2011年7月26日火曜日

Blog-(21), 何とかしなきゃあ・・・

Blog-(21)
26-7-2011
「何とかしなきゃあ・・・」
 「なでしこジャパン」、まさに爽やかな勝利であった。午前1時半、なんとしてもこの試合だけは見逃す訳にいかないので、難解なモリソンの「アメリカの歴史」を読みながら4時に開始するテレビ番組を待った。入場する日米両国の選手たちを見た時、正直云って「こりゃあ駄目だ・・・」と思った。体格が大人と子供ほど違うからだ。そして、試合開始、アメリカが強烈なシュートをどんどん放つのに、日本は「パス回し」ばかりで防戦一方。先制点は当然のように取られた。「これは話にならん・・・」と何度も観戦を中止しようかと思った。時間のみが経過するが良い所なし。やっと粘り勝ちで同点、延長戦前半で追加点を取られ、そして沢の神業的なスルーパスで同点。しかし、どうみても試合の流れは大人と子供の差があった。PK戦では、アメリカの力任せのラフ・シュートと日本の知的なシュートが際立ち「小よく、大を制す」、まさにきわどくも痛快な勝利であった。
 試合最中、小筆は太平洋戦争を想い返していた。アメリカのキャップテン、ウンバッハと沢穂希主将、身長差が11センチ、チーム平均で7センチの差であったそうだ。まさに大人と子供の体格差である。アメリカの物量作戦に対抗する貧弱な装備の日本軍、防、装備共に強大なグラマン戦闘機に対抗する小さなゼロ戦、マシンガンに対する、たった5連装の三八銃、それも40年前、日露戦争に使った小銃が主力であった。無尽蔵ともいえる艦砲射撃に耐える穴倉作戦、B-29の空爆を阻止出来なかった日本、原爆投下、そして無残な敗戦。
 しかし、日本人の意気と叡智、それにも増した勤勉さと器用さが、灰燼の中から日本を再建させた。近来、停滞気味の景気に悩む日本の経済界とはいえ、基幹産業に加えた高高度なハイテク産業、それを支える技能の蓄積は他国の追従を許さず、世界の頭脳指数を表徴する「ノーベル賞」さえも、日本人受賞者が益々増えていくこと必定。町工場の持つ世界に類を見ない高度な職人技、町工場のおっさん達が宇宙衛星を打ち上げるのである。体育界、芸術界での活躍、世界で愛される日本文学やアニメ、高度な礼節と高い民度を供えた上に真っ正直な日本人、この度の女子サッカー世界一のみならず、日本人の「真価」は世界が羨むほどの高評価を受けている。海外生活42年の小筆が数々体験した日本人への評価は「小さな巨人」、その象徴が今回のワールドカップに集約されていた。広い世界ではあるが、他にこんな民族の存在を知らない。
 その上に、125代、2,671年も続いている歴代一系の皇統、こんなに素晴らしい民族の歴史を兼備した国家は、世界196ヶ国中、日本だけである。しかし誠に残念なことながら、こと「政治」に関しては、恐らく世界の誰一人として評価する者はいないであろう。マッカーサーがいみじくも「日本の民主主義は7才である」と云ったのが64年前であった。それ以来、国家は再建され、経済は勇躍伸張し、国民性は大きく世界に羽ばたいた。どう控えめに観ても「立派な成熟国家」であり「平和国家」である。しかし、政治の「後進性」には、一切進歩が見られない。政治家のみがまるで異質な日本人なのである。公約は守らない、政治資金を誤魔化す、平気で嘘をつく、徒党を組み、威張り散らし、その上、政治家にあるまじき行為、平気で「法螺」を吹く。慎しみやかな国民の中にあって、なぜ彼らのみが異質な存在なのであろうかと不思議でならない。
 その証拠が、「3・11」の大国難に遭って5ヶ月経った今でも、復興予算23兆円が決まったのみで、その資金的な裏づけは未定。安易な増税案だけがちらついている。民主党のマニフェストの失態と全く同じである。これでは被災地で、何一つ有効な手立てが打てるはずがない。一体全体、我々日本人は国権の最高執行機関である「内閣」を持っているのだろうか?  永田町で高額な歳費を食み、その上、年間ボーナス、一千二百万円以上を支給されている722人もの国会議員たちは一体全体何んなのだ・・・、何をするために存在しているのか? 奴隷の上に君臨して贅を尽くしたローマ貴族だって、もう少しはましな事をしたではないか・・・。
 つらつら考えるに、この最大の原因は、やはり70% 近くを占める二世、三世議員の存在にあると思う。世間知らずで甘やかされて育ったボンボンたちが、祖父や父親議員の秘書になり、ちやほやされて選挙地盤を引き継いで議員になる。或いは、一般受けしたポピュラーなマスコミ出身のタレントが、政治の「いろは」も知らないままミィハー票を集めて「政界入り」を果たす。或いは、マスコミ受けした野次馬的な、自称、経済・政治評論家等が国会議員になり、大臣になる。それに加わっているのが、視野の狭い「役所生活」しか知らないで定年を迎えた元官僚たちである。現在日本の国会議員の大半が、所謂「プロの政治家」ではなく、全くの「ど素人」である。彼らが、衆参両院議会で、うろうろするだけで、政治が全く進まないのは当然である。彼らは「野次馬精神」だけは旺盛であるが、「国家創造」への高邁な志士の気概は、まるっきり見られない。
 今次最大の「国難」に際しても、彼らは成す術を知らないのだ。この緊急時に、即座に「復興への大目標」を掲げて、その中で「最重要課題」から手を付け、執行に必要な条件を法制化して行く。こんな簡単な手順さえ思い付かないのだ。自分たちの「不手際」を「政局論争」でごまかし。「菅降ろし」に託けて無駄な時間を費やす。「菅降ろし」を唱える連中は、もし「菅が降りたら」誰を「首班」に立てて「何をするのか?」、 自分が首班を引き継いで「何から始めるのか?」、そんなビジョンも主張さえも表明出来ないのに、闇雲に野次馬的に「菅降ろし」を叫んでも、誰も追従しないのは当然である。このような無知蒙昧な「政治家」と称する集団が、窮極に立つ日本の舵取りを任されているのが現実である。「ステーツマンの不在」が、更なる日本の悲劇を招いている。
 菅総理は、すでに「レームダック」状態にあるにもかかわらず、国際社会で日本の住宅「一千万戸」に太陽光発電装置を装着させるとか、「脱原発」とすか、「代替エネルギー」政策とか、数々の「思い付き」を公表している。すべてがこんな調子で、閣議の了承も経ずに、自分勝手な「思い付き」で発言を繰り返している。鳩山前総理は、国連でC0-2、25%削減の約束をした。安部総理も、麻生総理も国際会議で「美しい日本」とか「ODA増額」とか訳の判らない大法螺を吹き、世界に「日本の公約」を信じさせてきた。だが、後継内閣は前総理の公約のすべてを無視してきた。その上、国内では、誰一人として「そんな公約」に束縛される者はいない。日本政治が国際社会で信用されないのは当然である。
 そんな中で、菅総理の発言「脱原発」について述べる。原発の危険性と脆弱性、それに完全管理の難易性に触れたい。過去、米国のスリーマイルズ(1979)、ウクライナのチェルノブイリ(1986)、中国、深セン(2010)、そして今回の日本の福島と原発事故や放射能漏れが発生している。中国は別として、日米ソのような技術先進国においても、その管理が容易でない事が実証され、被害の甚大さも証明された。この危険極まりない「原発」を先進国のみならず、32ヶ国もの発展途上国が保有し始めている。果たして、これらの国々で原発の「完全管理」が可能なのであろうか? その安全性が、第一の憂慮である。第二の心配は、彼らの「テロ対策」である。中国を始めとして途上国のほとんどが、何らかの形で国内テロ・グループや紛争相手国を身近に抱えている。一旦緩急があれば、第一にゲリラ攻撃を晒されるのが「原発」であろう。果たして彼らに「原発の安全」を確保する力があるだろうか? 意識的に武力攻撃をされた場合の被害は、今回の福島原発の被害程度では済まない。「原発は決して安全」では無いのだ。
では、どうするか? 「核融合管理」は科学である。完璧な科学管理技術のみが「原発」を管理し得る。この技術を持つている国は、恐らく、日米仏とドイツくらいであろう。世界は電力を必要としているし、その潜在需要は無限である。これらの国の技術を以ってしても「事故が起こり得る」のが原発である。それほど危険性な「原発」を野放しの建設することは、人類にとてつもない災害をもたらす潜在性を持っている、と云うことだ。先進技術国が協調して「世界の原発」の安全確保に乗り出すべき時期が来ている。併せて「代替エネルギー」の開発を急ぎ、完成と共に「原発廃止」を実施することである。「代替エネルギー」とは、世界中に無尽蔵にある海流を利用する「潮流発電」の開発である。この詳細は、次回のブログでのべる。
 今朝のニュースで、中国の「高速鉄道」の事故を知った。日独仏の技術をベースに「独自で開発した最高技術」で、主要先進国で特許まで申請する、と息巻いていた。北京―上海間、その他、総計1万キロに及ぶ「高速鉄道路線網」を完成させたとも息巻いていた。しかし現実は、日独仏、どこの国でも考えも及ばない「初歩的な欠陥」で事故が発生しているらしい。汚染食品、コピー商品、デザイン盗用、パクリ技術、頻発する鉱山事故、そして「異常な軍拡」、それに加えた共産党幹部のすざましい汚職、世界の常識が通用しない、中華思想に犯された「田紳モンスター」の傲慢さが気になるこの頃である。