2012年12月23日日曜日

Blog-(35)

Blog-(35) 24-12-2012. 「パール・ハーバー慰霊祭」に参列して、  今年12月7日、71年目を迎えた慰霊祭に初めて参列、改めて「太平洋戦争」について考えをまとめる機会を得たことを感謝している。慰霊祭は、早暁6時、パール・ハーバー・ビジタースセンターのフォード島側の庭園へ入場、招待客二千五百余名と自主参列五百余名参集の下に、日本海軍第一次攻撃隊のパール・ハーバー上空到達時刻に合わせて式典開始、快晴下二時間余りの各種議事次第によって挙行された。  昭和16年12月8日(日本時間)、午前7時49分、真珠湾上空に到達した183機の第一次攻撃隊は、ワシントンDCでの「対米宣戦布告」文書手交予定時間の午後1時(ハワイ時間、午前8時)を待って、「トラトラトラ」の攻撃命令を発して攻撃を開始、続いて来襲した第二次攻撃隊の空襲も併せて合計350余機が、4時間余りをかけて真珠湾を空爆した。その結果、米海軍の空母三隻は逃したものの、米太平洋艦隊主力5隻の戦艦沈没を含む14隻の艦艇と航空機343機に損傷を与え、人員2402人の死傷者を出さしめて攻撃に成功し、対米戦争の緒戦を飾った。その後の経過は史実の通りで、日本の敗戦によって日米戦争は終結、戦後史が始まって今日に至っているので説明は省くが、ここで小筆が述べたいことは、私見ではあるが「太平洋戦争」に至った経緯と戦後のアジア情勢の変化についてである。  明治維新で鎖国を解いた日本は、「国家近代化」に努め、短期間で西欧列強と並ぶ国家になった事実は、人類史上の奇跡であった。碌な近代兵器も無かった徳川日本が、明治維新以後36年を経ずして、日清、日露戦争を勝ち抜き、第一次世界大戦では、疲弊した西欧列強に代わって世界を凌駕する大国にまで伸し上がったのは、幸運だけではなくて「民族的な資質」が為しえたものであった。第二次世界大戦以前に、世界水準を遥かに超える技術水準の国産航空機、戦闘艦艇、潜水艦はおろか航空母艦まで自力で製造したのは、米英と日本のみであった。その日本を脅威と感じた列強諸国の中に、辛うじて共産主義革命を成功させたロシアのスターリンがいた。彼は、共産主義での世界制覇を夢見てコミンテルンを組織、欧米列強や中国、東南アジア諸国に浸透させて、既存政府の弱体化を図った。しかし日露戦争を経験した日本の警戒心は強く、浸透が困難であった。そこで彼が考えた陰謀は、満州、中国大陸に進出し始めた日本軍部と米国を敵対させて「日本潰し」を図ることであった。米国政府中枢に三百余名のスパイを送り込み「反日政策」を画策させる一方、蒋介石の国民党を懐柔して「反日戦線」を築かせたのみならず、英米独をも唆して「抗日支援」をさせた。しかし腐敗した国民党では「抗日効果」が挙がらず、毛沢東を支援して抗日戦を組織させたが、したたかな毛沢東は「対日戦」を回避し続けて戦力温存を図るのみで、「日本の弱体化」には利用できなかった。そこでスターリンは、ルーズベルトの大統領府のモーゲンソー財務長官の下に忍び込ませてあったハリー・ホワイト財務次官を使ってコーデル・ハル国務長官(日本の外務大臣に相当)に「対日強弁策」を唆せて対日戦争を画策させた。   ホワイトを信用していたハルは、彼が示す難題を次々と日本に吹きかけた。その最たるものが、対中国戦の中止と満州国の解消のみならず、明治維新以後、日本が入手した「すべての領土」を放棄せよ、と迫るものであった。日本にすれば、米国に一切関係なく「自力で入手した版図」に「何故、米国が干渉」しなければならないのか? と反発したのは当然であった。難航する日米交渉とヒットラー・ドイツの攻勢に晒され続けたスターリンは、ホワイトに対日交渉の最後通牒となるべき「ハル・ノート」を日本へ手交させるべく指令を出した。ハルはこれを了承し、満州の鉄道網に並々ならぬ興味を持つ鉄道王ハリマンと親交があったローズベルト大統領に「建国以来の国是」であったモンロー主義を放棄させて、日独伊枢軸国への開戦を決意させたが、国民を納得させる材料にこと欠いていた。しかし、ホワイトの策謀は功を奏し、「窮鼠猫を噛む」がごとく、日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃した。日本海軍の暗号をすでに解読していた米国首脳は、この日の「攻撃開始」を知っていたが「攻撃地点」の認識に欠けていた。それが理由で日本軍の攻撃は成功した。かくしてスターリンの陰謀は成功して、米国は日本のみならず、独伊へも宣戦布告をして第二次大戦に参戦した。日本が対米英戦争に突入したために、ソ連領シベリアの安全が確保できたスターリンは、欧州での対独戦に専念することが可能になった。  因みに、このハリー・ホワイトは、戦後1948年、マッカーシー上院議員の「赤狩り」で有名になった「非米活動委員会」の公聴会に呼び出されて査問を受けた時に、「ソ連のスパイ」であったことは否定したが、翌日、服毒自殺をして果てたので、彼がスターリンの指令を受けていたことは「ほぼ、間違いない」と信じられている。米国全土を巻き込んだ「マッカーシー旋風」は、国内の破壊活動調査を名目に、政府職員、作家、芸術家、俳優や無名の民間人まで査問に巻き込み、全米に一大恐慌を吹き荒らして全国民を震え上がらせた。  目的を達成したスターリンは、1943年5月、コミンテルンを解散した。しかし、二年後のナチス・ドイツと日本の敗北は、戦勝国となった連合諸国間に相克を生み、スターリンも予想出来なかった戦後の「世界秩序」を生むことになった。ドイツの敗北により、東欧の武力による赤化が可能になって「ソ連圏」が拡大した。アジアでは、欧米諸国の期待に反して植民地各国が独立したために、英仏蘭は三百有余年にわたり享受し続けた莫大な資産と収入源を失い、米国はフィリピンを失い、中国大陸を網羅すべき「鉄道網」の夢も消え去り、アジア諸国すべての独立国で、待ち望んでいた「利権予測」が脆くも崩れてしまい、結果として「手元」に残ったのは、激戦を繰り返した旧敵国の日本だけになってしまった。スターリンにとって想定外であったことは、「米ソ冷戦」の始まりであつた。コミンテルン活動を通じて期待を寄せていた毛沢東中国は「反ソ勢力」となり、当然と思っていた朝鮮半島の赤化も北半分だけで終わったのみならず、金日成は「共産主義」とまるで無関係な独裁国家に化けてしまった。  その日本は、敗戦を境に「軍部独裁」から開放されたのみならず、すべての「戦争」から手を引き、平和国家として世界一裕福で民度の高い国家になって今日に至っている。スターリン以後のソ連邦は崩壊し、ホーチミンのベトナムは民主化を国是とし、共産中国も北朝鮮の崩壊も時間の問題である。対日戦争後の米国は、朝鮮、ベトナム、コソボ、湾岸戦争、イラク、アフガニスタン、等々、未だに「戦争」から足を洗えないまま、今日まで70余年間、米国民の「血税」のみならず、青年たちの「血液」そのものを世界中でばら撒き続けいるが、未だにイスラム圏からの敵対行為は軽減せず、彼らからの「テロ攻撃」に、日々戦々恐々としているのが現状である。  71年前の今日、ここパール・ハーバーで始まった太平洋戦争の勝利者は「一体全体、誰だったのだろうか? 」、こんなことを考えながら、延々と続く「戦後の米日協調」の成果と賛美を聞き流しながら、こんな「アイロニー」を想い浮かべた二時間であった。  今回の慰霊祭出席は、天台宗ハワイ別院の荒了寛大僧正からのお誘いを受けたもので、慰霊祭に参列される「世界連邦日本仏教徒協議会」の重鎮の皆様とハワイ在住の日系人の方々に「カウラ暴動」の悲劇とカウラ市民の日豪親善回復への尽力の経過と、2014年8月5日に開催する、カウラでの「暴動70周年慰霊祭」への出席をお願いするための訪問であった。  帰途、東京により「衆議院選挙」の経過と結果を観察した。小筆の予測通り、三年三ヶ月無為徒食を続けた民主党の「惨敗」の過程をつぶさに見ることが出来た。自民党安倍総裁の「個人的人気」によって集票した選挙結果は「自民党の圧勝」、日本将来のために「ひとまず安堵」はしたものの、まだまだ自民党内には「悪業に長けた老獪党員」がわんさと巣くっている。安倍総裁の舵取り如何で「旧自民体質」へ回帰する可能性も充分にあるので、今まで以上の国民の監視が必要であろう、なんて事を考えながら18日、真夏のシドニーへ戻ってきた。クリスマスと正月を終えると、また忙しい一年間が始まるはず・・・、親友の皆様の健康とより良き日々を祈願しつつ大晦日を迎えます。 Merry Christmas and a Happy New Year to all of you !! 小筆への連絡は、kentokura@hotmail.com Blogは http://goushutaro.blogspot.com/ まで、   

2012年10月10日水曜日

中韓のゴリ押しが、寝た子を覚ました、

Blog-(34) 10-10-2012. 「中、韓のゴリ押しが、寝た子を起こした。」  近年、中国、韓国の眼に余る「ゴリ押し」と解決の目途さえ立ってないロシアの「北方四島」の不法占拠には、流石に忍耐強い日本人も「国防力強化」を口にし始めた。戦後64年間、日本国民は太平洋戦争の後遺症である「自虐思想」の虜になって、「反戦」「反軍」「反核」、「反防衛力拡充」の殻に留まっていた。しかし最近、北朝鮮の恫喝、韓国の理不尽な反日、中国の反日暴動と海洋覇権の拡大、等々に脅威を感じた日本国民が、戦後永らく「自忍」し続けていた「国防力強化」を正々堂々と発言するようになった。その象徴が、自民党タカ派の安倍普三新総裁の誕生でり、石原知事の人気であろう。中国、韓国の理不尽な「ゴリ押し」が、結果的に戦後日本の「眠れる国防意識」を呼び覚まし「寝た子を起こしてしまった」結果を招いたと云えよう。  今を去る121年前の明治27年、建国間もない明治日本に、清国は「日本恫喝」と「帝政ロシア」牽制のために北洋艦隊を日本とウラジオストックに派遣した。当時、この艦隊の主力艦「定遠」と「鎮遠」は7千トンの超弩級の戦艦で、日本海軍の主力艦は3千7百トンの軽巡洋艦「浪速」しかなかった。北洋艦隊は、日本各地の港を歴訪して「強力な海軍力」を披瀝したのみならず、上陸した水兵たちが艦隊戦力を嵩にきて、無辜の住民のみならず巡査たちにも暴行を働いた事件があった。しかし、日本海軍幹部は、清国艦隊の士官や水兵たちの「未錬成」と「士気未熟」を冷静に見抜き、萎縮することはなかった。以後、海軍戦力の拡充を図り、人員の猛訓練により世界水準を遥かに凌駕する海軍に仕立てて日清戦争に大勝利を得た。当時の清国は、英国とのアヘン戦争の敗北で国内が騒乱に包まれて、民衆の反清暴動が各地に起こり、政府としては、どこか「弱い国」を見つけて戦争をふっ掛けて「勝利を国民」に見せることで国内の騒乱を鎮めようとした。しかし清国の意に反して、日清戦争の結果は清国の惨敗、4億テールの賠償金と台湾、澎湖諸島、遼東半島の割譲と朝鮮半島の「宋主権」まで失った後に崩壊して、240余年の清朝統治が終わった。  その直後、露独仏が「三国干渉」を行なって「日本の戦利賠償」であった「遼東半島」の清国への返還を強要して日本領有を放棄させたが、一年後にロシア自身が租借して「極東制覇」の足掛かりにした。その後ロシア帝国は、朝鮮半島を含む東アジアに対して、飽くなき「南下運動」を続けたために、日本はこれに対抗すべく英国と「日英同盟」を締結した後、明治37年に日露戦争を起こした。この日露戦争でも、日本軍の高い規律と士気は、露軍を遥かに上回り、世界の予想に反して大勝利を得て、日本はロシア勢力を極東から駆逐した。結果として、この敗北が原因で帝政ロシアは、共産党革命によって消滅した。しかし、新生「ソ連邦」の共産主義拡張が始まったために、日本は東アジア「防共」の防波堤として「満州国」を築き挙げて、日本自身のみならず朝鮮半島、中国大陸をも含むアジア全域の「赤化防止」に成功した。  明治31年、米西戦争で、フィリピンをスペインから強奪したアメリカは、日本と中国を含むアジアへの「資源収奪と市場拡大」を狙っていたが、維新後急成長を成し遂げた日本が、米国の国益を阻害する存在となったために、米国内で「反日政策」を推し進めると共に、日米開戦の策謀をめぐらせた結果、日本に対中進出のみならず満州国解体まで要求する無理難題を押し付けて、「日米開戦」に追い込むことに成功した。結果として米国は、日本を叩きのめして日本と朝鮮半島南半分の覇権を握ったが、戦争目的であった「中国大陸」と「アジア諸国」への権益伸張は、米国の予想に反した毛沢東の「中国共産化」と、日本進攻によってアジア植民地全域が「独立」を成しどけてしまつた結果、「アジア支配」の野望は失敗に終わった。その後米国は、「反共ヘゲモニー」の旗印を掲げて米ソ冷戦に入り、以後、朝鮮戦争、ベトナム、ボツアナ、イラク、アフガニスタン、等々と、継続する戦争に「国力」を疲弊させたまま今日に至っている。  現在の「中華人民共和国」は、中国共産党「一党独裁支配」の私的な国家であり、国軍であるべき「人民解放軍」は、中国国家の軍隊ではなくて「共産党の私軍」である。何故なら、中国政府の要人は、すべて共産党設立のエリート最高学府「中央党校」の卒業生(当然、全員が共産党員)のみから選ばれており、一般人民には自らの政府を選ぶ「選挙権」も立候補する「被選挙権」も与えられていない。人民解放軍幹部も、全員が「党員」であることが「絶対条件」である。この完全独裁制度下の共産党政権の幹部たちが、中国大陸の歴代帝国にも勝るとも劣らない「腐敗」と「汚職」で機能麻痺に陥り、「人民」と呼ばれている国民の支持を失いつつあるのが現状である。全国各地に職の無い遊民、反政府的な少数民族、「黒子供」と呼ばれる戸籍の無い人口、等が、すでに全人口の20%を超えていて、総てが「反政府運動の温床」として育ち、事ある毎に「反政府暴動」を繰り返しているのが現状である。政府はこの温床を潰すのに「公安組織強化」(警察力)、「スパイ制度」と「密告制度」敷き、反政府「言動の抑圧」に余念の無い時代に入って久しい。  中国政府は、人民の反感と反政府運動の激化を逸らさせるために、絶えず「外敵」を仕立てて「反政府意識」を「外国敵視」に向けさせるのを常習している。中国政府が「窮状」に陥る度に「反日デモ」を起こさせて、人民の「反政府意識」を「反日行動」でガス抜きをさせているのがその証拠である。まさに、中国大陸「歴代帝国」の末期的症状を踏襲しているといえる。その典型例が、確たる理由も証拠も無く尖閣諸島の「中国所属」を「歴史的事実」とまで吹聴して暴動を煽り、デモと破壊を焚きつけた上に、「愛国有理」の元に犯罪者の取り締まりも逮捕も停止しているのも、実は人民の反政府感情を「反日」に向けて発散させている好例である。共産中国は、その誕生から有産階級の資産を「国家名義」で強奪し続けてきた「無法国家」であるが、今では「甘言を以って呼び込んだ外国資産」の強奪に専念し始めて、全世界の民主的な国家から蛇蝎のように嫌われ、顰蹙を買う国家に成り下がってしまった。その共産中国が、海底油田が有望な尖閣諸島を中国領有地だという「無体な主張」を日本へ吹っかけ続けた結果、中国が一番恐れている「日本の軍拡意識の高揚」に繋がってしまった事に、今だに気付いていないのが現状である。  「戦力無き国家は、独立国にあらず」この教訓は、今こそ生かされるべきで、中国、韓国、北朝鮮が「武力」を背景にして「ゴリ押し」をするのは、「日本の武力」を過小評価しているためである。日本は当然の権利として、「相応の対抗策」を講じる必要がある。「日米安保」は、東アジアの安寧と秩序を願う米国政府の「保安秩序」で決まる。果たして日本の希望通りに「米軍」が稼動してくれるかどうかは未知数で、最悪の場合でも「日本独自の対応可能」な状態にしておくのが「独立国」としての必須条件である。そのためには、自衛隊の「国軍化」とそれに伴う「憲法と諸法」の改定と整備を早急に実施する必要がある。場合によっては「核装備」も容認すべきである。平和憲法を前提とする「日本の対外姿勢」は堅持しつつ、「核脅威」には「核武装」で対抗する事が、逆に「世界平和」の維持に繋がることを日本国民のコンセンサスとして確立すべき時代が到来している。核兵器を所持しても、それを「使用、不使用」は、日本政府の意思次第である。「日本に核兵器を使わせないように」にする事が、日本周辺国の「アジアの平和持続」のための「原則」になるはずである。  「南鮮」に対する北朝鮮、「台湾」に対する中国の「併呑意思」も、韓国の竹島、ロシアの北方四島の不法占拠も、今だに続いている。中国による尖閣諸島領有の野心は、すでに彼らが広言している通り「武力を使ってでも奪還する」意向を明らかにしている。特に、危惧すべきは、中国軍部の「暴走」である。共産党の若きエリートとして育成された軍幹部たちは、「戦争の悲惨も痛み」も知らない。日常絶えず共産党文官の下で「押さえ続けられている」彼らの「不満」が、これを機会に「暴発しない」という保証はない。彼らの暴走を抑えうるのは、中国政府では無くて、日本の「より強力な対抗手段」、すなわち「核武装」しかない。彼らすべての覇権意思を打ち砕くのは、日本の核装備が有ってこそ実現が可能なのである。  「世界平和」の実現は、人類共通の願いである。しかし、それに便乗して「恣意」を働かせる国には「武力」をもつて対抗するのが、人類普遍の原理「国家防衛」である。戦後67年、日本は、平和に対する強い願望と軽装備の国防力によって、世界唯一の「平和国家」としての立場を維持し続けてきた。しかし、その日本の意思は、中、韓、露、北朝鮮、には決して尊重されず、彼らの貪欲な領土覇権によって蚕食されている。日本は、彼らからの「主権侵害」に、それなりの対応をとる必要に迫られているのである。  現在の民主党政権には、日本の「国益保全」が期待出来ないことはすでに明白であり、維新の会の外交概念も確立されておらず、その他の弱小政党は論外である。しかし、日本の国益保全は緊急課題であり、早急に必要な対応策を講じなければならない。そのためには、「国益保全」を表明している「安倍普三自民党新総裁」か「石原都知事の愛国心」に期待を寄せるのは当然なことである。  小筆は、自民党も民主党も、その他の「弱小政党」の存在価値を全然認めていない。しかし、現在の「国家緊急事態」を見るに付け、ささやかな希望を託する政治家として、安倍普三か石原慎太郎しかいないと思っている。さて皆さん、「日本の主権」を命がけで守るか、「平和憲法」を遵守して「外国の奴隷」になるのか、ここが思案の為し所である。 初夏シドニーも「憂国山積」で涼しい限り、熱燗が懐かしい日々でもある。豪洲太朗 ご意見は、kentokura@hotmail.com で、 Blog通覧は、http://goushutaro.blogspot.com/ でご検索下さい。

2012年9月1日土曜日

Blog-33.「在日外国人参政権」に反対する、

Blog-(33). 1-9-2012. 「在日外国人関連三法案」に反対する。  現在、民主党政権が成立させようとしている「在日外国人参政権付与」「外国人住民基本法」「二重国籍容認法」に断固反対する。  民主党中心に在日外国人対象の上記、三法案の「立法化」が検討されているようだが、小筆は断固反対である。理由は、日本の地政学的な状況にある。現在、「在日朝鮮系住民」は60万余人、「中国系住民」は百万人近くいるらしく、彼らが特定の地域に集中して居住している事と、「日本国籍」を取得しない理由が不明瞭であるからだ。私は、オーストラリア在住33年を過ぎようとしているが、オーストラリアの国籍取得時には、当然のことであるが「国家としてのオーストラリアと国家元首であるエリザベス女王に忠誠を誓う」儀式がある。日本人である私は、日本の国家元首であらせられる「天皇陛下」を差し置いて、他国の元首に「忠誠を誓う」ことは出来ないという理由で、「未だに日本国籍」のまま「永住権」を戴いて生活してきた。現在のオーストラリアは「複合移民国家」で、本来のアングロサクソン系住民は、総人口2千3百万余の内、36%切っており、すでに「英国系国家」とは呼べない国になっている。このオーストラリアにおいてさえも、公民権の行使である「選挙権」と「被選挙権」は、「国家と元首に忠誠を誓った」オーストラリア国籍の国民にのみに与えている。従って、自分はオーストラリアでの永住者であり、納税者であり、且つ「オーストラリア永住の良民」であると自負しているが、オーストラリア国民でないために「公民権」を要求するような僭越な行為をしょうとは思っていない。  過去、オーストラリアは、海外からの「移民」、特に「政治的避難民」を多く受け入れてきた。太平洋戦争終結時の人口は、7百万人弱、その99%が英国からのアングロサクソン系で占められていた。大戦中、ヒトラーに迫害されたユダヤ人を「政治的難民」として受け入れたのが、アングロ系以外の移民の始まりで、以来、ソ連侵攻で難民となったハンガリー人、ベトナム戦争終結後のベトナム難民、セイロン、パキスタン、バングラディッシュからの「ボート・ピープル」等々、多くの「難民」を受け入れると共に、人口増加政策で欧州系移民も多数受け入れてきた関係上、彼らが「人種ごとに」集まって自然発生的に形成された「エソニック・コミュニティー」(民族的集住地)が各地に存在している。欧州系、近東系、華僑系、韓国、ベトナム、インド亜大陸、南米系、等々、誠に多彩で、まさに典型的な「複合移民国家」を形成している。彼らの殆どが「オーストラリア国籍」を取得しているために、当然「選挙権」も「被選挙権」も持っており、エソニック・コミュニティのある「地方自治体」では、それらのグループを代表する市会議員、市長、州議会、連邦議会議員、等が多数選出されている。現在のジュリア・ジラード連邦政府首相は、四才の時、英国のウェールズから移民してきた「帰化人」である。  オーストラリアの移民たちは、地理的な関係で本国から遠く離れており、本国からの政治的な影響をほとんど受けていないが、中には、コソボ紛争で「人道に対する戦犯」容疑者やイスラム教系のテロリストが紛れ込んだ事件はあったものの、基本的にはオーストラリアの国益との葛藤は殆ど見られない。ただし、小さな地方都市では、オーストラリアでの生活や、英語に充分習熟していない「移民系市会議員や市長」が出現して、今日までの生活習慣や慣習が合法的に変更されて困惑している市町村も存在している。  しかし、日本の場合は永住者「受け入れ環境」が異なる。朝鮮半島系、中国系の地方議員が出現した場合、日本のためでは無くて、彼らの「母国や同胞の権益」のために活動する恐れが多分にあるのだ。その上、彼らは日本人と異なり、皇室にも国旗、国歌に対しても尊崇の念を抱く習慣が無い。現に、帰化人系の国会議員たちが、日本の国益よりも「彼らの母国の権益」を優先させて活動しているケースが多々見られる。小筆はFace Book の仲間入りをして一年近くなるが、色んな情報に接する機会があって大変有意義に思っている。その中でも、特に印象深かったのは、日本の国会議員で「帰化人、帰化人系列、両親又は片親が外国籍」である議員たちの表であった。彼らの行動、発言、提出議案、等と、この「出自表」を対比すると、かなりの部分で、日本の国益よりも「出身母国優先的な行動」を取っている事が見られる。ひとつのショッキングな例は、ある民主党の大臣経験のある女性議員が「バッテンを書いた日本国旗」を背に、口にバッテンを貼った朝鮮服を着た数名の女性たちと一緒に撮っていた写真を見た時であった。ハングルで書かれた意味は不明であったが、想像するに、日本政府の「従軍慰安婦」問題対応を非難していたのであろう。その他にも、Face Book の、K. Kinoshita 氏の投稿記事で、「娯楽産業健全育成研究会」と称するパチンコ業界の「顧問者リスト」を見た。その数は、民主22、自民10、国民生活6、他、計43名となっている。国会議員とパチンコ業界の接点は「献金」しかないのは明白で、この業界は「北朝鮮」の資金源となっている。6%近い国会議員がパチンコ業界に「たかっている」ことになる。献金の見返りに参政権と永住権を与える、という約束が無い、という保証があるだろうか? 臭気ぷんぷんとはこの事で、売国行為とはこの事を云う。  世界中の移民関連史の中で、最も特異な例は、第二次世界大戦時、アメリカ在住の日系二世のみで編成された「米国陸軍442連隊と第100部隊」の活躍である。彼らは、激戦中の両親の「母国日本」と、自分たちが生まれ育ち、教育を受けた「祖国米国」との戦争に苦悩した結果、対日戦線には参戦しないが、独伊枢軸軍と戦う欧州戦線でなら喜んで戦う、という結論を出して「志願兵」となり最前線へ出た。彼らの活躍は目覚しく、幾多の激戦を勝利に導き、その間の戦死、戦傷率は、他の米軍部隊を遥かに凌駕した。結果として「米国陸軍史上」最大の活躍をして、史上最多の部隊感状、個人叙勲を受けた部隊になった。彼らは、反日感情の渦巻く中、自分たちの血を持って「日系アメリカ人」である事を証明したのみならず、「日系米人」としての「尊厳と確固たる地位」を勝ち得た。今日までの米国の歴史で、特定の移民系子孫がこれほどの大活躍をした例は見られないし、ましてや、日系よりも遥かに在米人口が多かった中国系、韓国系男子の集団参戦の記録は無い。この例を見ても、現在、民主党が立法化しようとしている「在日外国人参政権」、「外国人住民基本法」と「二重国籍容認法」が、たとえば日中、日韓、日本対北朝鮮との間で、一旦緩急あった場合、彼らが、「いかに反応」し、「いかなる対応」をするかも充分に考慮する必要がある。  米国もオーストラリアも [Naturalization] (国籍取得)の条件として、年齢、一定期間以上の「国語に習熟した」永住者、健康体、無犯罪証明、憲法遵守、兵役義務、母国籍放棄、等の諸条件と義務条項があり、その上、最も大切な条件として「国家への忠誠誓約」が要求されている。しかし、日本の現行帰化法、国籍取得法には「国内法遵守」を求めているだけで、「新日本人」としての国家への「忠誠誓約」は求められていない。そもそも世界中で、居住外国人に「公民権」を与えている国は、韓国と北欧の四カ国のみである。韓国の永住権は金で買えるが、北欧諸国は「永住権取得」自体が不可能に近いほど困難である。しかるに、現在、民主党が進めている「在日外国人参政権」付与には、それに付帯する厳しい遵守義務条項は、現有の国籍法と帰化法しかない。それで無くとも、日本は「永住権取得者」に「生活保護者手当」を支払っており、その大半が朝鮮半島系、中国系住民が受益者であると聞いている。オーストリアでは、「永住権取得者」でも「国籍取得者」でも、「十年間以上の納税実績」がなければ、「生活保護」「失業手当」「医療保険」「養老年金」「敬老特典」等々、一般のオーストラリア国民が享受している一切の恩恵は受けられない。  現在、民主党が意図している「在日外国人参政権付与法」は、多数の在日半島系人や中国系住民が住んでいる地方自治体の行政に与える影響が余りにも大きすぎるのみならず、「帰化人系」と彼らの「シンパ」を装う議員たちには誠に有利に働き、地方、都道府県、国会議員たちの選出を大いに「歪める」ことになることは明白であり、日本の「国益」に反する議決権を各層議会に与えることになる。先日問題になった米国、パリセズ・パーク市での「従軍慰安婦碑」設立は、人口二万余りの平和な地方都市に、韓国系住民が52%も入り込んできて、市長、市議会議員等を韓国系で占めてしまった結果であった。彼らは「正式に米国籍」を取得した韓国系米人ではあるらしいが、彼らの「反日行動」は、米国社会全般からは決して容認されている問題ではない。外国人参政権付与には、このような「国家の総意に沿わない」政治的行動が起こされる可能性もある。反日教育、北朝鮮に忠誠を誓わせている「朝鮮人学校」への批判は当然であるが、多くの日本人は、終戦直後、「朝鮮系元日本人」が急変して、我々は「戦勝国民」であると称して、日本全国で傍若無人な暴力行為をもって暴れまわった史実を決して忘れてはならないし、併せて、3.11東日本震災の折に、在日外国人の殆どが母国へ逃避した事実も忘れるべきではない。  併せて、この立法によって「利益を受ける在日外国人」の殆どが「日本を愛しているから滞在」しているのではなく、彼らの「生活の便宜上」長期滞在をしている事実にも注目する必要がある。従って、「日本在住5年間で永住権」、その上、「二重国籍を認める」などは、飛んでもない事であって、民主党の「真意」を疑わざるを得ない。我々の日本は、「日本人と心から日本を愛する者たちだけの国」であるだけで充分である。という理由で、小筆はこの民主党提案の在日外国人に関する「三法案」に断固反対するものである。  オーストラリアは今日、九月一日から「春」。窓外では心地良い「春一番」が吹いている。 ご意見等は、kentokura@hotmail.com ブログ閲覧は、http://goushutaro.blogspot.com/ でご検索下さい。

2012年8月21日火曜日

Blog-(32) 隣人、漢民族。

Blog-(32) 21-8-2012: 「隣人、漢民族」  最近、日本の近隣が、やけに騒がしくなってきた。北方四島、竹島、尖閣諸島のことである。ロシア、韓国、中国、台湾、共に「国権」の問題としてよりも「欲の皮」が突っ張った「主張」が原因で連鎖反応を起こしている。ロシアには「金が無い」、韓国は「金が欲しい」、中国は「海底資源」に眼が眩んだ結果であり、それに便乗して騒いでいるのが「漢人系台湾人」と「金で動いている」香港系である。この騒動の中で、最も危険な中国、漢民族の「中華思想」について私見を述べる。  漢民族の起源はよく解らないが、約六万年前頃、北京の北方「周口店」付近に居住していた「北京原人」が始祖らしいと云われている。漢人の遺伝子は、およそ4個から5個、朝鮮半島系も同じ数だが、日本人の27個に比べて非常に少なく、この4個の遺伝子配分を持っている「人種」を「漢民族」と呼んでいる。しかし、中国大陸に住む漢人は、地域によってまるで異なる「方言」を話すし、体格や性格にもそれぞれ特徴がある。北方系は大柄で、「鷹揚、のんびり」型。南方系は、小柄でせっかち、その上非常に短気で怒りやすい。彼らの方言は、北方から「北京語」、「上海語」、「寧波語」、「湖南」、「福建」、「潮州」、「広東」、「雲南」、「客家」、等々、彼ら同士で「会話が出来ない」ほど異なった方言を話すので、到底彼らが「同一民族」であるとは思えない。   しかし、彼ら全般に共通しているのが「中華思想」である。中華思想の淵源は、西暦221年に秦の始皇帝が「漢民族」を統一して漢人帝国「秦」を建国した折に、紀元前5世紀頃、孔子が説いた「五輪五常の教え」を中華思想として、秦帝国の国是とした事に由来するらしい。その後、幾多の変遷を経て、今日の「中華人民共和国」に至っているのだが、異民族である蒙古族、満州族に支配された350余年間も営々として、この中華思想だけは保ち続けてきた。  では、中華思想とは一体全体「何もの」であるのか? 一言で表現すれば「自分たち漢民族が世界の中心で、すべての文化は自分たちが発信している・・・」とする考えである。彼らに云わせれば、漢民族以外は、すべて文化程度が低く「獣の類」であるとする「唯我独尊」的な鼻持ちならない思想である。我々日本人は、朝鮮人と共に「東夷」(東方に住む未開人)であり、西域人は「西戎」(西方に住む猪)、北方人種は「北てき」(北の野獣)、東南アジアや西欧人は「南蛮」(南方の蛮族)である。従って、まともな人間である漢人の国「中華帝国の行為」はすべて「正」であり「善」であって、周辺諸国の「野獣や蛮人種族」は、中華の中心をなす「漢民族」に従属して「朝貢」をするのが当然である、としてきた。  確かに漢人が誇る「中華思想」には、それなりの理由があった。人類史上の三大発明、火薬、羅針盤、印刷機、は漢人の発明であり、車輪も漉き紙も、あのややこしい「漢字」も彼らの工夫であり、万里の長城を作る実力もあり、国家行政を「科挙試験」の合格者で組織化したのも彼らであった。西欧、近東、東アジアが、未だ混沌としていた時代に、秦、宋、隋、唐、元、明、清、と次々に「帝国」を成立させてアジアに君臨してきたのも史実である。  しかし、彼らの「帝国」の終焉は、すべて一致している。各帝国崩壊の共通点は、無能な「皇帝の継承」とすざましい「官僚汚職」に抵抗する「底辺民衆」の反乱が原因であった。その上、中国の歴代「帝国」には、漢民族としての「継承性」が無く、往々にして野盗の類が時勢に乗って皇帝になった。新帝国は、前帝国の歴史すべてを否定することから発足するのも常態であった。底辺民衆の反乱とは、蒙古政権「元」の崩壊原因となった洪秀全の「紅巾の乱」、明代の鄭成功の反乱、清の太平天国、義和団、武昌起義と辛亥革命が起こり、その間、西欧列強、帝国日本が中国大陸に侵攻したために清国が崩壊した。すると、地方軍閥が乱立して国内が騒乱状態になり、広東軍閥の蒋介石、共産党軍閥の毛沢東と劉少奇たちに日本軍が絡み「三つ巴」の内戦になった。その後、帝国日本が米国との戦争に敗れたために、蒋介石軍と毛沢東軍の決戦になったが、蒋介石軍の首脳部と官僚たちが棲ましい汚職に塗れた事で、継戦能力を失った蒋介石軍が敗退して台湾へ逃亡したために、毛沢東たち共産主義者の「中華人民共和国」が成立した。建国と同時に国内の権力闘争が始まり、東北地方の雄、嵩岩が破れ、林彪が死亡、劉少奇が獄死して、毛沢東が天下を取った。その間、共産党が国家建国の英雄譚とする延安への「大西遷」(長征)が、実は圧倒的な蒋介石軍からの逃避であり、彼らが誇る道中での「人民解放」が、実際は共産党首脳と共産軍温存のために、途上の地主や資本家から食料、財産を略奪して、運べない土地のみを小作人たちへ分配した、という真相が判明してきた。建国後は、国家としての収奪が始まり、組織的に地主、資本家を「人民裁判」にかけて殺害して彼らの財産を国家として簒奪した。その死者数は二千万人以上と云われている。その後、毛沢東の農政指導の失敗から、農民を中心に三千万人が餓死した。その結果、政府首脳部の反毛勢力が増えてくると「文化大革命」と称して、子供たちを利用して全国を巻き込んで「反毛勢力」を駆逐する大騒動を起こして「親毛勢力」の温存をはかった。その時、共産革命の盟友であった劉少奇を始めとする無数の古参党員のみならず、無辜の庶民たちまでをも巻き込んで「造反有理」(反乱にも理がある)の掛け声で殺害した犠牲者は、三千万人に上るとされている。毛沢東の自然死後、彼ら「革命指導者たち」の最後の一人「とう小平」が死ぬと、「太子党」と呼ばれる革命指導幹部の子弟たちが、親のコネを使って「利権集団」を作り蓄財を始め、政権枢軸を支配し始めた。その専権勢力に対抗するために、実力で這い上がってきた「共青団」(中国共産主義青年団)出身グループとの権力争いが始まったばかりである。  統計上13億人を超えた「人民」の八割が貧困層であり、国富の80%以上をたった3%の富裕層が支配しているのみならず、1979年に開始された「人口抑制政策」(一人っ子政策)により、一千三百万人以上の「黒ハイズ」と呼ばれる「無戸籍者」が発生し、農地を失った農民、二億三千万人が職の無いまま「農民工」(流民)となって国内を徘徊している。その上、一般的に「反政府的」だと云われている「少数民族」、チベット、ウィグル、チワン、回族、満州族、等、55種の少数民族が合計一億人近くも住んでいる。北京政府の弾圧に反対して「焼身自殺」を繰り返しているチベット族、漢族の侵入に抵抗するウィグル族、等々、何か「政変のきっかけ」があれば「独立を企てる」少数民族の存在と農民工、無戸籍者たちは、「潜在的反政府勢力」であり、現在の共産党政権にとっては最大の危険分子であり、決して眼が離せないのが現実である。現在の中国政府が最も警戒しているのが、社会底辺で大衆の支持を獲得しつつある新興宗教団体「法輪巧」で、歴史上の革命勢力の始源となった「紅巾」、「太平天国」、「義和拳」等の革命的宗教集団に発展することを恐れて、徹底的な弾圧を加えているのが現状である。  それに加えて、中央政府のみならず地方政府の官僚たちまでが自分たちの官権を利用した、棲ざましいばかりの「汚職」を繰り返す壮絶さは、すでに歴代帝国終焉期の規模を遥かに超えてしまった。今年一月六日、共産党、党規検査委員会の発表によると、「90年代半ばから2008年にかけて二万人弱の汚職官僚が国家資金、日本円換算で約12兆円を持って海外へ逃亡した」と発表した。しかしこの数字は「氷山の一角」に過ぎず、もっと多くの官僚たちが何らかの方法で不正貯蓄をした膨大な資金を海外に逃避させている。これが現在中国の実状であり、人口の底辺を構成している29%、三億五千万人余りの「人民の不満」は、すでに限界に達しており、その「ガス抜き」に国内の不満の捌け口を「反日」で晴らさせているのが現状である。  小筆のもう一つの「心配事」は、中国軍部の台頭である。朝鮮戦争で連合軍と戦った経験を持つ軍人はすべて引退乃至は鬼籍に入り、すでにいない。その後、育った「実戦を知らぬ軍人たち」が現代中国の軍を動かしている。彼らは「理論的エリート軍人」として軍の中枢を占めているが、軍は「共産党の私軍」であり、指揮権は党中央の下に置かれている。彼らにとって面白くない事は、彼ら自身も「太子党」や「共青団」の一員であるのに「党幹部」の指揮下に置かれている現実に不満を抱いている事である。彼らには武器があり、兵隊がいる、それを使えば「政府転覆」などは「朝飯前」の行動である。あと5年もすれば「小皇帝」と云われる「一人っ子政策」で我儘の限りを尽くして育った世代が天下を取る時代に入る。その折に、軍の鬱憤を晴らすために、彼らが「暴発」しないという保障は無い。クーデターに始まり、対外戦争を引き起こす恐れは充分にある。その対象がインドになるかベトナムかロシアであるか、或いは日本になる可能性も排除出来ない。核兵器を持った狂人国に変化した時の「中国」を恐れるだけではなく、その「対抗策」を今から充分に準備することが肝心であることだけは間違いない。  こんな事を考えながら「平和なシドニー生活」を楽しんでいるだけでなく、不甲斐無い民主党政権の行く末も併せて思索しながら、悶々の内にも日々ワインだけは楽しんでいる。 小筆のブログ通覧は http://goushutaro.blogspot.com/ で「豪洲太朗のシドニー通信」を検索、連絡は kentokura@hotmail.com へお寄せ下さい。

2012年6月15日金曜日

Blog-31. 隣人を哀れむ、その二。

Blog-(31) 17-6-2012. 「隣人を哀れむ」、その二。  今回は、北朝鮮について私見を述べる。  朝鮮半島は1910年、日本の統治下に入るまでは、アジアでも、一、二を争うほど貧しい国であった。李王朝にはインフラ整備など念頭に無く、どう見ても「文明の欠片」もない国であった。西欧の植民地になっていたアジアには「西洋人住民たちのため」の文化施設を作ったが、宗主国の明や清は「朝貢」さえ届けていれば、それだけで満足していた。人口も確かな統計などはなかったが、およそ750万人前後で推移していたとされている。その85%以上が、人権も自由も無い、無知文盲の奴婢、奴隷、農奴階級であった。  その朝鮮半島が近代文明の恩恵に接するのは、1894年の日清戦争で日本が勝利した結果、清国の冊封から開放されて「独立国」、大韓帝国になり、「日本の保護下」に入った以降であった。当時、すでに帝政ロシアは朝鮮半島併合を赤裸々に示し、あらゆる手段を講じて李皇帝と一族を篭絡して傘下に収めようと努めていた。皇帝一族は、清国に代わる保護国を日本以外に求めたために国内の動揺が収まらず、結果的に欧米諸国の「同意」のもとに「日韓併合」となった。それ以降は、前回の「その一」で述べたとおりである。  さて、朝鮮半島の北半分である。日清戦争以後日本は、大韓帝国との合意により、「半島近代化」に努め、併合以前から半島を網羅する「鉄道敷設」に努め、次々と幹線鉄道、支線等を敷設して、併合期間35年間余を合わせて五千キロにも及ぶ鉄道網を連結させた。その主力は、鉱物資源が豊富な北朝鮮におかれ、後に満鉄とのネットワークを完成させた。鉄道敷設と共に各地に鉱山が開発され、各種重工業と化学、紡績工場等が進出して「超近代的な工場」が次々と建設された。その象徴が日本窒素、日本製鉄や三菱製鉄の工場であり、これらの規模はすべて東洋一を誇るものであった。これに関連した通信設備が充実され、必要な電力を供給するために満州との国境を流れる鴨緑江と豆満江に水豊発電所を始め、5ヶ所に世界規模のダムと発電所を建設して、その電力は北朝鮮のみならず南朝鮮を含んだ需要を満たした。総督府は、さらに別の5ヶ所にもダムと発電所を建設中であった。重工業製品は、鉄道網と海路によって朝鮮国内のみならず満州、日本、台湾の他、世界各地へも輸出されたので、北朝鮮地区住民の給与所得が急激に伸張し、生活水準は農業を主体とする南朝鮮よりも遥かに豊かになった。各種産業で必要とされる従業員や工員育成のために、各地に工業、商業学校が設けられ、中等教育以上の技能習得に力が注がれた。  当時の朝鮮半島の「経済成長率」は、年間4%に昇り、日米の3%, 欧州の1%を凌駕するものであった。雇用人口の増加は、各家庭の生活向上に繋がり、朝鮮半島の人口は日本統治時代35年余りの間に急激に増加して、併合前の3倍半近くになっていた。小学校、中等学校への就学率は、併合以前の1%から61%にまで上昇した。医療施設の充実から、国民の衛生管理が行き届き、人口も1942年には750万人から2,553万人まで増加した。その平均寿命は、併合前の24才から45才に伸び、日本の52才に迫る勢いであった。当時の日本は、国民病とも云われた「結核」が克服出来ず、比較的短命であったが、朝鮮半島の風土が「結核菌」の繁殖に適さなかったのと、医療の充実が結核による死亡率を極端に低くしていた。  日本併合後9年目に、朝鮮人たちによる独立希求運動「3.1事件」が発生した。この事件は、たちまち半島全体におよび、総督府は「憲兵隊」を出動させて鎮圧、8千4百人余りを逮捕した。その間の死者は553人、その多くは「内ゲバ」で殺害された、との事であった。それでも、検挙者の最高刑は3年以下と比較的軽い懲役であった。以後、総督府は「軍政」から「民政」に切り替えて統治を継続した。逮捕を逃れた少数の扇動者たちは鮮満国境の山林地帯に逃れて「抗日運動」を続けた事になっているが、実際は山麓や沿海州で生活する朝鮮人や中国人部落を襲って、食料や生活物資を強奪する「山賊」に過ぎなかった。その中に「金日成」と名乗る「老齢」のリーダーがいた。彼は、結果として日本の敗戦まで生き延びたらしいが、朝鮮半島では秘密裏に「抗日英雄」として知られてた「幻の存在」であった。  1945年8月15日、日本の敗戦により、北緯38度線を境に朝鮮半島は二分され、北はソ連軍、南は米軍が占領した。北朝鮮に進駐したソ連軍は、朝鮮人中尉で「朝鮮語とロシア語」の通訳をしていた男に、伝説的な「抗日英雄、金日成」を名乗らせて、「朝鮮人民民主主義共和国」の主席に祭り上げて北朝鮮支配を試みた。この野心満々な男は、半島の「北半分」では満足せず、南北統合を夢見て、ソ連軍から大量の武器の供給を受けると共に、北鮮在住の青年たちに軍事訓練を施して「歩兵10個師団」、20万人に近い兵力を作り上げると共に、ソ連軍から供与された戦車、240輌、航空機211機さえ所有した。その上に、中国の共産党軍で「国共内戦」で実戦経験を積んでいた「朝鮮系中共軍部隊」も併せ持って南朝鮮への侵攻の機会を窺った。  南朝鮮では、日本統治時代ハワイに亡命していた李承晩が米軍の手引きで南鮮に帰還して、対抗馬となり得るライバルを次々と葬って「大韓民国、大統領」になった。野心に燃える彼も、南北統一を夢見て米国と「武器供与」の交渉を続けたが、米国は南北間の「武力抗争」が「米ソ戦争」を誘発する可能性があるために拒否した。その結果、彼は日本軍が残した戦車、航空機なしの「軽装備」で、歩兵8個師団、1万6千人を揃えたのみであった。  日本の敗戦から5年目、1950年6月25日未明、北鮮軍は38度線を超えて南下してきた。備えの薄い南鮮軍は、戦車を先頭に進撃してくる北鮮軍に対抗出来ず、たちまちの内に各所で撃破されて一週間も経たぬ内に半島南部の釜山地区まで追い詰められた。その間、逃げ惑う南鮮軍は、李承晩大統領の命令で、各地の容共的な「保導連盟員」や「労働党」関係者、約20万人を殺戮しながら撤退した。自国の軍隊が自国民を殺戮した「保導連盟事件」として記憶されているが、休戦までの民間人犠牲者は133万人に及んだとされている。北朝鮮軍も、占領した各地で「反共的朝鮮人」として250万人以上の同胞を殺害し、戦禍の犠牲者総数は三百万人を超えたと云われている。朝鮮人同士の覇権争いで「無辜の同胞」を殺戮した両軍の残忍性は、後にベトナム戦争に参加した韓国軍が、ベトコン捕虜や民間人婦女子、幼児に対して実施した大規模な暴虐と殺戮の残忍性と併せて記憶されるべきであろう。  日本にも「内戦」はあった。明治維新である、しかし、官軍も幕府軍も「民間人」には一切犠牲を強いなかった。日本史上、政権側が庶民殺害に手を下したのは、織田信長の「一向宗一揆」の信徒殺害と徳川幕府の「島原の乱」鎮圧のみで、この朝鮮戦争における「南北両軍の自国民大量殺戮」は、世界史的に見ても異常としか云えないほど凄惨なものであった。 その間、南鮮軍は売春婦を組織し「特殊慰安部隊」を編成して、夜間前線へ送り込み、南鮮軍将兵のみならず、国連軍将兵たちへも「性の奉仕」をさせていた事実も明らかにされている。現在の韓国人たちが「反日運動」の梃子にしている「従軍慰安婦」問題も、彼ら自身が保有していた「軍直轄の慰安婦部隊」が「想像の原点」になっているのかも知れない。  朝鮮戦争は国連軍の介入により、南鮮に侵攻した北鮮軍は38度線以北に追い戻された。南朝鮮の首都、ソウルを奪回した南鮮軍は、ソウル住民多数を対北協調者として処刑した。北鮮領内に押し戻された北朝鮮軍の疲労度は極限に達し、銃砲弾も食料も尽きかけており、継戦能力を失っていたためにいとも容易く、鮮満国境まで追い上げられた。その時、中共志願兵部隊、140万人が参戦して「人海戦術」を繰り返したために形勢は逆転し、国連軍は38度線近くまで押し戻された。結果として「休戦協定」が成立して戦闘は停止されて、今日に至っている。  国内は南北朝鮮を問わず、この戦乱によりすべてが破壊し尽くされ、日本が36間年近くもかけて膨大な資金を投入して、営々と築き挙げてきた資産のすべてが壊滅された。終戦当時、米軍の「戦略爆撃調査団」が計算した日本の「残置資産」総額は、南朝鮮、58億ドル、北朝鮮、116億ドル、当時の日本円換算で2兆7千億円の価値があったと推定している。因みに、日本の外務省の計算によると、現在の評価額として、北朝鮮には8兆7千8百億円、南朝鮮では4兆5千7百億円の資産があったが、そのすべてが消滅したことになる。それでも北朝鮮には、世界規模のダム、発電所等が無傷で残された。休戦後60年間、北朝鮮はこれら日本の残置資産を食い潰してきて、結果として、今日世界で最も貧困な国家に成り下がってしまった。「朝鮮人民民主主義共和国」の名称は表看板に過ぎず、実質は「金王朝独裁国家」でしかない。日本併合以前の「李王朝」時代、王族と限られた両班のみが「世を謳歌」し、その他住民は絶えず飢餓線上をさ迷っていた。現在の北鮮は、李王朝時代以下の惨状にあり、生活困窮者や餓死者のみならず、さらに悪いことには、李王朝時代には無かった「政治犯収容所」で、30万人とも40万人ともいわれる「自国民」に地獄の生活を強いていることである。金正日を継いだ生恩は、飢餓線上にある人民の生活よりも、遊園地や動物園により興味を示す人物であるらしい。北鮮は、南北間に絶えず緊張をもたらし、核兵器開発をちらつかせることで、豊かな南朝鮮や欧米諸国から「食料支援」を取り付けることしか頭に無い国家でもある。  「日韓併合」、彼ら朝鮮半島人は、そのたった35年余りの「歴史」と「成果」を直視しせず、未だに「反日」の主題に拘り続けている。この「執拗さ」と「恨の精神」に、日本人のみならず世界各国の知識人が辟易している現実を知ろうともしない。世界の動向を知らずに「自己本位」の発想しか出来ない「民族的性格」に、哀れみを感じるのみならず同情せざるを得ないのが現実である。  シドニーは「冬」、温暖な気候でも朝夕、特に「深夜」の冷え込みはきつい。こんな時の「寝酒」は、ワインやウィスキーよりも、やはり「熱燗」と云うところであろう。今夜も小筆、一杯、引っ掛けて「哀れな隣人たち」を忘れて、「甘い夢」でも期待しよう・・・。 ブログ通覧は、http://goushutaro.blogspot.com/ で、連絡は、kentokura@hotmail.com へどうぞ、日本滞在中は、090-3008-7549.今回は、今月20日から来月6日まで、

2012年5月29日火曜日

Blog-30, 「隣人を哀れむ」その一。

Blog-30 29-5-2012 「隣人を哀れむ」、その一。  先日のニュースで、藤村官房長官談として、韓国大法院(最高裁)の「元徴用朝鮮人労働者個人の請求権」を妥当とした判定に関し、韓国側へこの件は「日韓基本条約」で「完全かつ最終的に解決済み」である、との発言を公表した。以前にもこの大法院は「従軍慰安婦」の個人補償を放置するのは憲法違反である、とも判定した結果、朴明博大統領が日本政府に「補償の実施」を求めた経緯があった。この「基本条約」では、「竹島帰属問題以外の両国間双方のすべての請求権は完結した」、としているから、韓国大法院のいかなる判定にも日本政府は関与しない・・・と、改めて宣告すべきである。  この件も含めて、今回はお隣り「朝鮮半島」と日本との関連について、二回にわたって私見を述べたい。  朝鮮半島と日本との関りは、縄文時代以前から脈々と継続しているはずで、一衣帯水の九州北西岸から山口県にかけて朝鮮族と全く変わらない「顔つき」をした沢山の人たちを見かけるのもその証拠であろう。それだけ人的往来と混血があり、原始的文化の交流さえ存在していたという事である。この平和な共存関係に変化が現れ始めたのが、秦の始皇帝による中国統一以降である。以後朝鮮半島は、中国大陸の影響下に置かれ続けてきたが、その一番大きな影響が中国文明の導入であり、その中でも特に「儒教」の影響は「朝鮮文明形成」を決定ずけ、その後「絶対君主制」を説いた朱子学の導入と共に「朝鮮半島民族」の基本的な「民族性」を形成する重要な要素となり、今日まで連綿と継承されている。  「儒教思想」は、長幼の序列によって説かれ、仁、義、礼、智、信、を基本にして、上に「敬うべき長老」と、下に「教えを垂れるべき幼劣者」を必要とした。朝鮮民族は、国家として「中国を長老」、「日本列島を幼劣」、自分たちをその「中葉」(中間)として位置づけることで、自分たち自身に「儒教的安定感」を持たせてきた。すなわち、「長」から中華思想と文化を直接授受することで、「中葉」にある自分たちの優越性を誇り、自分たちの「下層的立場」にある日本に、その「教えを伝授」することで自己満足をしてきた。それだけでは済まず、日本人は朝鮮民族を「長老」として崇めて「教えを請う」のみならず、自分たちを師として「敬うべき」存在である、との優越観念を民族的性癖として固定させてしまった。  朝鮮半島は、高句麗、百済、新羅の「三韓」時代から新羅の「半島統一」、高句麗の「新羅併合」と続き、それまでは「比較的に」民族の独自性を守っていた。しかし、1392年、高麗の武将、李成桂が祖国に反旗を翻して、大国「明」の支援で「李王朝」を樹立した直後、明の太宗から「朝鮮王」として冊封を受けることで「中国の属国」になった。15世紀以降、朝鮮民族は、中国大陸国家の「属国」としての立場に甘んじ続け、自ら「小中華国家」として中華帝国の保護下に安座した。儒教、朱子学を「国学」として漢暦、漢字を使って、中国以上の「小封建国家」として自らを満足させたまま、躍進する西欧勢力の存在に眼を閉じたまま、すべての対応を宗主国「清朝」に頼り、国家近代化を否定したまま19世紀の極東アジアの混乱期に直面した。  しかし、西欧諸国に「眠れる獅子」として一目置かれていたはずの清国が、イギリスが仕掛けた「アヘン戦争」で一蹴されたために「張子の虎」であったことが判明。以後、ロシアを含めた西欧列強が、清国領土のみならず朝鮮半島へまでも「簒奪」の魔手を伸ばしてきた。自分たちの「長」であり宗主国である清国が頼れないことは理解出来ても、明治維新を成し遂げて近代国家形成過程にある「幼劣的立場」にある日本には、面子の問題としても頼れない。そこで李王朝の迷走が始まった。傾清派、傾露派、傾米派、傾仏派と「日本以外」の強国に半島保護を求めて、国政は乱れに乱れたまま「日韓併合」まで続いた。  一方、日本は、西欧列強の「飽くなき侵略性」を、早くも16世紀の織豊時代から感知して、徳川時代初頭から「鎖国」を以って、日本の植民地化を避けてきた。それでも19世紀前半に入ると西欧の「開国圧力」が増したために、国家近代化のための大改革「明治維新」を断行して西欧圧力に対抗出来る「国家近代化」を成し遂げて植民地化を避けたのみならず、短期間で有色人種国で史上最初の「五大列強国」のひとつにのし上がった。  李王朝下の朝鮮半島は、アジア諸国でも珍しいほど「蛮性」を有した専制国家体制を維持し続けていた。住民は、極少数の特権階級、すなわち「王族」、貴族である「両班」、自由人である「中人」、特殊技能を有する「常人」と、ほんの一握りの階級の下に、住民の大部分が売買の対象にさえされていた奴婢、奴隷、農奴に属する「賎人」階級で構成され、更にその下に、「白丁」と呼ばれたアンタッチャブルで、特殊部落に隔離されて屠殺や特殊手工業を専業とする非人階級さえ存在した。住民の殆どが文盲で、世のすべてが「賄賂」と「讒言」で動く世界でもあった。罪人に対する拷問は公開され、しばしば無罪の者が賄賂と拷問による「自白」で有罪を宣せられ、残虐な方法で公開処刑をされた。国内にインフラは無く、教育制度も両班を対象とした学校が二校あったのみで、国政は極少数の「科挙」試験合格者である両班出身者によって取り仕切られていたが、すべて「宗主国」と「王族」の意向と自分たち特権階級の利益に従ったものに過ぎなかった。  こんな状況が五百年も続いた後、「日清、日露戦争」に続いて、1910年の「日韓併合」があり、日本の指導で、法律とインフラの整備による朝鮮半島の近代化が開始された。国内の行政制度は日本に準じたものとなり、王族以外の「階級制度」はすべて廃止され、住民はおしなべて「平等」になり、教育制度も「ハングル」を教育普及手段として小学校から教え始めたことにより、短期間に国民の識字率が上がった。ハングルは、1446年に世宋によって公布された朝鮮語の表音文字であったが、「漢字」に固執する事大主義者たちと小中華主義に染まった上流社会から無視され普及しないまま放置されいた。この「ハングル」の普及により、教育の向上のみならず、行政目的が国内の隅々まで伝達されるようになり、「併合」以降の発展の基礎となった。  日本政府は、併合初年度から朝鮮半島が独立経営できるように膨大な資金を投入した。農業地帯「南鮮」の生産性を高めるために、鉱物資源が豊富な「北鮮」の鉱山開発を手がけて窒素工場を始め、多くの重化学工場を作り、その電気供給のために、鴨緑江に世界でも最大規模の水豊発電所を建設して朝鮮半島の生産性と独立採算性を高めた。半島の山野は住民の乱伐で樹木は無く、すべて禿山であった。その植林指導を行ったのも朝鮮半島を管理する「総督府」であった。併合後、半島の生活環境は年毎に改善され、住民生活は眼に見えて向上していき、住民の大部分が日本式行政制度を受け入れていた。その間、日本人の半島への移住は、人口三千万人弱に対して3%以下でしかなかった。(終戦後の南北朝鮮からの日本人引揚者総数が、満州からの疎開者約15万人を含めても92万人強でしかなかった)。  日本国民は、日中戦争開始に伴い、多くの勤労青年たちが「徴兵」により軍籍に入り、中国大陸の戦線と、後には太平洋戦線に投入されて、その多くが戦死したが、「準日本国」であった朝鮮半島の男子にも、日本国の一部であった台湾の青年たちにも「徴兵制度」は適用されず、彼らからは「志願兵」以外の「戦争」による犠牲者はでなかった。  現在の南北朝鮮半島民は、「日帝36年間の圧政」と声高に叫び、いかに過酷な生活が課せられたか、という事を声高に叫んでいるが、事実は上述のごとく「李王朝時代」の地獄の生活と奴隷制度から朝鮮民族を解放したのは「日本政府」であり、36年間の「併合時代」によって、朝鮮半島は、中国本土、満州にも勝る「近代化」が成し遂げられたのであった。  日本の敗戦は、米国を主体とした連合軍によるもので、朝鮮民族は「全く関与」していない。日本の敗戦後も、朝鮮人の親日感情には何ら変化は無かった。しかし戦後、日本統治時代の事績を全く知らない李承晩が亡命先のハワイから帰国して、米国の支持で大統領に就任した。その直後、南北朝鮮間で「朝鮮動乱」が起こり、日本が営々として築き挙げたインフラと産業施設のすべてが壊滅したのみならず、李承晩の偏狭な性格が、併合時代に育てられた有能な政府官僚の大部分を「親日的」であり過ぎるとして、30万人以上を投獄し、殺害したために、貴重な人的遺産まで失ってしまった。それと同時に数々の「反日政策」を打ち出し、国際法に違反して公海上に「李承晩ライン」を設け、竹島を取り込むと同時に「親日分子の処分」、「日本文明の否定」、「国交途絶」等々の施策を打ち出した。特に後世まで影響が残っているのが、小中学校での徹底した「反日教育」であり、その教育を受けて育った韓国人たちが現在、従軍慰安婦、徴用工、竹島帰属、日本所有の半島文化財の返還要求、等で大騒ぎをしている人たちである。  朝鮮半島が中国大陸の「属国」になって以来、抵抗できない絶対的権力者に対する「恨みつらみ」を抱き続ける「恨(ハン)の文化」が民族的特性に加わった。絶えず「恨みの対象」を求めつづけて、終生「恨」を忘れない、という煩悩の一種である。現代韓国の「恨」の対象は、李承晩以降に叩き込まれた「反日教育」をベースにした「日本の存在」自体である。自分たちより「儒教的に下層」にあるはずの日本に「36年間支配」され、現在も圧倒的な知的財産、経済力と公徳心を具えている日本のすべてが「恨」の対象である。彼らは、因果関係には関心が無く、平常心も理性も投げうって、ただひたすらに激情に走って、やみくもに「反日」を唱えることが「恨」の正義であり、自己再認識の手段である、と信じている。優秀な民族ではあるが、誠に厄介な隣人でもある。長くなり過ぎるので、南北問題に関しては、次回「その二」で述べる。  シドニーは、あと三日で「冬」を迎える。いくら温暖な気候でも深夜の寒さは格別である。今朝も二時半起きでパソコンと格闘、今は七時半、すでに両足が冷え切っている。姪からの助言「熱い紅茶に、生しょうがと黒砂糖を入れて飲みなさい・・・」との事、早速試してみるか・・・。 小筆の「ブログ通覧」は、yahoo で「豪洲太朗のシドニー通信」を検索、ご意見等は、直接 kentokura@hotmail.com へ。

2012年4月24日火曜日

Blog-(29), 「羞恥文化」を失った日本。

Blog-(29) 24-4-2012 「羞恥文化」は何処へ、  古き良き日本の生活習慣に「恥を知る・・・」と云う伝統的な精神文化があった。つまり、日常を、いかに「謙虚に生きるか」と云うことで、公道や天道に反する事、人倫に悖る事、人心に劣る事、近隣への迷惑、虚言を弄する事、等々、すべてが「恥を知らない人間」の行為として蔑まされていたし、「やくざ」の世界でさえ「こんな半端者と笑ってやって下さい・・・」と畏まったのが、世界でも希な日本文化の特徴であり、美徳でもあった。  この文化圏では、「己の恥を知る」事が最大の美徳であり、「恥を知れ・・・」と叱責される事が最大の侮辱であった。人は、すべからく「世間様に恥を掻かないように努め」、「自己規制」をしながら自分自身を戒めた。己の「恥を雪ぐ」ためには、身を挺して孤山や僧院に籠り、時には自決さえしたものであった。前大戦中、無謀な戦争を起こした軍部首脳は別として、日本軍は世界で最も勇敢な将兵を抱えていた。将兵のすべてが「己の本分」を知り、それに「悖る」行動を「恥としていた」からであった。この古き良き文化が世界最強の軍隊を育んだ主因であることを悟ったアメリカは、戦後教育ですべての「恥じを知る文明」を亡失させた。その結果が、「厚顔無恥」、「軽佻浮薄」、「礼譲知らず」な日本人が蔓延り、大道を闊歩する今日の散々たる現状である。「恥を知る、誇り高き日本人」が消えうせた結果、と云うことである。今回は、人類史上希なる日本の「羞恥文化」について私見をのべる。  まず、民主党の政権公約、マニフェストから述べる。たったの二年半前、鳩山由紀夫を党首とする民主党が「華々しいマニフェスト」を掲げて、人材と新鮮味に飽きられてマンネリに落ち込んでいた自公政権を破って政権に就いた。「コンクリートから人へ」、「官僚主導から政治主導の行政」、「天下り禁止」、「国会議員の定数削減」等々、実に新鮮で晴れやかな公約であり、国民はこぞって民主党を支持して政権を与えた。しかし二年半後の現在、この公約が何一つ実現していないのみならず、国民が予想もしなかった「消費増税」が出てきた。不適任な「閣僚任命」に対する「問責」が六件も続き、四人が「更迭」され、内政のみならず外交にも蹉跌を来たしている現状は、すでに全世界から相手にされない国家に成り下がってしまった。  二年半で三人の首相をたらい回しにした上での「東日本大震災」である。国家の赤字財政に追い討ちをかけた「復興予算」の発生、危機的財政状況にあるにも拘わらず、「ばら撒き予算」の編成を続け、景気回復の目途さえついていない現状であるにも拘わらず「消費増税」である。おまけに、党員資格停止され、公判中の小沢前幹事長が政権を揺さぶる始末。とんでもない発言と異常な虚言で降ろされた鳩山首相、原発事故で無能さを曝け出した菅首相、仕事もろくに出来ない大臣が続き、罷免騒ぎで内閣が揺れている現政権、等々、思いついて挙げただけでも十指に余る失態を重ねながら、それでもまだ「政権にしがみ付いている」のが民主党の現状である。彼らが「恥を忘れた」亡国の民の最たる者たちであろう。  二大政党であったはずの政党政治が、リーダーの統率力の欠如と結束力不足から分裂して、無数の弱小政党が蔓延る日本の国会、なんとも手の下しようがない無意味な議論が繰り返され、無駄な議事運営が性懲りも無く続いている。「出口さえ見えない」閉塞状況を続けて恥じない国会議員たちの浅ましい姿に、国民はあきれ返っているのが現状である。この状況打破に解決策はあるのか ? 残念ながら「ノー」である。今の与野党すべての国会議員にはその能力も気力も見られない。要するに、自分たちの「無能」に対して「恥じる」見識さえないのである。  政権公約にも拘わらず、一旦廃止が決まった、国交省の「八ン場ダム」工事再開、高速道路建設再開にも驚かせられているが、なし崩し的に進行している整備新幹線延長工事再開、全然自粛の気配さえない「天下り」の実態、行政法人の無駄遣いも野放しのようだ。これらも役人たちの「無恥的行為」に違いない。民間では、世界を騒がせている東電の「原発事故」、東電首脳部に自分たちの「手抜かり」で大事故を引き起こし、国民のみならず世界に迷惑を掛けている、という自覚さえ見えず、政府に「一兆円」にも及ぶ「公的資金」を当然のごとく要求し、その上での17%にも上る独善的な「値上げ」である。そこには恐縮して謝罪する気持ちも、こんな大事故を起こしたプロとしての「反省」もなければ、過失事故を「恥じる」謙虚さも見られない。  街には「振り込め詐欺」が横行し、電車内で化粧をしたり、平気で自分勝手な行動をする若者たちには「羞恥心」の欠片も見られない。こんな「羞恥心亡失」の日本人が大道を闊歩しているのが現代日本社会の悲劇である。  昨年の「東日本大震災」では、多くの被災者たちが相互援助をし合い、無数の庶民がボランティアで援助に献身した。世界中から善意の支援の手が差し伸べられ、想定外の義捐金が集まった。世界は、被災者たちの忍耐力と互助精神を賞賛して止まなかった。特に世界が驚いたのは、あの悲惨な状況下にありながら、治安に一切の乱れが無かったことである。これらの現象は、世界の常識では考えられない「奇跡的な」出来事であった。この事実は、「羞恥文化」を受け継いでいる日本人の「普遍の公徳心」と「民度の高さ」の証明でもあった。「僻地東北」と呼ばれていた被災地には、未だに日本の良俗「羞恥文化」が残っていた・・・、という事だろう。  今年の漢字は「絆」である。日本人全体の「心の繋がり」と世界中の人々との「絆」を願って選ばれた漢字が、被災地の「ガレキ処理」受け入れで破綻を来たしている。口では、心の絆で被災地を支援しよう、と述べていた人たちが、自分たちが住む環境に「ガレキ処理」の依頼が来ると「反対運動」を起こしているのだ。「奇麗ごと」は口先だけの方便で、自分たちの身に降りかかる風評被害だけは避けたい、という利己心の現れであろう。これも「羞恥心」の欠如というべきか・・・。  現在、福井県にある大飯原発再稼動について、枝野産経相と橋下市長の論争が繰り返されている。全国にある50基の原発の内、稼働中はたったの一基のみ。膨大な政府資金と政府交付金をつぎ込んで次々と建設してきた原発であるが、安全性の問題、定期検査とストレステストで49基が稼動停止中。その内の一基が大飯原発である。これが再稼動出来ないとなると、政府主導で推し進めてきた「原発優先の電源政策」の失敗が公にならざるを得ない。産経相は「火力発電」への転換を図ると3兆円のコスト高になると云ってるらしい。しかし、膨大な「原発交付金」は、停止中の原発と周辺自治体にも支払いが続いているが、この支給を停止した場合のバランスは公表していない。原発再稼動は、完全停止によって政府が受けるはずの過去の「原発依存政策」への批判から逃れるための「詭弁」としか思えないし、火力以外の「安全な発電」への研究を怠ってきた歴代政府への責任追及の恐れもある。これも「無恥の行為」と云わざるを得ない。国家大計を立てずに後手ゴテの「あと始末」に終始した政府と官僚たちの失策が現状を招いているとしか思えない。  先日、アメリカで石原都知事が、「尖閣諸島を東京都が買い取る・・・」と宣言した。理由は、中国のあくなき「海洋覇権」への食指と攻勢に日本政府が対抗措置を取らないことに業を煮やした結果であったらしい。小筆も大賛成である。領海侵犯の中国漁船、巡視艇に体当たりまでした船長を起訴もせずに釈放させた民主党政権、中国の海洋調査船の度々の領海侵犯、と自国領海と主張する中国巡視船の眼に余る行動を黙視続けてきた歴代日本政府の不甲斐無さには、全国民が辟易していたところである。東京都は、小笠原諸島、硫黄島、鳥島、等々の僻地諸島を「都内」としている。それに新しく尖閣諸島が加わっても、何ら支障はないはずである。都知事の発言は、日本全国から支持された。それに慌てた官房長官が「政府が買うのも選択肢だ」と宣った。こんな恥ずかしい発言を平気でするのを「恥知らず」と云うことも知らないらしい。このように日本全国が「無羞恥行為」で溢れている現実を憂うのは小筆だけではないはずだ。  明後日26日には、小沢一郎へ「東京地裁判決」が出される。果たして「判決は如何に・・・」、ここにも「羞恥心を亡失」した御仁がいた。シドニーは秋、涼しくはなったが、例年になく降雨続き・・・、澄み切った秋空が懐かしい・・・。 小筆、豪洲太朗への連絡は、kentokura@hotmail.com へ、Blog 通覧は、yahoo で「豪洲太朗のシドニー通信」を検索して下され。

2012年3月9日金曜日

Blog-(28), 「倫理亡失の日本社会」

Blog-(28)
9-3-2012
「倫理亡失の日本社会」
 ほんの4、50年前までの日本では、「そんな事は人倫に悖る・・・」とか「そんな事をしたら他人様に笑われる・・・」、「お天道様に顔向けできない・・・」或いは「そんな恥ずかしい事が出来るか・・・」等の言葉が、よく日常会話に出ていた。日本の古き良き伝統で、自分の行動を「他人の眼」で見て自己規制をする習慣が一般社会に浸透していたからである。この道徳律に基づいて「自己規制」する生活習慣が「不道徳な犯罪」を未然に防いでいたのだと思っている。この社会常識は、封建時代以前から培われていた日本古来の神道精神に加えて、多分に儒教思想が加わった伝来仏教の教えが合わさって日本独特の「倫理観」を形作り、民間に自然伝承したものであった。
 この倫理観は、明治維新以降、終戦まで、学校教育に「修身科目」として取り込まれて、児童たちの公徳心の涵養と共に、一般の「社会規範」として機能していた。従って、すべての日本人が「何らかの形」で社会共通の「自己規範」を身に付けていたから、貧しいながらも「人情味豊か」で「安泰な」社会生活が営まれていたのだと思う。
 しかし最近では、このような言葉を発する日本人がいなくなったのみならず、死語にさえなったのか、殆ど聞かれなくなった。戦後、学校で「修身科目」が教えられなくなったからであろう。先日、「公民」の教科書を見たが、所謂「公徳精神」の教えは無く、社会全般の極一部に辛うじて「家族関係」の重要性が無機的に述べてあるだけであった。現代の学校制度が「道徳教育」を無視している証拠であろう。戦後教育の最大欠陥は、「修身」教育の廃止による国民道徳の荒廃である。
 その結果と云うべきであろうが、信じられないような理不尽な事件が続いている。その最悪で、最も卑劣なケースが、身寄りのない老人を対象にした「振り込め詐欺」である。孤独に苛むお年寄りの弱みに付け込んで「金を騙し取る」などは、人間として最低の犯罪である。それに加えて、か弱き「幼児虐待」事件がある。いたけない無抵抗の幼児に暴力を振るう、想像しただけで身震いがするほどおぞましい行為を平然とする大人の存在。或いは自己本位の「モンスター・ピアレント」が学校に押しかけて、教師に無理難題をごり押しする、等々、すべて抵抗できない社会の弱者に対する犯罪である。以前は、お年よりや子供たちは、「社会全体で守ってあげる」存在であり、自分の個人的要求は「分をわきまえて」謙虚に、そして控えめにするものであった。 
 それにも増して最近頻発している企業ぐるみの事件がある。小は、レストランの「残り物」の使いまわし、「食肉偽称」、ビル建築の「強度偽装」、「インサイダー取引」、等々で、身勝手極まりない仕業である。大手ではオリンパス、大同製紙、マルチ商法、AJT事件と天下り厚生官僚の関与、東電原発事故後、明るみになった下請け企業、酷使の実態と、自分たちの過失で起こした大事故による損失を、電気料金の値上げで補うと発表したケースのように、「自らの過失」で発生した損害を被災者である一般市民に転嫁し、損害額を肩代わりさせる、という浅ましく、無責任極まりない姿勢である。これら一連の事件の頻発で、どのテレビニュースを見ても、毎日誰かが頭を下げて謝罪しているのが実情である。
 これら上に、国会と中央省庁の醜態がある。昨年、最高裁は、「一票格差」を違憲と判決したが、両議院はこの判決を一年間も放置したまま平気な顔をしていた。これは、彼ら衆参両議員たちの「憲法」と「三権分立」に対する根本認識の欠如であり、議員資格の欠落である。国政を審議するのが職務であり、義務であるはずの議員たちが、政党間の主義主張の相違で「審議拒否」をするために、審議が膠着して全く進展していないのに、臆面もなく、歳費と政党助成金だけは貪っている永田町族の浅ましい姿に通じている。
 中央省庁の官僚は、国家と国民に尽くすべく雇われた「公僕」のはずである。しかるに、官僚の本分を忘れて、「手抜き目的」の行政法人を乱立させた上に、お互いの「縄張り争い」と利己的な「天下り」を国益に優先させ、「省益目的」のため行政まで歪曲させている。
 これらの行為すべての原因は、自分の職責に対する「誇りと義務感」の欠如であり、彼らの精神の根底に流れているのが、人間としての「倫理感」と「責任感」の亡失が原因である。このような現象が出現し続けている現代の日本社会は、国民全体が共有すべき「道徳律」が失われた結果であり、日本社会の将来にとって、これほど重大な危機はない。
 これらの事件に関する詳細は、その都度マスコミで報道はされているが、「何故、こんな事件が起こるようになったのか・・・」と云う「日本社会の根源」に触れた記事に出会ったことがない。日本の将来に関する由々しき大問題であるから、今回はこの問題について私見を述べる。
 日本以外のほとんどの国が、何らかの宗教を「国教」として定め、その教典を生活規範として日常生活を営んでいる。仏教、イスラム、ヒンドー、カソリック、キリスト教、正教系、その他、諸々の原始宗教、等々、大小無数の宗教グループが「民族単位」、「国家単位」で存在しているが、その各々が、国内法と、独自の教理の両方に従って生活しているために、社会全般の均一性が保たれている。国民のすべてが、「同質」の思考と生活規範を共有しているために、精神的にも非常に安定した社会を構成している。
 しかし日本の場合はどうであろうか? もちろん、一部には熱心な信者がいて、彼ら自身の宗教コードに従って日常生活を律してはいるが、その比率は世界水準に比べるとゼロに近い。日本民族が「無宗教」と云われている所以であろう。こと宗教に関しては、日本人ほど「大らかな」というか「無関心」な民族は珍しい。 
 古来、日本には、自然信仰の「八百万の神」がいて、太陽信仰の神道があり、幾多の仏教系列と新参のキリスト教系、その上に新興宗教まであり、一見「多神教国家」に似ているが、他国からは「無神論国家」と見られている。理由は、例えば、我々の日常生活において、新生児の誕生に際しては「初詣」とそれに続く「七五三」でお宮参り、お寺で「法事」、「クリスマス」を祝い、「神前結婚式」を挙げて、死んだら「お寺」で葬式をした後、お墓に祀られる。中には、神前結婚式の後、外国へ新婚旅行に行って、再度「教会」で挙式するカップルさえいる。その上で、念入りにも「成田離婚」まで用意されている。このような状態であるから、宗教が日本人の「生活規範」になりえない。そんな理由から、歴史的に日本独自の「道徳規範」が自然発生して「社会生活」の潤滑油として機能し続づけてきたのだと思う。 
 それが敗戦により「修身教育」が廃止されたのみならず、子供たちが囲炉裏や火鉢を囲みながら祖父母から聞かされた「躾」や「身嗜み」或いは「公徳心」の話が、自然に人格養成に役立っていた。それらが核家族化や修身教育の廃止によって、日本人が寄って立つべき、共通の社会規範が消失してしまったと云えよう。
 オーストラリアの国教は、Anglican, 英国教会で、国勢調査によると人口の70% 近くが「アングリカン」と答えているそうだ。その次がカソリックで、その他の宗教は中近東からの移民たちが持ち込んだイスラム教が目に付く程度である。従って、国民の大半は、大なり小なり「新約聖書」が規範している規律の影響を受けて生きている。小筆は、三十才の時、香港のバプチスト教会で洗礼を受けたクリスチャンであるから、自覚はしていないが、日常生活も多分にバイブルの規範に制約されているのではないか、と思っている。従って、オーストラリア人たちとも、多分に共有している「生活規範」があるために、あまり日常生活での違和感はない。今では、むしろ日本人との思考の偏差に驚く機会が多いいために、想定思考との誤差、つまり日常生活における「常識的行動」の差異に戸惑うことが多々ある。
 戦後日本人は、軍国主義に懲りた占領軍の政策で「寄ってたつべき」道徳規範を亡失した。その結果、道徳心のみならず、国内、国外で「共同生活」をするのに必要な「社会共通の生活規範」まで失ってしまった。国旗掲揚、国歌斉唱の意味が分からない教師たちの存在が、その典型である。「日本再生」の第一歩は、「教育再生」であり、国民意識の改革から始めなければならない。現、永田町族の見識では、当然無理である。小筆、豪洲太朗が「維新の会」、「石原新党」に期待する理由がお判り戴けたと思う。
 豪州の気候、近年変調を来たしているが、地震を憂う日本へ19日から三週間弱訪問。発鰹と冷酒、それに「桜見物」が楽しみだ。その間、連絡は090-3008-7549.か、メールはkentokura@hotmail.com へ、「豪洲太朗のシドニー通信」もご通覧を請う。

2012年2月2日木曜日

「平成維新、到来!!」

Blog-(27)
1-2-2012
「平成維新、到来!!」
 先日、「石原新党」結成にご本人自身が本気になったようだ。関西の「大阪維新の会」の橋下、松井連合、中京地区の河村市長と大村知事、等々が、政界改革に動きだせば、各地の「若い知事」たちも、間違いなく同調して「地方連合体」として動き出す可能性が出てきた。 
 彼らが共同戦線、小筆の仮称「平成新党」を立ち上げれば、55体制以来続いている、国益無視、大計不在、目標不明の「政治の混迷」に新風を吹き込んでくれる事は間違いない。恐らく「平成新党」の登場によって、現下の既存政党は、国政のみならず地方も含めたすべての選挙で大敗して、ほぼ全議席を失うはずであるから、「平成新党」の「政権奪取」も夢ではない。
 この「平成新党」の政策目標は、「首相公選」と「道州制」導入(小筆のBlog-19を参照されたし) 、と「憲法改正」を「キィ・ワード」にして、すでに都知事が公表している、「国を守る」、「小さな政府」と「中福祉」、「デフレ克服」、「貿易立国」、「国民の意識改革と教育行政の改革」、参議院を廃止して「一院制」を採用する、等々を掲げ、これに、参院廃止の代わりに立法に関して、憲法への合憲性のみを審議する「憲法審査院」を併設して、疑問点のある「法律案件」が生じた時にのみ、衆議院が指名する学識経験者だけを招集して審議する、と付則すれば完璧になる。石原都知事が公表した政治目標は、「国政の常識」であり、決して特別なものではない。
 従って、大阪維新の会の掲げる「公約」とも、中京連合の「減税」とも、地方連合体が間違いなく掲げる「地方への権限委譲」とも合致して、共同戦線が成立する可能性があり、「平成新党」は、一大勢力となって「平成の大改革」が可能になる。
 政治には「時勢」と云うものが強烈に影響するものである。民主党の「政権奪取」時の例が示すように、有権者はその「時勢」に惑わされて「民主党の実態」が読めなかったので支持した。しかし今度の「平成新党」には、石原新党に属する、経験豊かで常識的な「老人連合」が付いているので心配はない。当分の間は、「時代の勢い」と国民すべてからの政権信託への「熱望」によって「政権支持」が続くはずである。それに反して、民主党の例を見るまでもなく、すべての既存の政党は、すでに国民の信望を失って退潮期に入っているので、あらゆる選挙において勝ち目が見えず、「平成新党」の必勝は確実である。
 戦後、占領軍下で作られた現行憲法は、日本国民の意思を反映していないから、多くの「不都合」を包摂している。しかし、憲法改正には、衆参両議員の三分の二以上の賛成で発議する必要がある。従って「平成新党」が、次回の衆議院選挙を「憲法改正」を旗印にして候補者を立てて、480議席の内317議席以上を獲得して、次の参院選で160議席獲得すれば、憲法改正の「発議」が可能になる。その上で、首相公選、道州制導入、一院制のみならず、議員定数削減、歳費改定、消費税漸増、等々を掲げた「憲法改正案」を国民投票に掛ければ、国民の過半数以上が必ず賛成して「平成改革」が断行できる。物事には「勢い」があり、その勢いに乗って、一挙に改革を押し進めるのが日本のためである。
 想えば、明治維新は、薩長土肥、すべて「地方政府」の下級藩士が、「自浄能力」を失った「世襲の殿様」や「家老」たちを突き上げて為した偉大な政変であった。太平洋戦争では、軍閥政権が行き詰まり「終戦」の決定さえも出来なかったものを昭和天皇の聖断によって「戦争終結」が実現し、占領軍によって「昭和維新」が成し遂げられて、日本の戦後政治が始まった。戦後続いた政党政権も同様な過程を経て、すでに「自浄能力」を失ったから、機能しなくなったのである。
 昭和二十年八月、日本全土は米軍の空爆によって、まさに「灰燼の中」にあった。それを、対米戦で辛うじて生き長らえて生還した青年たちの必死の努力で「戦後復興」がなった。その必死の努力の成果を、「団塊の世代」とその子供たちが「喰い散らかして」今日の日本を作ってしまった。その「甘えの構造」の典型が、現在の衆参両議院議員たちの「無責任さ」と「驕り」、官僚たちの「無節操さ」で象徴されている。国政の舵取りをすべき国会議員たちが、自分の票田である「選挙民」に媚を売り続けた結果が、現在の何ともしがたい「財政赤字」を生み、毎年の歳入を遥かに上回る歳出で「自分の票田」を買い続けて来たのである。数年を経ずして、くるくる代わる首相と閣僚たちの「低質性」に呆れ果てた官僚たちが、政府の方針に関係なく、仲間内で「ざる法」にまとめて「政治の舵取り」をしてきているのも、彼らの偏向した「憂国の情」の発露でもあったはずだ。
 戦後の議会政治が、本来あるべき姿で機能していると思い、彼らに「何か」を期待している国民は一人もいない上に、「選ぶべき政党と候補者がいない」、そんな無益な政治が過去20年以上も続いてきた。その当然の結果が、今日の膨大な財政赤字とデフレ経済、円高不況、輸出の低下、外国からの低評価、等々、すべての「日本国の機能」が完全に劣化し続けてきた原因である。要するに、現在の日本には、日本の将来を考えて「国政を思索する」政治家がいないのである。国会での彼らの仕事は、与党批判、他党の揚げ足を取る事と自己温存、付和雷同して離合集散を繰り返しているだけである。今回の「石原新党」の決断と「維新の会」と「中京連合」の行動力が巻き起こした新風が、現国会の「機能低下」に辟易していた全国民から大歓迎をされているは当然の結果である。
 戦後の55年体制の崩壊が始まっていた「末期症状」の日本に、やっと平成の「神風」が吹き始めたのである。「歴史の変革は、地方から始まる・・・」、明治維新の例を見るまでもなく、これが歴史の常識である。大阪、東京、名古屋、そして多分、仙台、新潟、四国、九州とこの「国政改革」の波紋は時と共に波及して、次期「衆院選」で頂点に達するはずである。その選挙によって、民主、自民、公明、その他諸々の弱小政党がすべて淘汰されて、石原新党、維新の会、第三勢力になるはずの「地方政治連合」を中核とした全く新しい「平成新党」がリードする「新生日本」が誕生して、新鮮で全うな平成日本の「政治運営」が始まるはずで、その原動力になるのが、石原新党と維新の会である。
 現在の日本には、潜在的だが膨大な「国内資源」が眠っている。その一つは、世界でも類を見ない「高高度の工業技術力」、すなわち「人的資源」である。それに加えて、未開拓の「エネルギー源」である「潮力利用」と「深深海資源開発」、特に何処の国にも手がつけられないほど困難な「潮力発電装置」と「深海採掘装置」の技術開発があり、その上に「兵器輸出の解禁」も加えられる。大手の企業は、自力で国際市場に出て行けるが、中小企業にはその力がない。この潜在力を海外市場に伸ばすことを「国策」として支援すれば、現在の「不況」のかなりの部分が解消されるはずである。日本が持っている世界的な最高水準の技術が充分に「生かされてない」のが現状である。これらの潜在力を精査して伸ばしてゆけば、現状の経済不況のかなりの部分が解消されるはずである。
 そして、国家最大の危機である「財政赤字」の解消も、新政府で解決可能である。「小さな政府」は、国会議員の定員大削減、参院の廃止と学識経験者への依頼で成り立つ「憲法審査院」の設置で、少なくとも現行議員242名、32パーセント以上の議員数削減になり、参院維持費の大幅削減が可能である。そして「道州制」の導入は、地方行政府の統廃合と共に膨大な人件費の削減に繋がり、各本省の地方事務所の解消と悪名高い「独立行政法人」の統合、廃止も可能になり、大きな経費削減を生み出すことになるはずである。その上で、教育制度の改定により「日本を愛する国民」を育てることだ。軍拡を続ける中国、無理難題をごり押しする朝鮮半島、いつ暴発するか分からない隣国ロシア、日本を取り巻く「国際環境」は決して安易なものではない。その危機感と認識を失くした日本国民を育てたのは、米政府の意向を汲んだ「戦後教育」であった。世界的に観ても「高高度な民度」を保っている日本国民の最大の欠陥は「国防意識」の欠如である。戦前の「軍閥政治」のトラウマが原因で、戦後の日本人は、「国民の義務」である「国を守る」という基本的な意識と責任感まで亡失してしまった。これを取り戻せるのは「教育」しかないし、それを早急に取り戻すことは、「国の責任」であり「国家の義務」でもある。
 新党、維新、中京連合、そして地方連合の指導者たちよ、是非、小異を捨てて大同につき、日本の未来のために「平成新党」を実現して頑張ってくれ、老人連合、「石原新党」の賞味期限は長くて七年、その後は、若い諸君たちの世界だ。今、「日本再生」を期待出来るのは君たちしかいないのだから・・・。
 今年のオーストラリアの夏は、涼しすぎて「変調」である。しかし小筆の心は、石原新党と維新の会への期待で大いに燃え上がっている。まだ一ヶ月先の事ではあるが、三月九日から三週間訪日する。それまでに、彼らの「平成新党」が機能し始めることを祈っている。
 訪日期間中のコンタクトは、携帯電話、090-3008-7549、豪洲太朗宛、
ブログの通覧は、yahoo の「豪洲太朗のシドニー通信」か http://goushutaro.blogspot.com/
小筆のメールは、kentokura@hotmail.com