2011年12月12日月曜日

Blog-(25)「12月8日に思う」

 日米開戦は小筆が二才の末、当然記憶にはないが、以後北朝鮮に疎開して終戦を迎えるまでの緊張感と帰国後の貧困生活、進駐軍の権威、等々は幼心にも鮮明な記憶として残っている。そして今、開戦後70年を迎えて考えることは「何故日本は無謀な対米戦に踏み切ったのか?」と云う疑問である。この難題に挑戦することで現代日本が直面している「国難回避」への答えが編み出せないかと思い下記を羅列、友人知己の皆さんと一緒に考えを進めてみたいと思っている。
その前に、明治維新以後の日本の歩みを見る。徳川幕府崩壊後、明治新政府の最大の課題は、西欧列強の圧迫を回避するため国政の近代化と富国強兵であった。そのために手がけたのが、近代的国軍を創設し、天皇を中心とする立憲制度を確立した。欧米諸国や清国、朝鮮王朝から見ても、当時の日本は単なる「島国王国」くらいにしか見られていなかった。その新興国「日本」がいつの間にか実力を蓄え、威勢を伸ばして欧米や近隣諸国へ「対等な口」を利く様になったので、近隣諸国、特に清国と朝鮮は「生意気な日本」と思い始めたのであろう。そんな国際環境の中で「明治日本」の軍備は充実され、民族伝来の「武士道」で鍛えられた「将校団」によって、農工商階級から徴募された「召集兵」が近代戦可能な軍団へと練兵された。当然、国民の4%弱しかいなかった「士族階級」からの将校要員は絶対数として不足していたから、全国から士族以外の頭脳明晰な子弟も選別して「陸海軍士官学校」で教育をした。彼らは、江戸時代までは最下層の庶民階級であったが、帝国陸海軍の将校になったことで、「官員様」と尊称れた政府機関のエリート官僚と同様に扱われる「特権階級」になり上がり、「選良意識」を持ち始めた。その過程として彼らは、台湾遠征、朝鮮出兵、日清、日露戦争、北清事変、シベリア出兵、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争と勝ち進み、結果として帝国日本陸海軍、最後の大戦争となった「太平洋戦争」での敗戦に続く皇軍史と共に生きた。
私観ながら、北清事変までは「国家の命運」を賭した「必死の戦い」であり、中堅将校層までは維新以前に「武士道」をもって教育された年代であった。しかしシベリア出兵あたりから、維新後の士族、庶民階級出身の将校が軍指導部を占めるようになり、連戦連勝の気概から「武人の本分」を忘れて、自分たちの選良意識を驕る風潮が出始めた。彼らは、政治理念から離反して、軍部独自の「軍略」と軍人の「栄誉欲」が混じった「個人感情」をベースに、軍人には硬く禁じられていた「政治関与」を始めた。もちろんその背景には、大正期の優柔不断な内閣、何事も決められない国会、個人利益の追求しか頭にない産業界への不満もあったと思う。そんな彼ら軍事官僚が、第一次大戦を好機に、「軍略」を政治に優先させて国を動かす「伝家の宝刀」として使ったのが、天皇陛下のみに許されていた「統師権」であった。この天皇の大権発動には、政府も国会も国民も反対できないことを知った彼らは、以後、「統師権」を盾にして勝手に軍を運用し始めた。それが満州事変であり、支那事変と呼ばれた日中戦争であった。政府はすでに、戦局の「蚊帳の外」に置かれて、陸軍中枢のエリートが勝手に国家予算を使って兵を進めた。アジアの資源と市場の争奪を賭した対米戦争もしかり、そこには日本政府の「関与」も天皇の意思も、国民の存在も、全く反映できない「軍閥政治体制」を確立してしまった。そして引き起こしたのが対米戦で、陸海軍の大元帥であった天皇専権の統師権は、陛下の聖慮の届かないところで「壟断」されて、少壮軍部官僚の意思だけであの大戦争に突入した。
 しかし、華々しかった緒戦の勢いは、圧倒的な米軍の反抗に効しきれず、次々と敗北を重ねていった結末が広島、長崎への原爆投下であった。それでも軍部政権は「終戦工作」に踏み切れず、無為な人的、物的損傷を重ねていった。現実はすでに壊滅的状況にあったが、戦争を始めた軍部も、戦時内閣もマスコミも、国民の誰一のとして「停戦交渉開始」を口に出すだけの勇気がある日本人がいなかった。しかし昭和天皇だけは、末期的戦況を見極められ、国内に充満している嫌戦気分を明察されて、自らの英断をもって終戦の「詔勅」を発せられ、日本の壊滅を阻止された。未曾有の大戦争の結果は、将兵、民間人併せて320余万人の死者と全国の焦土化、そして人心の荒廃、と云う結末をもって、近代日本を蹂躙した「軍閥」が終焉した。
 終戦直後、最後の陸軍大臣であった下村定大将は国会で、陸軍解体にあたり一言述べます、と前置きした上で、「一部の陸軍軍人が独善的で横暴な措置」と「不当なる政治干渉」を採った結果、「このような悲痛な状況を国家にもたらした過去の罪科」を詫びて謝罪すると同時に、「幾多純忠なる軍人の功績」は消されるべきでなく、「無数の戦没英霊」に対しては深い同情を賜りたい・・・、と懇請した。
 軍閥勃興の間、華々しい戦果とそれを持ち上げたマスコミ報道に、国民は自我を忘れて感激、興奮して皇軍賞賛に夢中になった。そして国民もマスコミも、軍部の横暴に眼をつむり、正論を述べる国民を国賊扱いにした。軍部エリートは、自分たちの思考の是非や国際社会への影響を考慮することなく「野望達成」に血道を上げた。その間、非エリート将校や召集兵、国民の生命は「自分たちの勲章」のために無為に犠牲にされ、無益な戦場に投入され、継戦目的のためのみに殺戮され続けた。「天皇のため」、「帝国日本のため」、「聖戦完遂」と自分たちの都合の良い標語を勝手に連ねて自国民を殺戮していった軍部選良たちは、母国の敗戦後も生き残り、「畳の上」で死んでいった。小筆は過去、数人の「陸大卒」に会う機会があった。いずれの方も頭脳明晰なのは流石であったが、「人間性」はとても尊敬し、心服できる人たちではなかった。「この程度の人物が軍隊を動かしていたのか・・・」と落胆し「負けて当然であった・・・」とも思った。  
 「日本の政治」を武力をもって「簒奪した」軍部は、日本の敗戦で消滅したが、以後日本国民は「文民統治」の美名の下に、戦力保持を否定した幻想的な「平和憲法」に呪縛されて国家を守る自衛隊を卑下し続けてきた。「民主政治」の象徴としての「政党政治」の下、国会の横暴を許し、無能な二世、三世議員、利益代表グループ選出の議員たちの勝手な行動も許し続けている。短期間でころころと変る首相と閣僚たちに愛想をつかしたのか、各省庁の高級官僚たちは、誰一人として政府方針にも主務大臣の指示に従わない。面従腹背、勝手に省益と保身に専念し、国益と民益を見失い、「善政」どころか因習固執に憑かれて勝手気ままに旧習踏査に憂き身を費やしている姿は、戦前の軍閥官僚と何ら変わりが無い。
 現在の日本は、危機的な状態にある。第一は、膨大な「財政赤字」である。第二は、台頭する「中国の軍事的脅威」であり、第三は「国民の気概亡失」である。これらに比べれば「日本経済の低迷」などは解決可能な簡単な問題である。赤字財政の増進は、日本存亡に係わる重大課題であるのに、歴代政権は赤字幅低減に無関心で「借金」を重ね続けている。現、野田政権ですら「赤字容認」の上、行政経費の削減無しに復興財源確保のために「増税」を決行しようとしている。「国民に負担を強いること」への反省も罪の意識もまるで無い。中国の軍事的脅威は、すでにカウントダウンの状況にある。中国の経済的破綻は時間の問題であり、国内事情の緊迫により、自国民の目を「外国からの危機感」に向けて逸らすのは歴史の常識であり、軍部がそれに着手した時、中国政府は「軍部の暴発」を食い止められるか? という重大問題を抱えている。恐らく中国軍部は、「尖閣諸島」あたりを占領して「内圧」を逸らせる可能性がある。その時、日米安保が機能するかどうか? 機能しない場合は、どうして日本は「国家主権」を守るのか?
 現代の「日本国民」は贅沢に慣れすぎて、自ら困難に立ち向かう「気概」に欠けている。戦後教育の欠陥が今頃になって表面化してきている。北方四島、竹島の不法占拠と中国の尖閣諸島への異常な関心事は現実問題である。しかし、日本国内にはこれらの不法占拠と侵略意図に関心を示す「若者」が居ないどころか、政府でさえ長年「頬かむり」を続けている。こんな事で日本の国家主権が守れるのか?? 大きな疑問が残る。小筆の野田政権への期待は大いに裏切られた。「野田政権よ、お前もか・・・」という感じである。決断が鈍く時間が掛かる、不適切な閣僚人事、特に防衛大臣と消費担当大臣の任命と参院での問責決議無視を見ては、この内閣を見限った。「寄せ集め政党」、「烏合の衆」民主党の命脈はすでに尽きている、と確信している。
 今年のシドニーの夏は涼しい限り、初夏の輝きが感じられない。それでも「年末」は近づき、今夜は娘とオペラハウスでヘンデルの「メサィア」を聴きにいく。せめてもの気晴らしになるかも知れない、と期待しつつ・・・。

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