはエレベーターと生活道路で繋ぐ。従来の海浜居住地はすべて「経済地区」と「農耕地」、ないしは「遊興地区」として活用し、生活道路以外の「幹線アクセス」は、すべて20メートル以上の高架道路にして、直接、主要幹線高速道路と各エアラ・ポリスに繋ぐ。幹線道路には「宿場町」のごとく、一定間隔をもって「緊急用ガソリン・スタンド」を指定して、常時一定量のガソリンとジーゼル油を備蓄させて、緊急の場合でもライフラインの確保を確実にする。緊急補給手段として大小ヘリコプターとホーバークラフト、航空貨物機の活用を常態化して、海上、陸上、航空自衛隊の持つ全機動力をもって海、陸、空、各路からの補給手段を確保する。
 政府は、緊急事態発生時には、即「緊急時内閣」を組織する権限を持ち、超党派組織をもって災害対策に当たる。自衛隊、警察、消防組織を一元指揮下の元に管理して、地方自治体組織との連携で「平和時戦争」として非常時対応を指揮する。日本赤十字との連携の上、緊急医療対策チームを組織して、民間の医師、看護師の派遣、医薬品の補給を組織化して、民間組織、とくにNPO組織と連携して個別の対応に従事させる。メディア機能を有効利用して個人の通信手段を確保する。交通施設は鉄道在来線と地方道路は補強程度にとどめ、基幹となる新幹線と幹線道路の耐震強化を図る。併せて、対外接点として外務省に「緊急対応局」を設置して各種外来支援の受け入れを担当させる。
 今回の福島原発の事故を鑑みて、核燃料発電の危険性と脆弱性を認め、「操業中止」を前提に早急に安全なる「代替エネルギー源」、太陽熱、風力、水力、海流、地熱利用、等の研究と開発に技術大国日本の全国力を挙げて努めれば、世界に先駆けて「安全なエネルギー源」の確保と実用化に必ず成功するはずである。
 さて、これらの資金源であるが、「緊急予算」の編成のみならず、「災害国債」を発行して、有利な利回りをもって国民の持っている「個人金融資産」1,500兆円から捻出し、場合によっては、政府所有の外国債、250兆円の売却も考慮すべきかも知れない。
 今回の未曾有の災害は世界中が注目する所であり、併せて、日本国民の高潔な資質、忍耐力、高い公徳心、謙譲と犠牲的精神の発露は、全世界が瞠目し賞賛を惜しまない日本独特の文化的美徳として高い評価を得た。その上に、今回の緊急時に日本政府が、いち早くこれらの果敢な最先端的な「災害復興計画」をもった対応策を打ち出して実行に移せば、対外信用の回復にも繋がり、新規「危機管理産業」の輸出市場開発の一助にもなるはずである。全世界が驚くほどの「立ち直る日本」の姿と「災害に学び、未来を築く」日本の知恵と組織力を展開すれば、人類史上稀に見る「成熟国家」として世界的な評価も得られるはずである。
 今日まで国際的な悪評を買ってきた、あの狭い国会議事堂の中で、夜叉等Politicianどもが繰り広げていた「国民疎外」の実りなき「井戸端会議」での意地の突っ張り合いを、即やめて、せめて「国家、国民」のために全霊を打ち込んで、この難局克服に邁進すれば、日本を見る世界の眼も少しは変わってくるはずである。以前、誰かさんがほざいた「一兵卒となって全身全霊をもって国家に尽くしたい・・・」との言葉を実行する最高の機会である。都内のマンション全部を売り払い、隠匿している政治資金全額を「震災復興」のために吐き出してこそ、国民からの信頼回復の一助になり、誠心誠意国家に尽くす事だ、と思うのだが・・・、果たしてこの御仁にそれだけの腹があるかどうか、正念場になりそうだ。
 奇遇ながら小筆は、3月9日早朝、08時36分、白石蔵王駅発の「やまび210号」に乗車、10時44分に東京駅に到着した時、電光板ニュースで岩手県で9時45分に大きな地震があった事を知った。翌々日の朝、大阪で三陸沖の大津波のニュースを見て、この大災害の実相を知った。以前も東京の地下鉄サリン事件を知ったのは大阪出張の時であり、関西淡路大地震の1週間後に現地に入り、ニューヨークの「9.11Terro Attack事件」の2週間後に現地に出張している。何か、自分にまつわる運命の機微と神助を感じざるを得ない。

2011年2月26日土曜日

天を仰いで嘆息す・・・、

天災続きであったオーストラリアがやっと落ち着いたと思ったら、今度はお隣のニュージランドで大地震、なんとも神様もご多忙な事である。さて、秋めいて来たシドニー、訪日を控えて何かと多忙だが、それよりも何よりも日本の政局の騒がしさが気になって仕方が無い。この国家浮沈に関わる重大時期に、衆参両院合わせて722人もいる議員たちが、政局そっちのけで派閥闘争に明け暮れ、無益な意地の張り合いをしているのだから、国民はたまった物ではないと同情している。
 日本の「重大事」とは、一に「財政赤字」、二に「安全保障」、三に「低迷景気」、四に「国家目標の亡失」、五に「教育再生」、そして最大問題として「政治不信」が挙げられる。どのひとつを取り上げても、日本国の近未来に関係する重大問題で、与野党一致団結して、挙国体制で取り組まないと解決不可能な重要問題ばかりである。それなのに、彼らにはその認識さえなく、不毛でピント外れの質疑応答ばかりを繰り返しているのが現状。企業経営に、日々生命を削っている経営者たちから「税金泥棒」と云われて当然だと思う。
 与党、民主党の内紛と野党の不甲斐無さ、それに数ある野次馬政党の無能さ加減に、日本国民のみならず国際社会までもが、あきれ返っている実情を認識すべきである。賢明なる日本国民諸氏よ、この世界に恥ずべき状態を招いたのは、他ならぬあなた達自身が「無責任な投票で彼らを選んだ結果である」と自覚すると同時に大いに反省してもらいたい。
 今回は、まず第一に2009年に民主党が掲げた「マニフェスト」(政権公約)からお浚いをしたい。公約とは、国民から「政権」を与えられたら「必ず実行します」という神聖なる「契約条項」である。民事契約なら、不履行の場合は当然「解約」と「賠償」の対象になり、契約当事者から外されるのが常識である。
 この常識を念頭に、次の9項目にわたる「民主党マニフェスト」と「細則」を見てみたい。(1)子供手当てと出産支援、 (2)公立高校実質無償化、(3)年金制度の改革、(4)医療介護の再生、(5)農業の戸別補償、(6)ガソリンの暫定税率の廃止、(7)高速道路の無料化、(8)雇用対策、(9)後期高齢者医療制度の廃止、大学奨学金の拡充、最低賃金引き上げ、中小企業支援、等々で、それに加えて細則として謳ったのが、税金の無駄遣い、天下りの根絶、議員定数80人削減、企業団体献金の禁止、アジア諸国との連携、等があった。 「鳩山民主党」は、この公約を自らの顔写真と共に、誇らかに掲げて衆議院選挙に臨み、自公政権を倒して政権の座を入手した。以来、すでに一年半、さぁ、どの項目が達成されたか、○×で答えてほしい。答えは明確、見事に[Non](ナン、皆無)である。国民の大きな期待は完全に裏切られたのである。
 実現不可能な公約を誇張して掲げた責任、財政的な裏づけが無い杜撰な政策目標、大局と世界情勢を見誤った外交、等々を掲げた事も無責任な話しだが、もっとひどいのは「公約」で約束したガソリン暫定税率廃止を、信じられない事だが、政権発足直後に自党の幹事長からのねじ込みで、いとも簡単に放棄したことである。子供手当ての減額も、高速道路の無料化もまやかしでお茶を濁している、あれだけ意気込んでいたダム建設廃止も、今では誰も口にしない。これらの公約不祥事は、すべて財源難が原因で、その後も次々と続いている。
 この公約不履行をそっちのけで、自党の一部が倒閣活動に入っている政権与党。自分たちで作った年度予算不足を補うために借金だけでは足りず、「消費税」の増率さえも計画しているのが実情だ。
 日本国憲法、246条(刑法) に「人を欺もう(あみがしら+亡)して財物を編取したる者は10年以下の懲役に処す」とある。要するに出来もしない公約を掲げた政党から出馬して国会議員になり、歳費を貰い、政党助成金を受けている議員と、その公約で「政権」を取った政党が「公約不履行」した場合、「自己の利益のために他人を騙した」ことになり、刑法でいう「詐欺罪」に該当する。まして公約を信じて投票をした選挙民の承諾なしに「公約」を変更するなんて、契約違反のみならず完璧な「詐欺行為」、重大な犯罪行為といえよう。
 現在の日本では、こんな「無法」が常識として罷り通っている。国際社会で信用が失われ、日本国債の格付けが下がるのも当然である。
 一体全体、民主党政権は何をしているのか?  Yes, 総理が代わり、幹事長を代え、内閣改造をした。しかし、代わった前総理は引退宣言を取り消す事も無く、沖縄基地問題で不穏当な発言を繰り返して不信を買い、親から貰った政治資金の説明約束を反故にし、今では後継内閣倒閣に暗躍しているらしい。元幹事長は大議員団を誇らしげに引き連れて北京詣でをしたのはよいが、その足でオバマ大統領参りをする積りが拒絶された。韓国では日本の皇統に関する不穏当な発言をして国際的な顰蹙を買い、公言した国会での資金疑惑説明も頬かむりで、強制起訴された上に、党紀違反で党員資格停止処分を受けたが、これにに不服を唱えている。ご両人共に、未だに勝手な発言を繰り返していて、要職から「自分たちが失格」した、という自覚がまるでない。
 こんないい加減な政治家を誰が信用するのか? それが摩訶不思議な事に居たのだ、16+1人、いや潜在的にもっといるばずだが、彼らに追従しようとしている議員グループだ。国家再建に無関心な国会議員、国民の付託に答えられない両院議会、政策討議が出来ない立法府、大義を亡失して保身に走る議員たち、国民はそんな彼ら一人ひとりに年間一億円近い血税を払っているのだ。政府支持率の急落は当然である。
 自民党総裁は、民主党政権を倒閣に追い込み「総選挙」で政権奪回を画策している。しかし、現在の彼らの陣容と才覚で、この「国難」を乗り切れるのか、それよりもどんな「国家百年の大計」を描いているか、大いに疑問である。
 日本の不況は、いわゆる「贅沢社会」がもたらしている「消費減退」が主因である。国民のすべてが「欲しいものが無い」のである。彼らの「買い替え消費」に頼るには、余りにもパイが小さすぎる。特に高齢者は「無駄金」は使わないものである。新規需要の喚起には、国民の欲しがる「新製品」を作り出さなければ購買意欲は湧かない。内需喚起が不可能なら、外需、それも世界に冠たる中小企業のハイテク製品の輸出振興に注目すべきである。大手企業は自前で何とか輸出も出来るが、町工場では手に負えない「輸出振興」と「貿易事務」を組織的に支援する組織を作るべきである。期待していた「国家戦略局」構想も消滅した今、経済再生のキーとして中小企業振興も視野にいれるべきではないか?
  昨日のニュースで、「菅内閣打倒」の動きが急ピッチで進行中、とあった。この策謀の中心人物が誰かは知らないが、今の与党にも野党にも、この難局克服を指導できる人材がいるとは思えないし、事実その経綸を述べる政治家も見当たらない。という事は、彼らのすべてが「野次馬」であり、「国家経営理念」を述べる事なしに、闇雲に内閣打倒を囃し立てているだけだ。うるさい野次馬は、蹴っ飛ばされ、売れない批評家は収入が減るが、騒ぎ立てるだけの国会議員でも、歳費だけは保証されている。何とも不合理な日本ではないか・・・、
 欧米諸国では、あらゆる政府支出を述べる時、必ず使われる言葉に、[This is Tax payers money](これは納税者の金である)がある。このStatesmanの謙虚な精神が財政支出を真剣に考える根拠になり、血税の無駄遣いを制する根源になっている。しかし、日本ではどうか?  歳入が大幅に減り、歳出を削れなければ、安易に国債を発行して取り作らう、それでも足りないから増税をする、こんな事しか出来ない議員たちに、とんでもない額の歳費と血税である政党助成金などを払う価値があるのか?
 こんな思いを胸に秘めながらの訪日は、誠に辛いことではあるが、春の兆しに萌える若葉の季節、運よくば、初桜に巡り会えるかと期待しつつ旅立ちの準備をしている。そう、もうひとつ、「初鰹の刺身で冷酒一杯・・・」、という事もあった。
緊急連絡は、090-3008-7549. 4日から20日まで、

2011年2月12日土曜日

地球に一大異変が・・・

どう見ても地球全体が異状を来たしているとしか思えない「気象異変」が続いている。こんな異常事態が続いていては、果たして今8ヵ月を迎えたばかりの初孫レネーが成人するまで、この地球がもつのかどうか、心配でしょうがなくなってきた。杞憂であって欲しいと願いながらこのトピックスを書く。
 まずオーストラリアの現状である。小筆がこの大陸に来着したのが32年と4ヶ月前、ちょうどオーストラリア全体が旱魃の最中で、農産物や牧草が枯れて、飼料のなくなった農家は羊や食肉牛を殺処分していた最中であった。その後、10年まえ前後から微量の降雨が見られるようになったが、基本的には旱魃状態が続いて、主要河川の減水が続き、全国規模でブッシュファイヤー(山火事)が頻発した。
 しかし、3年前から旱魃地帯に異常な豪雨が降り始めて洪水騒ぎに転じた。一昨年には、オーストラリア最大の河川、マレー・ダーリン河が度々氾濫して各地流域に洪水を起こし始めた。昨年12月初旬に降り始めたクィーンズランド州(QLD)の雨は、広大な旱魃地帯を洪水で覆うまで降り続いた。その面積は欧州全域に等しい範囲だそうだ。それに引き続いたクリスマス時期の豪雨は、内陸部の地方都市を鉄砲水で襲い、70名近い死者を出した。ある死体などは彼の村落から80kmも離れた下流で発見された。小田原から東京まで流された計算になる。
 すべてのインフラは止まり、停電は一瞬にして文明生活を野生に戻した。皮肉にも淡水の海の中で「飲み水」に窮する生活が始まった。被害者のほとんどが外界との連絡を携帯電話に頼っていた。しかし、停電は「充電」という機能を奪ったために、文明社会との連絡手段が断たれた。流水に流されてワニや毒蛇、無数の害虫が、人間が避難している高台や屋根に流れ着いた。農地は一面に水没して家畜たちは飢え始めた。オーストラリアの農産地帯、特に砂糖キビ畑は壊滅状態になり、露天掘りをしている炭鉱のほとんどが水没した。世界の70%に近い燃料炭を賄う産地である。日本のみならず世界中の電気代の高騰は間違いない。その上、クリスマスには超大型のCyclone「ターシャ」が襲い、2月3日、4日には超超大型Cyclone「ヤシー」が、瞬間風速165kmの猛スピードで同地方を駆け抜けた。 QLDの首府、ブリスベンの側を流れる「ブリスベン川」も洪水に襲われて、ビジネス街の中心部が完全に水没した。5.6mの増水で川岸にあった有名なレストランがそのまま川流に飲み込まれた。これも史上始めたのことだそうだ。
 この期間、Ⅰ千km南方に位置するシドニーは、連日36度を越える湿度の高い猛暑に襲われ、その酷暑は2週間も続いた。これも観測史上初めてのことだそうた。シドニー西方320kmにあるカウラを流れるラクラン川は、60年余りも川底を晒していたが、今回の豪雨で12m上にある橋桁を流水が洗ったそうである。
 メルボルンも例外ではなかった。一昨年前までは、毎年山火事に恐れおののいていた乾燥地帯が洪水に襲われ、住民はなすすべも無く屋根に上り救助を待った。西オーストラリアでは、異常な大気乾燥が続き、数限りない山火事で多くの住宅が塵灰と化した。
 オーストラリアの主要農産地を襲った洪水は、シドニーにも食料品の高騰で影響を与えた。まず、1kg 、$1.40前後であったバナナが$6近くに暴騰、果物、野菜、食肉の軒並みに4-5倍に高騰した。食パンの値上がりも予定され、ジュース、牛乳等の飲み物もいずれ値上がりするとの予測で、市民生活への影響は計り知れないものがある。

 世界の異常気象の兆候は、20年以上前から顕著になっていた。まず最初に、スイス・アルプスの氷河が後退し始めた。1991年8月、当時付き合っていたスイス人女性ディザイナーが休暇で故郷に帰った時、電話で自分が住んでいた時期には村のすぐ側まであった氷河が消えてなくなったので驚いた、と云ってきた。ちょうどスイスのエッツ氷河の融解で5,600年前の「アイスマン」が発見された年である。翌年1月、出張でドイツのフランクフルトに行った時、アルプスの異常高温で雪が溶けマイン川が氾濫寸前になっていて恐しい思いをしたことがあった。その後も欧州の夏冬を問わない異常気象は続き、今日に至っている、
 以後、アルプスのみならず、ヒマラヤの氷河湖の融解による崩壊が心配され、バングラディッシュとパキスタンは巨大な鉄砲水の来襲に恐れおののいている。シベリアの永久凍土が溶けてマンモスの死体が現れ、北極海の氷が溶け出して15世紀の大航海時代以来捜し求めていた「北極海航路」が利用可能になった、とのニュースが続く。南太平洋の島嶼群の水位が年々上昇して、今では満潮時に生活圏まで海水に浸かるようになったそうだ。南極では雪棚が溶けたために地表が露出して苔が生え始め、氷棚から流れ出した四国くらいの大きさの氷山が、幾つもニュージランドの南端に接近したのも最近の話である。中南米での異常降雨と鉄砲水、地滑りによる大被害も報告され、今冬の北米の異常寒波は史上に例を見ないものらしい。中国南部の異常降雨と洪水の頻発はすでに常態化しており、日本の夏の異常高温もさることながら、今年の大寒波と異常降雪も、世界各地で頻発する地震と津波、地球規模で活発化している火山活動もただ事ではない。
 地球創造以来36億年、無限の星を有するこの大宇宙で唯一の緑の星「地球」、この奇跡の地球にたった5万年前に誕生した人類は、「火」を使うことで文明を育てながら、無数の動植物と共存してきた。そして260年前、人間は蒸気機関を発明して「化石燃料」の大量消費時代に入った。以来、地表の異変が進行しながら今日に至っている。もしかすると、この化石燃料イクオール「CO2」は、人類第二の「禁断のリンゴ」であったのかも知れない。
 エルニョーニョ、ラニーニャ現象、と聞きなれない言葉が新聞を賑わしているが、要するに地球上の異常気象の学者用語で、地球規模の気象変化に変わりは無い。誰が何と云おうと、地球全体の異常化は進行している。その行き着く所は不明であるが、年毎に住み辛い環境になりつつあることだけは確かである。米中両公害大国には関心が無い「CO2削減問題」も、鳩山元総理が国連で25%自主削減の大法螺を吹いたが、世界の指導者も日本の後継総理さえも、まるで興味を示さないで「空手形」に終わった。
 しかし、近来の異常気象の進行は現実であり、実際に多くの人間と動植物に災害を与え続けている。この現象を人類は「神の警告」として、謙虚に、そして真摯にに受け止め、叡智を絞って対策を講じる必要がある。この美しくて掛け替えの無い地球を、子孫のみならず、宇宙の奇跡として、永遠に存続させる努力をすべきである、と思うのだが・・・。
 今回、オーストラリアの全国規模的な大災害を見ていて、オーストラリア人が幸せであると思ったのは、ジラード首相も野党の党首も、QLDの州首相も、災害発生の翌日には連れ添って現地に入り、ヘリコプターで被害状況を実見し、次々と被災者と会話を交わしながら、矢継ぎ早に救済措置指令を出していたことである。真の「ステーツマン」の姿を見て感動したものである。と同時に、「果たして日本では・・・」と無い物ねだりをしてみたが、「所詮、無理な願いだ・・・」と諦めて自棄酒代わりのワインを飲み始めた。

2011年1月22日土曜日

出でよ、英傑!!

 平成23年の元旦を新居で迎えた。シドニーの中心部から電車で30分、閑静な郊外といえる。引越し荷物も片付き、やっと一息着いたら、当然のごとく「憂国の情」が戻ってきた。日本の「財政赤字」である。

 「借金をして贅沢をする」、「他人の金を国民にばら撒く」、「収入を超えた出費を重ねる」、歴代の日本政府は子供でも判るこんな馬鹿げた政策を長年繰り返してきた。
期待されて政権交代を実現した民主党もこの政策を継承して、今では政府と地方自治体の借金総額は一千百四十一兆円を超えているそうだ。それに加えて、集計もされていない行政法人個々の膨大な借金があり、国民一人当たりに換算すると、おそらく一千万円近い金が、当人の了解なしに累積されてしまった事になる。国民個々人では絶対に返済不可能なこの「日本政府の借金」を憂うこと頻りである。

 日本の「財政赤字」が破砕限界に達した場合、まず第一に想定されるのが、日本の対外信用の失墜に伴う「円価、株価の大暴落」であろう。物価高騰による国内経済の大混乱は当然の事ながら、海外からの投資も当然途絶え、資本引揚げも必ず起こる。円安による輸入価格の高騰も、国民生活に重大な被害を与える。100兆円あると云われている「外貨準備金」も、あっという間に支出されて底をつき、1,450兆円に近い個人資産もすべて国債に喰われて「死に金」となる可能性が高い。
全量を輸入原料に頼っているエネルギー料金(電気、重油、ガソリン等)、公共料金、食料品の高騰は当然のことながら、輸入原材料を使用している輸出産業はコスト高で生産を中止せざるを得ないであろうし、知的財産使用料も民間企業の海外活動も当然コスト高になり制限される。 毎年政府が赤字補填で依存している「国債発行」は行き詰まり、当然7%前後とされる外国資本所持の「日本国債」も「利払い不安」から手放されるだろう。必然的に国際金融市場からの資金調達も困難になり、今までの対外債務が膨張する。対外債務の返済延期を申し出た場合、必ず「在外資産凍結」という対抗手段で報復されるのが歴史の常だ。韓国のようにIMF基金に頼る方法もあるかもしれないが、IMFの資金規模から推測して、日本経済の救済は困難であろう。

円価を例にとると、明治4年、為替相場の対米円価は1ドル1円で始まった。昭和16年、太平洋戦争の開始直前まで16円であった。しかし、敗戦後のブレトン・ウッズ協定で360円の固定相場に移行、昭和60年のブラザ合意以降240円であったものが120円になり、現在は90円代で推移している。円高は輸出には不利だが、輸入のメリットは計り知れないほど高い。
小筆が就職したのは昭和37年、当時はまだ360円の固定相場であったが、ドル需要が強く、闇レートでは500円前後で取引されていた。学生時代、中元歳暮期にデパートでバイトをしていたが、日給は270円。同年代で知合いの米兵が新橋の「靴磨き」に1ドルのチップを渡したのでびっくりした事があった。就職前に決まっていた初任給が、税込み月額9,800円($27)前後であったからだ。若くして「円安の屈辱」を痛感した経験を持っている。

日中戦争と太平洋戦争、あれだけの大戦争を戦った結果、敗戦時には国内の産業施設はすべて焼失してしまい、財政赤字は一般会計の9倍、奇しくも現在の財政赤字と同率であった。経済は行き詰まり、円価は暴落して16円から360円になった。必要物資を輸入したくても「外貨」が無かった。国民生活は困窮の極限にあり、すべて米国からの援助物資と金融支援に頼った。円価の凋落は日本経済の破滅を意味している。
それを救ったのは皮肉にも金日成で、朝鮮戦争による「戦争特需」で日本経済は再生できた。
当時、日本の耐乏生活は、現在の日常生活からは想像も出来ないくらい貧しかった。満足な食糧もなく、衣類なぞはすべて「古着」で、下駄や草履を履いて通勤通学をしたものであった。しかし、国民はそれに耐えて懸命に働き、戦後復興に邁進した結果、今日の「世界一豊かな国家」を創造した。
しかし現在の政治と人心の荒廃は、この国家存続に関わる重大問題「財政赤字」に鈍感であるだけでなく、国全体が「目先の幸せ」に眼がくらみ、毎年借金の累積を重ねて行く政府に誰も文句を云わない。この日本政府と国民の「投げ遣り的な神経」をどう理解したら良いのだろう。

国家予算の半分以上を借金に頼り、期待された「埋蔵金」も限界にきている。支出抑制も無駄遣いの排除にも関心が払われず、野放図な支出が続いて「財政赤字額」は鰻上りに増えているが、誰も是正しようとしない。今年度の税収予測はたったの38兆円なのに、国債発行44.3兆円を計上して、一般会計予算、92.5兆円を執行しようとしている。これで国債発行残高は、GDPの1.8倍になるらしい。日本の借金総額は、平均税収の24年分近くになる。「財政赤字」が破砕限界に達していることは、素人目にも明らかである。これが健全な「国家運営」と云えるだろうか?

菅内閣は「増税」を検討しているらしいが、国民に財政赤字の結果責任を押し付けた上に、増税分まで負担させようとしている。いくら増税をしても「支出抑制」をしない限り「財政赤字」の根本は解決されない。
政府が「増税」を打ち出す前にやるべき事は、支出抑制である。最初に、行政組織の徹底的な見直しをして「小さな政府」を作ることである。「小さな政府」には、当然国会議員、地方議会議員定数の「大幅削減」と歳費、議員経費の低減があり、「道州制」を導入して国、地方の官僚数を削減すると共に、行政法人制度を徹底的に見直して特別会計の大削減に踏み切ることだ。政党助成金なんて代物は、第二の小沢一郎を育てるだけだから即中止する。何もしない「野次馬政党」に血税を使うなんてとんでもない話だ。

財政赤字が「安全圏」に戻るまでは、特別会計や、公共事業、文教振興、農業保障等を含むあらゆる予算、補助金、支援金制度を中断し、ODAを含む一切の海外支援も停止する。そして、国民にも協力を求めて、子供手当てを含む社会福祉関連の支給額も最低限に押さえることだ。敗戦直後の社会状況を想い起こせば、国民は少々の耐乏生活には耐えられるはずである。何故なら、日本の財政が破綻したら、すべてがなくなるのだから、改善するまでの間、国民にも外国にも我慢してもらうのは当然だ。日本国が崩壊したら、すべてが無くなるのだから我慢するしかない。

現在の日本は、国家回天の決意で大改革を実施して支出削減を図り、現況の「財政赤字」から脱却しないと未曾有の大混乱が間違いなく起こる。この瞬間にも国家危機は進行しており、「時間切れ到来」もカウントダウンの段階に入っている。現状を放置すれば、早晩日本は財政破綻を引き起こし、五等国以下に位置づけされて、回復不可能な国家になり下がる。すでに贅沢を経験している国民は、敗戦直後の日本人以上の「茨の道」を歩まざるを得なくなる事だけは確かである。

それを防ぐ唯一の方法は、英傑の選出で「救国内閣」を組織して、彼らの改革手腕に期待するしかない。「平成維新」の実行である。
しかし誠に残念ながら、現在の日本政界にはチャラチャラして小細工にだけ長けた輩は腐るほどいるが、真の宰相の器と資質を兼備する人物は見当たらない。この難局に挑むには、腹が据わって蛮勇があり、尚且つ広範な世界観を備えた有能な「ステーツマン」、すなわち「稀代の英傑」が必要だ。
今年も「英傑出現」を待望する日々は続くだろうが、果たして神は祖国に神風を呼び込んで下さるだろうか?

小筆の新住所は、1/3 Reserve Street, West Ryde, NSW 2114, Australia.
Tel/Fax: +61-2-9874-2778. Blog: http://goushutaro.blogspot.com/