2015年8月17日月曜日

戦後70年の想い。

16-8-2015 Blog-(50) 「戦後70年の変遷」   すでに「戦後」も70年たったが、早いものである。想い起せば、小筆の昭和20  年8月15日は、現在の北朝鮮、平壌西側の港町「鎮南浦」で7才5ヶ月の時であり、その時の強烈な印象は今でも鮮明に憶え入る。それ以来「70年」、一体何が興  り、何が「失われた」のか? 小筆なりに総括してみたいと思う。 まず最初に、今大戦に敗退するまでの「日本の歴史」を振り返ってみたい。  我々日本人は、太古の昔から「国民戦争」という民族相殺の戦をしたことが無い世界史的に見ても珍しい民族であった。時代にもよるが、度々「内戦」は体験したが、それらは総て天皇在位下での、国内統治権への「争奪戦」であり、その戦争に民衆が 巻き込まれることはなかった。明治維新以後、世界の趨勢により、国防的見地から将兵の大量動員が要請されて「国民皆兵政策」が採用され、史上初めて「徴兵制度」による一般成年男子の兵役が義務づけられて、戦争への「国民の直接参加」が出現した。台湾征伐を初め、日清戦争、日露戦争、北清事変、シベリア出兵、第一次大戦、第二次大戦と続き、その一部分であった「大東亜戦争」へと続いたが、これが今日までの最後の大戦となり、以後70年間、日本は「戦争」をしていない。この大戦では、日本本土が無差別空襲で焼け野原になり、2発の原爆により、戦闘要員であった将兵のみならず、無辜の女子供を含んだ民間人までが「戦争に」巻き込まれ、290万余り非戦闘員が犠牲になって死亡した。その結果が、米国を中心とした「占領軍」による日本支配であった。その間、たったの5年間であったが、大和民族と云われた日本人に大きな変化が起った。その変化とは、この日本列島のみで、3千年以上にわたり、育み、受継がれて来た「大和民族」の特異性格と民情の変質に繋がった。   先ず、その主だった「民族的な変質」を述べてみたい。第一に、前大戦の終焉まで綿々と受け継がれて来た「皇室」への崇敬の念が、一部国民によって疎かにされ始めたために、皇室を中心にした「日本国民の一体感」と「日本人としての誇り」が希薄になったことが挙げられる。その第二は、家族内の「絆」が薄すれてきたために、日本独特の社会生活規範が、子孫に伝達されにくくなったことであり、第三の変化は、日本人全体の「公徳心」と他人を思い遣る「惻隠の情」が薄れ、利己的行動が増えて来たことも上げられる。そして、最も重大な第四の変化は、非日本人勢力の跋扈であり、それに対して国民が第三勢力の「国政関与」に無関心になって来たことが挙げられる。第五の変質は、若年層に浸透してきた「虚無感」の横溢も挙げられる。  どの一つを取上げても、国家百年の大計に係わる重大な問題であるにも係わらず、戦後政府も世間一般も「無関心」であり続けると共に、一部の国民を除いて「憂慮する階層」が極めて少なくなった。小筆の憂慮は、現状が続くと、世界に冠たる「良質の日本民族」の本質が失われ、個人主義的、利己的性格を本質とする他民族並みの「ただの民族」に成り下がってしまう恐れがある、と云うことである。以下、その理由を述べる。  先ず「皇室」の本源である。我々の元首であらせられる「天皇陛下と皇族」は、現在地球上70億人近い人類で構成される196ヶ国の中で、我々日本人一億三千万人弱の「日本民族」だけが戴いている「国家元首」であると共に、全世界で唯一「天皇」(Emperor)の称号で呼ばれる特別な在位にあるお方である。その歴史は、125代、2675年間も続き、ヲテシで表された「神代時代」含めると3165年間の「皇紀」を持つ世界唯一で、最古最長の万世一系の「皇統」を持った国家元首である。他民族も王族、皇帝、貴族を有していたが、近年に到り、その殆どが消滅し、現在では、英国、オランダ、北欧に少数の王族しか残っていないのが現実である。  この人類史に例を見ない日本の皇室を敵視し、解体する事を「党是」に書き記しているのが「日本共産党」であり、世界で既に死滅した「共産主義理論」を未だに信奉して、しがみ付き「飯の種」にしているのが彼らの正体であり、その「党員たち」である。その他に、自称左翼勢力や信仰カルト勢力があり、彼らの総てが、折あらば「人類の奇跡的な存在」である日本の皇室を消滅させようと意図している政治勢力である。このような徒党自体が、戦前の日本には存在しなかった勢力である。それに戦後新たに加わった「帰化人勢力」が、日本中の行政、司法、官警、マスコミ等々に浸透して、日本本来の「良俗」を毒し始めている。その典型が、公明党であり、民主党の跋扈であった。彼ら素人集団が、労働組合を支持母体に加えて衆参両院で勢力を増殖し、日本の国政を3年4ヶ月に亘り壟断して、国政と外交を破滅寸前にまで追い込んだ。労働組合や左翼的野党で「デマゴクー」の経験しか持たない彼らが、巧言を弄して勢力を伸ばし、日本の中枢に入り込んで「国政」を動かそうとしたのだから、機能しないのは当然の結果であった。幸いにして、良識ある「日本国民」によって、彼らの野心が阻止された結果、「安倍政権」が誕生し、日本の政治が「日本人の手」に取り戻されて、今日に到っている。  帰化人政党である、民主党、公明党、共産党や訳の解らない弱小左翼政党の存在は、栄光の歴史を誇る日本国の癌であるだけでなく、「国威失墜」と日本国民である事の「誇り」まで消失させようと懸命である。「国家への誇り」を失った民族の末路は、いともたやすく征服できるのが、人類史が証明するところであり、そのために民主党は、日本の「誇りを傷つけ」、「国富の消失」に努め、「円高政策、デフレ政策」増長を打ち出した。その結果、製造経費が上昇し、国家資産の根源である「輸出」が極端に減少し、失業率が上昇し、結果として「国富」を減少させた。併せて、中韓の訪日者をたやすく増やすために、「ビザ無し渡航」を認め、犯罪者の入国を容易にしたのみならず、在日外国人への「生活保護」「失業手当」「留学生奨学金」等々を増やしたのみならず、「地方参政権」まで与えようとさえした。その間の国富流失には著しいものがあった。彼らは、自己勢力を伸張させるために、未だに年端も往かぬ年少者たちを使い、反日デモへ駆り立て、未熟な青年たちを反日勢力に駆り立てている。  情操教育がしっかりと確立されていた戦前には、このような卑劣な行為は決して許されないことであった。それだけ、戦後の教育が乱れ続けている原因のひとつに、教育界が「日教組」という極左勢力に乗っ取られて、日本の正史を教えずに、左翼的、反日教育のみが実施され続けてきた結果、誰もが「歴史の真実」を教えてもらっていない、従って「教えられた事」の真実はおろか、「デマの真偽」さえも判断出来ない状況が醸し出されているのが現状である。  明治維新以降、戦中、戦後を通じて、日本の国際貢献には著しいものがあり、台湾が清国から、朝鮮半島が中国と自らの「王族と両班支配」による千五百年以上に亘る「奴隷状態」ら解放されたのも、全アジアが「欧米列強の植民地支配」から解放されたのも、総て「日本の進出と進攻作戦」があったからである。その上、彼らの独立資金の大半が、日本の投資と8千億円余りの戦時賠償金が原資となっている。その上、経済、インフラ整備の資金としてODAによる1兆円以上の支援を、現在も続けている。反日国家である共産党中国にも、あの徹底した反日韓国にさえも、この支援金を与え続けているのである。このODA支援は、戦前日本が提唱していた「八紘一宇」の精神の継承であり、台湾、朝鮮半島と満州に投下した膨大な国費を継承する日本の「平和主義」の実証でもある。  奇しくも、昨日は戦後70年の節目、前大戦の経験者の殆どが鬼籍に入られ、「新しい日本国民」に依って、「新世代の経世」が実施される時代に入る年頭に当たり、小筆の憂慮と希望を述べさせて戴いた。この美しい「祖国日本」を失わせないためにも、日本国民全部が、心を新たにして「安倍政権支持」の継続と支援を再確認して戴きたいと願っている。  小筆、この年になり、何か急に周辺が多忙になり困惑しているが、すべて「他人様へのご奉仕」と割り切って覚悟を決めている。そう云えば、来年3月か4月に、父を含めた6万余りの英霊を慰めるために「シベリア慰霊旅行」に誘われている。77才まで「生かしてくれた」亡父の恩に報いるためにも、ぜひ参加しようと決めている。 連絡先: kentokura@hotmail.com

2015年3月21日土曜日

Blog-49 戦後70年を迎えて、

Blog-49 「戦後70年に際して」  今年8月15日、日本は70年目の「敗戦記念日」を迎える。小筆が「敢えて敗戦」と云う言葉を使うのは、日本人全体が74年前の12月8日に開始された帝国日本の「対米英蘭」戦争開戦について、複雑な思いに駆られ、未だにその「呪縛」から解放されていないからである。その「複雑さ」とは、この大戦が「祖国防衛戦争」であった、「東南アジアの植民地解放戦争」であった、いや「軍国主義日本の侵略戦争」であった考える人たちに加えて、「日本弱体化継続」を意図する「外国勢力」の手下となったグループが混在しているからである。  この「大戦終結」に当たり、昭和天皇は「終戦の詔勅」を宣下され、他に帝国陸海軍の最高責任者であられた「大元帥命令」として、全軍に戦闘中止と各々現地の敵軍への降伏と武装解除後の帰順を命じられた。その結果、帝国日本陸海軍は、「戦闘を中止」して敵対国の捕虜となった。日本軍の中には、中国戦線のように、未だに「優勢を保っていた」地域もあれば、対米戦線のように「抗し難い」敵軍の攻撃に晒され、壊滅寸前であった戦線もあり、満州戦線のように、「日ソ中立条約」を破って進撃してきたソ連軍のように、完全な「国際法違反」の敵軍に降伏した戦線もあった。いずれの日本軍も「ポツダム宣言」の受諾で、武装解除の後は、それぞれの故郷へ戻り、「平和な市民生活」を送る事が「保障されている」と信じたからこその「無条件降伏」であった。しかし実際は、戦犯裁判が開始され、一千余名の刑死者と5,600人余りの長短期受刑者を出した上に、ソ連のように「65万人余の在満将兵」をソ連領各地に連行して「重労働」に就かせ、6万余の死亡者を出したケースもあった。これらの行為すべては、降伏を受諾した日本政府の「想定外」の行為であり、むしろポツダム宣言に違反した「復讐行為」でさえあった。  帝国日本は、米国の「陰謀」によって対米開戦を強いられた、とする説と、それを「裏付ける」数々の証拠が、時と共に暴かれている。この「米国の陰謀説」は、ほぼ正論であろう、と云うのが一般論になりつつある。その嚆矢の第一は、フランクリン・ルーズベルト大統領の「極端な日本嫌い」であった。彼の嫌日感情が、日中戦争時の「援蒋物資」の無償提供であり、米空軍の退役飛行士による志願航空隊「フライイング・タイガー」の中国戦線への派遣であり、日本への石油、鉄材の禁輸、、在米資産の凍結、日系移民の迫害、等々で、対日開戦への強い意志があった、と云われている。第二は、日本占領軍の最高司令官であったマッカーサー元帥が、解任1年前、ウェーキ島でのトルーマン大統領との会談時、「極東軍事裁判は違法であった」との発言と、解任帰国後、ワシントンの上下両院議会、「軍事外交委員会」での「開戦直前の日本ほど経済的に追い込まれたら、誰であろうとも開戦せざるを得ない」、たとえ自分が「東条であっても、開戦したであろう・・・」とまで発言した、と記録されている。これらの証言から見ても、日本の開戦には「正当性」があり、そこまで「日本を追い込んだ」のは、欧米列強側の陰謀であったと覗わせるものであった。その他、ルーズベルトの個人的な友人であったアメリカの鉄道王、エドワード・ハリマンが、日露戦争後、日本に「満州鉄道」の共同経営を申し出て「断られた」遺恨が、ルーズベルトの「反日感情」にも影響を与えた事や、彼を支えたホワイトハウスのスタッフの中に、ソ連のコミンテルンから送り込まれたスパイが多数いて、「日米開戦」を煽ったとの話もある。これも戦後70年の時間が解いた「謎」であるとも云えよう。  この陰謀説の信憑性の「鍵」は、米国が独立戦争で英国を破り、独立を果たした後、現住民インデアンたちの領地を次々と収奪した後、北米南部を占めていたスペインとの戦いで、テキサス、カリフォルニアを領有し、対仏戦争でカナダにフランス勢力を閉じ込める事に成功した。その後はカリブ海を支配下に置き、ハワイを傘下に加え、キューバで問題を起こした後、対スペイン戦争勝利の結果、フィリピンとグアム島を領有して太平洋の覇権を握った。その後は、混迷する中国大陸とその北方に位置する「満州大陸」を傘下に治めれば、中国大陸の南方で、フランスとイギリス、オランダとの「植民地の住み分け」を確定する事が可能で、アメリカの「アジア覇権」は有終の美に輝くはずであった。  ところが、300年近くも「鎖国」をしていた日本が「明治維新」という大政変を実施して、目覚しい勢いで「近代化」を成し遂げた後、新興日本が、米国の予想に反して、日清、日露両戦役において勝者となり、台湾と朝鮮半島を入手したのみならず、その「植民地経営方法」は、16世紀以降、欧米列強が採り続けてきた「有色人種国」の搾取ではなく、「領民同化と生活向上」の施政を始めた。この日本式行政は、四百年にならんとしていた「欧米列強の植民地経営」を根底から揺るがす大事件であったから彼ら列強は、「何としても」これ以上の日本の「進出」を許す訳にはいかなかった。その結果が、米国西部への「日系移民制限」であり、在米日系人への各種迫害となって表面化してきたのみならず「日本潰し計画」の根幹であったようだ。  1905年1月、厳冬のセント・ぺテルスブルグでの農民暴動「血の日曜日」は、ロシア帝国崩壊の初動となった。有史以来ロシア各地で虐げられてきた多数の農奴たちと労働者たちが「待遇改善デモ」に参加した。デモ頻発の初期は、農奴や労働者たちの「自然発生的な集団要求」であったが、ドイツ亡命から戻ってきたレーニンたち「共産主義者」が穏健なデモを暴動を煽り立てると、「革命の火の手」はロシア全土に広がり、瞬く間に「共産主義ソ連邦国家」が成立した。後継者スターリンは、500年近くも続いた「ロシア帝政」を共産主義武力革命で破り、共産党支配の「ソ連邦」を確立した経験を元に、彼の野望は、全世界を自分の独裁下に置き、支配することに燃え上った。共産党国際同盟を意図した「コミンテルン」の支部を各国に設置しようとした結果、欧米諸国のみならず、日本を含むアジア諸国、特に混迷を続けていた「中国大陸」にまで、活動を浸透させて行った。その中でアメリカは、宗主国イギリスに対する「革命達成」で独立国になり「アメリカ合衆国」を形成した遺伝子があったために、ロシア的な「共産主義的思想基盤」を必要としなかった。その鉄壁にスターリンが挑むには、何としてもホワイトハウスに「スパイ」を潜り込ませて「オルグ活動」を活発化させる方法しかなかった。そこで、コミンテルンは、一説によると、アメリカ議会とホワイトハウスに、百数十人のオルグを潜り込ませ、合衆国政府を篭絡させようとした。これは、第二次大戦の終結後、米国で吹き荒れた「マッカーシー旋風」として知られる「アカ狩り」で、かなりの数の「共産主義者」と「共産主義同調者」が槍玉にあげられ、中には自殺に追い込まれた者たちもいたことでも明らかである。そのコミンテルン運動が、スターリンの思い通りに機能しない「帝国日本」を、米国のオルグを使い、「日本潰し」に掛かったという話も、この「陰謀説」には含まれている。結果として、日本は「大東亜戦争」には完敗したが、アジアの植民地総てを解放させたのみならず、「戦時賠償金」の支払いで、彼ら総ての「独立資金」まで用立てした。  日本は、70年前の敗戦によって「何を」失ったのか? 小筆が最も痛切に感じ、忸怩たる思いに駆られている事は、日本人全体が「アメリカの戦後教育方針」によって「日本精神」を失い、「無責任人間」に成り下がった事である。国家に対する責任、行政に対する責任、他人に対する責任、要するに、戦前は「誰も」が暗黙の内に美徳として身につけていた「個人的責任」の総てを失ってしまい、母国日本を「身勝手な社会」にしたことである。日本の安全を誰が守るのか? いい加減な政党を支持した結果の責任は? 自分の子供の不始末の責任や沖縄の米軍基地に「反対」して、基地が無くなった後をどう考するのか? 「憲法九条」が本当に日本を守ってくれるのか? モンスターピアレントたちは子供への「躾義務」を感じないのか? 外国人労働者に無制限にビザを発行して、国内治安に責任を感じないのか?  等々、戦後70年を経た社会現象として噴出してきた問題の総てが、「終戦」ではなく「心の敗戦」の結果、「現在の日本社会」の混迷の始まりであった。日本は戦争に負けただけではなく、大切な「日本精神」まで失ってしまったのではないのか? これらが、今小筆が痛切に感じている「最大の痛恨事」であり、安倍内閣の「日本再生」に期待する所以である。それにしても、70年度の「安倍談話」が待ち遠しい昨今である。  来週火曜日から、2週間余り訪日する。「冷酒と鰹の叩き」もさる事ながら、4月4日、午後、桜満開下の「靖国参拝」と「軍歌を歌う会」に参加して「愛国精神」に陶酔する楽しみが待っている。この間の連絡は、090-3008-7549. まで、豪州太郎

2015年1月25日日曜日

Blog-48 「衆院選」

Blog-48 「衆院選」  親愛なる皆様、明後日、12月14日、日曜日は、日本の将来を決定する大事な「衆議院議員選挙」が実施されます。この選挙が、日本にとって如何に大切な選挙であるか、という事について、小筆の私見を下記に述べたいと思いますので、是非お眼通し戴き、必ずご投票戴きたいと存じております。  皆様の投票についてのお願い、 (1) 小選挙区については、自由民主党からの立候補者か、自民党推薦の候補者へ、 (2) 比例代表への投票については、次世代の党か次世代からの立候補者へ、 (3) 自由民主党、次世代の党からの候補者が居ない選挙区では、無宗教、左翼的で ない候補者への投票をお願い致します。  お願いの理由を下記に述べさせて戴きます。  皆様も、すでにお感じになっていることと存じますが、戦後70年近く、日本は「平和の内」に過ごし、世界に冠たる大国の位置を占め、多くの発展途上国のみならず、先進国からも「大いに期待」され、尊敬されている国になりました。敗戦直後の「焼け野原だらけで、碌な建物さへ皆無」であった日本を知っている小筆の体験からしても、「よくこれだけの発展」が出来たものだ、と感嘆する毎日であります。その基礎は、日本国民の秀逸性と勤勉性、それに加えて、他民族には見られない独創性が、現在の日本の繁栄を導き出して来たものと確信しております。小筆の長年の海外生活と仕事で世界各地を訪問した経験から云っても、これほど「凄い国」は見当たりませんでした。    しかし、良い事ばかりでは無く、こと政治に関しては、日本ほど「稚拙で騙され易い国」の存在を知りません。戦後70年近くも「その悲劇的な状況」が繰り返し継続され、利用され続けて来ました。しかし2年前、第二次安倍政権が発足してからは、まるで「別の国家」ではないか、と思うほどの劇的な展開を続けています。それが「アベノミクス」と「円安政策」で、特に「金融緩和」政策は、国内経済のみならず、海外金融市況まで上昇させる効果を生み、外交政策的にも数々のヒットを飛ばし続けていますので、今では「世界中」の国々から賞賛されている状況が生まれました。この状況が「気に食わない」のは中国と韓国、北朝鮮だけで、東南アジア諸国を含めたその他の国々は、すべて日本経済を中心にして自国の経済の手直しし始めています。これも、安倍総理の「政策全般」が適宜であるだけではなく、世界各国も「安倍政策」に乗って発展させるのが「良策」である、という事を悟ったためです。この世界から期待されている「日本の政権」を、明後日の衆院選で潰すわけにはいかないのが現状で、日本のためのみならず、世界のためにも「安倍政権」を発展持続させる義務があると信じています。   しかし、この万全とも見える「安倍政権」にも「アキレス腱」があります。それは、公明党との「連立政権」という問題です。国内政治に関しては、両党間にそれほど大きな、「意見の相違」はありませんが、中韓北朝鮮と「よしみ」を繋ぐ、創価学会を母体とする「違憲公明党」とは、外交政策で、決して相容れない「見解の相違」が存在しています。「国防の基本」である集団自衛権に関しても、自衛隊の国軍昇格事項に関しても、将来必ず話題に上ってくる「核兵器保有」の問題にしても、その前の課題として、日本国憲法の改訂乃至は新憲法制定に関しても、自公間の「意見の調整」は不可能だと思っており、その問題が提議された段階で、自公連立は崩壊し、国内に大混乱を招くものと予測しています。所詮、自公連立は「呉越同船」、国益に対する基本概念が異なっている「油と水」なのです。  しかし幸いなことに、今回の選挙には、安倍自民とほぼ同じ政策を掲げている「次世代の党」の参戦があります。ご存知のように、「次世代」の母体は、オールド・リベラリスト、政界の重鎮である、石原慎太郎、平沼赳夫、亀井静香氏ら等々が中心で動いている「新党」で、未だに著名な政党ではありませんが、中山夫妻、園田博之、三宅博、藤井孝男や山田宏、等々のベテラン議員の参加もあり、若手もかなり優秀なリベラリストたちが参加して、34名の候補者を立てています。党としては、今回の選挙が「初戦」の彼らではありますが、西村真悟、田母神としお、等々の「憂国の国士」の参加もあり、かなりの集票をして、衆議院議席の一角を占める勢力になるものとみています。安倍自民との政策協定もうまく行くはずで、公明党に代わって「連立」が組める勢力になる可能性も、充分にあると思っております。その意味においても、安倍自民と次世代の党へのご支持をお願いしている訳であります。  小筆が、今回の衆院選挙が、「日本の将来」に関わる重大な選挙になる、と申し上げている理由は、日本の国際環境にあります。第一に、中国の拡大を続ける「海洋覇権」があり、第二が、留まる処を知らない韓国の「反日攻勢」、第三が、ロシアとの「北方領土」の問題があります。今日までの日本政府の「外交姿勢」では、これらに対処出来ないことが明白に成った現在、日本は「武力を背景」とした「外交姿勢」を示す必要に迫られています。そのためには、まず「しなければならない事」は、憲法改定か新憲法の制定です。憲法改定をして、国際法で決められた正式な「国軍」を持ち、「国益」確保のためには、「武力解決」も辞さない、との姿勢を示せば、これらの三カ国は、今までの反日姿勢を改めざるを得ない状況に追い込まれます。この姿勢は、決して「好戦的行為」ではなく、当然国際公法で認められた「国益保全」、「国防対応策」ですから、何処の国からも「文句を付けられる」理由はありません。唯、気をつけなければならないのは、国内の「反日勢力」の存在だけです。その存在のひとつが、創価学会をバックに持つ公明党です。従って、何としても、「次世代の党」に衆議院に登院して貰い、安倍自民の一翼を担い、「日本の未来」を切り開いて欲しい、と願っている理由です。  次に、今回の選挙に参加している諸政党、所謂「野党」の存在に対する私見を述べます。まず、 公明党です。公明党は、憲法で禁止されている「政教一致」の政党です。この憲法違反の政党が、どういう訳か、政権与党と連立を組んでいるのが現状で、国家元首である天皇陛下に平気で不敬を働いているのも、この公明党員です。彼らの母体である創価学会は「宗教法人」として課税されず、膨大な資金を抱え込んで「日本の政治」を乗っ取ろうとしている「反日団体」でもあります。  次は、民主党です。小筆は、この党を「帰化人政党」と呼んでいますが、公明党員と同じで「皇室に対する敬意」など微塵も持っていない「反日政党」がこのグループで、3年4ヶ月間「政権」を維持していましたが、何一つ「公約」を実行できなかったために、全国民から「ノー印」を張られ、今回の選挙で、存命が試されるはずです。維新の党、彼らは橋下の茶番に踊らされた結果、消え行く運命にあります。その他、共産党、在日オンリーの社民党、無所属を含めて、何一つ出来ない「無駄飯喰らい」の党ばかりで、早々に消え去って欲しい、と願っているものばかりです。  従って、小筆が期待を寄せている政党は、「安倍自民党」と「次世代の党」の2党しか無い、という事です。皆様も色々とご意見がある事と存じますが、小筆のような「意見」もある、という事を念頭に、投票されることをお願いしたい、と思っております。宜しく、シドニー在、戸倉勝禮。

Blog-47 「衆院選」

Blog-47 「衆院選」  12月2日、衆議院議員選挙が公示され、14日の「投開票」が決定された。安倍総理が「アべノミックス」と「消費増税」に対する国民全般の審判を仰ぐ、と云う前提ではあるが、当然その先には、消費税10%へがあり、さらに奥には「憲法改正」実施への国民からの支持獲得が秘められている。それに併せて、この選挙には、政治家安倍普三が政治生命を賭した、最も重要な課題、「日本再生」を実現すべき大目標が秘められているはずで、結果如何によっては、日本の「発展か、更なる沈滞か」の是非を全国民に問い掛けている。その上に、戦後70年近くも続いた敗戦後遺症である「自虐思想」を克服して、日本本来の「光輝ある伝統精神」を取り戻し、「栄えある民族文化」を再興させて、日本の将来を確たるものにするための決意が秘められているために、史上最も重要な選挙になるはずである。  斯く云う小筆は、日本国民が敗戦以来、消失した「日本民族の伝統的精神文化」と「和を尊ぶ民族精神の再来」を心から期待しているので、その願いを叶えてくれるのは「安倍自民」と石原、平沼両国士が領導する「次世代の党」に実現を期待するしか無いと確信しているために、是非とも両党による「大勝利」と「連立政権」の実現を願っている。  巷では今選挙の争点を、「アベノミクス」、「消費税」、「集団自衛権」に絞っているようであるが、小筆は、安倍政権の「経済政策」は正しく、3%増税後も消費力は落ちず、金融緩和による「株価高騰」ひとつを見ても大成功で、「円安政策」も日本経済再生の重要なポイントになっている。消費税10% は「世界の常識」であり、当然実施すべきであるが、その条件として、「生活必需品」、例えば、一般食料品、生活必需品、児童用品、等々、庶民生活に直結する「商品」への課税は低率にし、奢侈品、アルコール、タバコ、遊興課税、等々への課税を高くする「融通課税方式」を付加する方法を研究すれば、国民全般の理解が得やすいのではないか、と考えている。  「集団的自衛権」の問題は、現在東アジアの各国権益が輻湊する情勢を考えれば、「当然、容認せざるを得ない」国防上の問題である。その主役となる自衛隊の「国防軍」への早期昇格は必要であり、憲法上の明記も当然の事である。国権、国益を守る「国軍の保持」は、国家固有の権利で、何人と云えず「これを否定」することは出来ない。従って、現行憲法の「戦力保持の否定」と「交戦権の放棄」は、法制定上の「間違い」であり、現行憲法の「改訂」または「新憲法」の制定は、日本国民固有の権利であり、必須条件でもある。その改訂が否定され続けてきた理由は、現行憲法の「生い立ち」にあり、各条文、特に「前文」と戦争放棄のみならず「自衛権」の否定に到っては、国家基本法である「憲法理念」の要件さえ満たしてない「素人憲法」である。その上、英文からの「和訳」の拙さに到っては、「国家基本法」の要件さえ満たして無い。従って、当然改憲は必要なことであり、今日まで「改憲」が衆議院で検討されなかった事自体が、「間違い」であったのだ。国防の「要」である自衛隊を、創設以来60年間も「継子扱い」にして来た歴代内閣の責任は重大であった、と云える。今次「安倍内閣成立」により、早々に自衛隊の「国軍昇格」と「憲法明記」を実現して欲しいと願っている。  これらに加えて小筆の「願い」は、今衆院選を通じて、「ごみため国会」のメンバーの「洗濯と大掃除」に期待している。現衆参両国会議員たちの資格要件の「洗い直し」が出来ること、即ち「無駄な政党、駄目な議員」は、まず「衆議院」から追い出し、続く参議選からも追放して、「両院議会」を正常な「国家運営議会」に再建する、という事である。衆参両議院は、日本国家の「最高議決機関」であり、その構成員は、「それに見合う」に足りる、人格、見識、高徳、その上に何らかの「専門知識と経験」を備えた「人士」であるべき事は勿論、品行方正、清廉潔白の人物であるべきであると共に、最も重要な資格は、国体の基本である「天皇制」を遵奉し、国家に忠実な人士でなければならない、という大原則に立ち戻る必要がある。  現国会構成の、政党、議員連中を俯瞰すると、所謂「保守系」と称される自民党、新生「次世代の党」、それに対極する革新系と称される、共産党、在日専属の社民市民連合、中間左派(?)の民主党、その間に、宗教政党公明党があり、無色乃至は政見不明の維新の党、解散をよぎなくされた生活の党やみんなの党、プラス、無所属を初めとする「旗色不鮮明」な雑軍が存在している。彼らの多くは、政界の「寄生虫」みたいな議員で構成され、「訳の判らない綱領を掲げた政党」が雑居している。このような国家は、世界広しと云えども「日本」だけである。恐らく彼らの全部が、もし「政党助成金」と過剰な「歳費」が無ければ、とうの昔に解党、離職して「淘汰」されていたはずである。彼らの「生存を許している原因」は、国民に「確固たる政治理念」が欠如しているからで、ある程度の「知名度」や「二世、三世議員」の旗振りに惑わされて「投票」してしまうから、雑居政党の存在が許されているのだと思う。その上、党名は挙げ無いが、明らかに「反国家的な政党」も存在している。日本国の「国会」に「反日勢力」が籍を持っている、という事実は、ショック以外の何物でも無く、何故、そのような議員が選出されるのか、理解に苦しんでいる。その上、特定宗教を母体とした「政党」の存在がある。日本国憲法に「政教分離」と明確に記載されているのに、長年にわたり黙認され続け、最高裁判所も異議を申し立てた事がないのが「公明党」である。最高裁の裁定である「一票の格差」による「違憲判決」も、衆参両院で無視されたまま、今日に至っている。憲法上、「戦力の保持は、これを認めない」とされている「自衛隊の存在」も未解決のまま、60年近くも保持し続けている。その他、憲法上の規定と地方の法令が相克していて、まともな国家運営が出来ない「不条理」も存在している。これらの不整合性を知りながら、法整備を行わずに、看過して今日に至っているのが、現在の「立法府衆議院」で、要するに「機能不全」なのである。そのためにも、「憲法改定」または「新憲法」の制定が必要である。  さて、12月14日に実施される「衆議院総選挙」である。上に述べた私見から記述すると、安倍自民の圧勝は「間違いない」と見ている。次に一翼を占めるのが「次世代の党」であり、恐らく、この二つの党は「圧勝」を得て、「連立政権」を組むはずである。固定票を持っている公明党も、大物二人が、次世代に「食われる」可能性があり、苦戦を強いられた挙句、野党に転落すると思う。民主党の凋落は、誰も止められず15議席以下になる可能性がある。理由は簡単、日本人のすべてが、「民主党に騙された・・・」と確信しているのと、政権崩壊後も、鳩山、管、野田前総理たちの「発言」が、騙されたと信じている「国民の神経」を逆撫でし続けているだけでなく、「生き残り」の民主党員たちが「反省の色」も見せずに、安倍内閣を非難し続けている事も大きく影響していると思う。維新の党も、「ごたごた憲司」との合併問題云々で味噌をつけ、橋下、松井両氏の不出馬で、勢いが削がれた結果、民主党なみに落ち込む可能性が充分ある。固定票にしがみ付いている共産党は、そこそこの議席を得るだろうが、その他は、無所属と共に、「大幅減」となり存続も危ぶまれそうになる。従って衆議院は、圧倒的に「安倍自民と次世代」の連立天下となり、「日本再生」のための法整備が進み、やがて念願の「平成憲法」の成立も可能になると思っている。  安倍自民、次世代連立政権成立の後、この政権を後押ししてくれるのが「世界経済」の退潮である。反日勢力である「中韓北」は、国内経済の崩壊で、「狂乱状態」になるはずで、米国もオバマ大統領指導力低下と国内経済の不振で、二年後の「新大統領選出」まで、危機的状況が継続する可能性があり、ユーロ圏もドイツ以外の経済不況で困惑の極地に立たされる可能性がある。欧州勢の中で、辛うじて健全財政が保てる国は、英独2ヶ国のみとなる可能性も否定できない。産油国も油価の低下とイスラム圏内の「内ゲバテロ」で収拾がつかなくなり、混乱が続くはずであり、それを抑えるべき欧米の「武力鎮圧」も、自国内の経済不安定で、以前のような武力鎮圧が不可能になると共に、各国ともに、国内に抱えている「イスラム勢力」の暴発予防に、集中せざるを得ない状況のために、今日までの勢いが削がれるはずで、中東の混乱も、欧米の武力干渉から「逃れ得る」可能性が高い。地球規模的には、辛うじて南米ブラジルのみが現状維持の可能性がある。その中で、安倍自民と次世代の「連立政府」は、「アベノミックス」の成功と政策的な「円安継続」で、財政、経済ともに安定上昇する上に、日本の株式市場に世界中から「投資先を失った資金」が流れ込み、日本の株式市況は空前の「高騰」を迎える可能性がある。  このような世界情勢をバックにして、安倍政権は、国内改革のみならず、オセアニア、東南アジア、インド亜大陸、強いては、中東、東アフリカを含む「大共栄圏」の構築が可能になり、第二次世界大戦以後、初めての「国内大景気」と「国際協調政策」の「両面同時進行作戦」の実現が可能になり、自ずから「中国封じ込め政策」が出現可能と予測している。この国際環境の中では、反日中国、反日韓国、ならず者北朝鮮の「国際的発言力」は、自ずから減殺されて、国際社会での信用さえも失うことになるはずである。  敗戦後70年、講和条約成立、「独立」を取り戻してから63年間、決して真の独立国とい云えなかった「祖国日本」、その国家運営を、私が戦後最も卓越した総理大臣だと見ている安倍晋三に託して、「真の日本再生」を実現して貰う喜びに浸っている。今月14日、日曜日、安倍自民政権の「大躍進」を賭した国家百年の大計を決するべき「衆院選」に託する願いが叶えられる。日本国民は、この大事な総選挙に「必ず投票」して貰い、個人候補は「安倍自民推薦候補者」、比例代表は「次世代の党」と記名することに依って、日本の「戦後政治」を解消し、未来百年の大計に基づく「新生日本」の国家経営の基盤造りに参加して貰いたい、と願っている。  では、日本の皆さん、皆さんの「賢明なご判断」に期待しながら、14日、日曜日の夜、シャンパンを用意して開票結果を待ちます。 連絡は、kentokura@hotmail.com. FB: Ken.Tokura 又は、Tel: +612 9874-2778. へ。

Blog 46 - 感傷旅行」

Blog-46 「感傷旅行」  先月15日から30日までの訪日で、学生時代から疑問に思っていた佐賀県唐津市を訪ねることが出来た。結果的には、何の「結論」も得られなかったが、人生最大の「疑問の地」を自分の足で歩き、眺め、肌で感じられたことで大いに満足した。  その疑問とは、小筆が大学4年の時、卒業試験が終わった後、卒業式までの一ヶ月間、香港旅行に誘われて「パスポート」を取った時、自分の戸籍謄本の父の欄に、戸倉勝人「出生地、佐賀県唐津市唐人町」との記載があったことから始まった。母もその事を初めて知ったらしく、親戚の叔父や叔母たちにも聞いてくれたが、「我々の祖母」と唐津市の関係は判らないままであった。祖母、「末永りょう」は、長州毛利藩の上級武士の長女で山口で生まれ、数え年14歳で下関の侍に嫁ぎ、2女をもうけた。しかし主人が病死したために、後に小筆の祖父、戸倉勝淑と再婚したが、先夫も戸倉家も唐津市には無縁であった。  戸倉家は、16代勝明まで代々姫路酒井藩の「馬廻り役番頭」、即ち「藩主の護衛隊長」と藩校「好古堂」の指図役と漢学師範として260石余の禄を食んできたが、17代勝淑の時、明治維新が起こり、徳川の親藩酒井藩は当然「賊軍」になり取り潰し、藩主は華族に列せられたが、家臣のすべては「小禄」を与えられて失業した。その上、賊軍からは誰一人明治新政府の官職には就けなかった。幸い戸倉家は歴代、馬廻り役の傍ら、漢学師範を続けていたために漢文の素養があり、維新以後、祖父勝淑は明治陸軍教導学校を卒業して近衛師団の士官になった。日清戦争に際し、祖父も朝鮮と満州に語学士官として出征したらしく、戦後、大連に残り、縁あって祖母と結婚した。父を身ごもった祖母は、日露戦争勃発に際し、祖父が軍籍に戻ったために、一人で唐津市に疎開して、明治37年10月24日に疎開先で父勝人を出産したために、戸籍謄本に「唐津市」と記載された事までは判った。しかし日露戦争を避けるために「何故、どんな縁」があって「身重な祖母」が唐津市に行ったのか、誰も知らない「謎」であった。小筆は、長年この疑問を解くべく、一度は唐津に行ってみたい、という夢を長年抱き続けてきたのが、75才にしてやっと実現した訳であった。  市制60周年の祝賀式典に招かれて訪れた宮城県白石市、その白石蔵王駅を06時20分の「やまびこ」に乗り、東京、新大阪と新幹線を乗り継ぎ、博多駅から筑肥線に乗り換えて、10時間後にやっと唐津駅に至り、タクシーで「虹の松原、国民宿舎」に着いたのは16時30分であった。暮れなずむ風光明媚な虹が浜を散策しながら、数奇な運命を辿った父の人生を改めて想い起し、小筆自身の人生との類似点が余りにも多いことに、今更ながら驚いている自分をも発見した「感傷旅行」でもあった。  祖父は、日露戦争以前から「支那語」が堪能であったために、大尉として情報関連の職務に携わっていたようであったが、戦後は大連で退役して、日本がロシアから譲り受けた「南満州鉄道」に職を得て総務畑を歩み続けた。日露戦争の10年後に勃発した第一次大戦で、日本がドイツから接収した山東鉄道に派遣され、大連から家族連れて青島に移ったのは、父が小学3年生の時であった。以後父は、青島日本人小学校に通学の傍ら、武家の子弟の嗜みとして剣道道場に通い、青島日本人中学校に入学した時は、青島の日本人社会でも知られた有名な剣士に育っていた。青島中学校では、剣道部に籍を置き、4年生の時に、京都の武徳会主催の「全国中等学校剣道大会」で優勝した経歴を持っていた。父は青島中学校卒業後、上海に在った「東亜同文書院」に入り、さらに中国語と中国事情修得に磨きを掛け、卒業後、熊本第六師団小倉第14連隊で「一年志願士官候補生」として、将校教育を受けた後に、大日本帝国陸軍予備少尉となって上海に戻り、満鉄に就職した。翌年大連本社の調査部に転勤した後、関東軍との連携で「満州国独立」の研究に携わり、新国家での「治安関連]の調査、研究を続け、満州国独立と共に「交通部(運輸省相当)に政務次官クラスの高級官僚となり、役人生活を始めた。建国直後の官僚、特に中国語に堪能であった父は、奉天、ハルピン、新京、海城、吉林、承徳、再度新京とめまぐるしい転勤生活が続き、2年毎の転勤生活に終始した。その間、ハルピンで姉、海城で小筆、吉林で妹、最後の新京で、その下の妹が生まれた。昭和20年7月、満州国協和会本部、調査第一部長の要職にあった父は、ソ連軍の満州侵攻に備えるために、関東軍の「根こそぎ動員」で軍籍に戻り、語学に優れた在満日本人8百余名を召集して、特別警備隊を組織し、彼らを率いて東満州の延吉に赴いた。父が42才、小筆が7才、新京の桜木小学校に入学したばかりの時であった。父は赴任に際し、戸倉家に代々引き継がれて来た、「伝家の兼房」の名刀を長男の小筆に手渡し、「祖母上、母上、姉妹たちを頼んだぞ!!」との言葉を残して戦場に向かった。    夏休みに入ったばかりの8月9日の未明、ソ連軍は膨大な部隊と共に北西満州国境を越えて満州国に侵入してきた。当時、精強を誇った関東軍も太平洋戦線に精兵部隊を抽出されて、未練成の老年若年兵ばかりが、対ソ戦線に残されていた。戦力の差は、いかんとも為し難くソ満国境は各地で破られ、関東軍も日系住民も南へ南へと後退を余儀なくされた。我々留守家族も、11日深夜、新京駅から汽車に乗せられ、南下して安東から鴨緑江を渡って北鮮に入り、平壌駅に至ったが、平壌も日本人避難民で溢れていたので、平壌の外港である鎮南浦に行かされた。鎮南浦は、港町で原住民の朝鮮人に混じり、一万人近い日本人が住んでいた。我々は、日本人民家に分宿させられ、結果として翌年9月16日まで疎開生活を余儀なくさせられた。父の消息は判らず、日本の状況も不明なまま、一年余りの疎開生活が続いた。翌年9月、日本への引揚げが始まり、健康な家族たちから梯団を組み、38度線を目指した「徒歩旅行」が始まった。男手が無い我々家族は、病人部隊に入れられ、達磨船、貨物列車、牛車、或いは徒歩と半月近く掛かってやっと38度線を越えて南鮮に入り、仁川から貨物船に乗せられて10月30日に佐世保港に着いた。迎えに来てくれた日本在住の叔父や叔母たちから「父は未帰還」である、と知らされた時のショックは、未だに鮮明な記憶として残っている。その後、母の郷里の山口県花岡に戻り、日本での生活が始まったが、父の居ない日常は、母一人の手で賄われ、極貧に近い生活が続いた。その後、シベリアに抑留されていた父から「はがき」が届き、我々家族も一安心したのも束の間、昭和25年5月に、山口県庁から父の死亡通知が届いたのが、小筆11才の時であった。  以後、我々家族の貧困生活は続いたが、母の教えは、「武家の誇り」と「清貧に耐える」心構えであった。我が家には、父がおらず、母一人の収入で生活しているので「貧しいのは当然」です。しかし、決して貧しさに負けず「精神貴族」の誇りを失ってはなりません、と何度も諭されて育ち、シベリアで共産主義者たちの「洗脳」を拒んで死んだ父への追憶に生きる生活が今日まで続いている。60才になって、父の「終焉の地」ハバロスクを訪ね、父の墓所を探したが果たせず、翌年ハバロスク経由でモスクワに行き、歴史文書保存センターを訪ねて、KGBが作成した父の「尋問書」を見つけ出したが、死因と検視報告書以外は、60余頁のすべてが消された「白紙」で、各頁の最下部に、父自身の雄渾な漢字での署名がされていたのを発見した。そのコピーを受け取り、シドニーへの帰途、日本に立ち寄り、日本文に翻訳してもらった検視報告書では、完全な「栄養失調」による疲労死を覗わせるものであった。諦め切れない小筆は、モスクワまで同行願ったガリーナ女史に墓所の調査を依頼していたが、10年後にハバロスクから連絡あり、いろいろと調査を続けているが、貴方の父上の墓所は、消去法でいくと、ハバロスク第二市民墓地の「日本人セクション」しか無い、と云って来た。その場所は、前回三度の訪問時に、小筆の「涙が止まらなかった」廃墓の一ヶ所であった。早速、女史に連絡して、4度目のハバロスク訪問を果たし「確証は無い」が、心理的に確信のあった父の埋葬地の墓参を果たしたのが、小筆70才の時であった。すでに廃墓になって久しい第二墓地跡はススキとブッシュで覆われていたが、ガリーナ女史がハバロスク当局に話して「ケンの父親の墓所」とみられる場所の雑木と萱を取り払うように頼んでくれていたので、一人で「墓地の中心部」に向かい、バラの花と日本で購入した日本酒「ワンカップ」とするめ、おかき、を墓地らしき所に並べ、ローソクと線香に火をつけ様とした途端、ワンカップのみが倒れ、酒半分が地面に吸い取られてしまった。「酒好き」であった父が、小筆のお祈りを待てずに、「先に飲んで」しまったが、息子のために「半分は残して」くれたものと信じて、残り半分を有難く飲み干したものであった。  結果から云うと、父の人生は、唐津生まれではあったが翌年満州に戻り、その後小倉で将校教育を受けた一年間以外は、すべて満州と中国、そして最後の4年間をシベリアで過ごして、46年間の人生を終えた。祖父も人生の大半を中国で過ごした。父の人生を真似た訳ではないが、小筆の人生も海外生活が満州時代も含めると52年間になり、息子も娘も日本とは全く関係の無い人生をシドニーで送っているので、これも戸倉家の「血」が為せる業かも知れない。7才で生き別れた「父」は、67年間を経た今も小筆の「胸」に生き続け、その姿には何の変化もなく、未だに幼年時代と同様に甘え続けている自分が可笑しくもあるが、それはそれで良い、これが俺の生き様なのだから・・・と納得し、「一人酒」を飲む時は、何時も父が相手であり、その都度、小筆が天国に行って、父に再会した時、何と挨拶をしたら良いのか、なんてことを考えながら、日々豪州ワインを楽しんでいる。良き家族に恵まれた自分の人生を両親の位牌に感謝しながら多忙な日常に勤しんでいる。 連絡は、tokura.katsunori@gmail.com Tel: +612-9874-2778へ. 次回訪日は来年3月を予定。