2011年9月22日木曜日

Blog-(23) ソウルの平和像

Blog-(23)
22-9-2011
「ソウル、平和の像」
 昨日の産経新聞によると、韓国、ソウルの日本大使館前に反日グループが推進する「慰安婦事件」への抗議のために「平和の像」建立を韓国政府が許可したのだそうだ。
 申請した反日グループの「感覚」も「許可」した政府機関の「国際儀礼に対する見識」も、共に世界の常識として決して通用するものでは無く、いくら「日本憎し」の感情が強くても、これほど「常識外れの行為」がまかり通るとは、一体全体「韓国人の国際感覚はどうなっているのか? 」と疑わざるをえない。この事件は日本のみならず、当然世界各国から非難されるだけでなく、韓国自体が軽蔑される結果を招くことは必定である。戦後66年間、歴代日本政府が取ってきた、前大戦への「謂われ無き自虐意識」と「諂い外交」、外務省の「事なかれ主義」の継続がこのような結果を招いたのだと思う。この事件に関して、今回は「朝鮮半島と日本」に関する自説を述べる。
 まず、朝鮮半島の歴史である。世界地図のどこの「半島」も有史以来、絶えず「大陸勢力」の影響を受ける地理的条件があり、そこに住む民族は「個性として」強力な大陸勢力に「諂って生きる民族的属性」を身上として生き永らえてきた。所謂「大に巻かれ」、「小に威を張る」民族的な性格である。朝鮮半島も例外ではなく、彼らの歴史は新羅、高麗以来、綿々として蒙古、満州、漢民族系等の大陸勢力からの「大陸圧」を受け、その中で絶えず諂い、へりくだり、そして恭順の意を示すことで安泰を守り、その不満の「捌け口」を半島の先にある脆弱で非文化的であると彼らだけが「勝手に思い込んでいた島国」、日本列島に「威を張る」ことで癒してきた。
 韓国は、高麗軍(朝鮮族)の将軍、李成桂が母国を裏切り、敵国であった明帝国の力を借りて「李王朝」を打ちたてて出来た「クーデター国家」であった「負の歴史」を持つ。その間五百年余り、李王朝は、宗主国、明、それに続いた清に「朝貢」することで自らの「王朝」の安泰を守り続けた。その間、中華思想、朱子学、漢学を導入し、明、清の「暦」、後には官職の採用試験「科挙」、「宦官」制度まで模倣して「小中華思想」の扶植に努めて「王朝」を継承した。少数の王族と貴族「両班」が国政を牛耳り、国民は少数の自由民「中人と常人」と大部分の奴隷「賎人」で構成され、両班以下は「国民」でさえ無く、牛馬以下の生活を強いられ続けてきた。儒教思想で凝り固められた国民には「上長に反抗する」という思考がない。ただ限界に達すると爆発して「喰わんがために暴動」を起こした。この国家的惨状から朝鮮族を解放したのが、今、彼らが憎悪してやまない日本による「日韓合併」であった。朝鮮民族が英雄と仰ぐ安重根は、人間として立派な人物であったようだが「日韓併合」に反対していた伊藤博文をハルピン駅頭で暗殺して「英雄」になった。伊藤が生きていたら「日韓合併」はなかったかもしれないのに、彼は「曖昧な情報」を元に過激な暗殺を実行して刑死した。「短慮思考」、「過激言動」、「刹那的行動」も半島人の特性かも知れない。
 朝鮮民族は、日韓併合によって「近代文明の恩恵」に浴することが出来た。これは「歴史的事実」である。合併後の日本は、膨大な国家資金を半島に投入して朝鮮人の「民度向上」に努めた。最初に手を付けたのが、たった二つしか無かった「両班子弟専用」の小学校を、一般庶民の子弟用に各村ごとに作り、朝鮮語(ハングル)と日本語の読み書きから教えると共に、中学校、高等学校、医学専門学校から大学まで作り、朝鮮人を教育した。道路も橋も鉄道も無かった全国に交通網を縦横に敷き、新たに港湾施設を建設して経済流通と人的移動を可能にした。曖昧模糊としていた土地の「所有権」を検地して確定させ、それまで土地の所有を許されていなかった両班以外の人間にも土地をを与えて自耕を可能にした。貨幣制度、度量衡制度を確立させ、法律と税制を整備して「国家経営」を可能にしたために、経済は急速に進展した。産業確立のために鉱山資源の豊富な北朝鮮に日本よりも遥かに大規模な重化学工場を建設し、その電源供給のために世界規模を上回る「多目的ダム」をいくつも建設して、「朝鮮半島」が自活出来るようにした。当然国民の生活は向上した。その間、たったの36年間弱の日本支配の間に、朝鮮半島の民度の向上と資本主義国家としての内容は、先に日本領土となった台湾と、後の満州国と共に「資本主義国家の奇跡」と世界中から賛美されるほどの内容を持っていた。
 太平洋戦争は、英米蘭中と日本の戦争であり、朝鮮民族には関係の無い戦いであった。しかし、日本の敗戦により朝鮮半島は独立した。独立と共に即、自己分裂を始めて南北朝鮮が生まれ、同胞同士で勝手に民族戦争を始めて、日本が36年近く掛けて営々として築き挙げた国内資産のすべてを消失させた。日本の敗戦直後、朝鮮半島に存在した「日本資産」の総額は、米軍の試算で58億米ドルの価値があった。この価値は、昭和16年度の日本の国家予算が約5億米ドル強であったから、いかに膨大な資産であったかが分かる。北朝鮮は、日本時代の資産を喰い潰すと「乞食国家」になり、ソ連、中国に支援を仰ぎ続け、金稼ぎのためには平気で国際法無視の海賊行為(偽造紙幣、麻薬製造密売、偽タバコ、在日朝鮮人からの送金強要、等々)を日常とするようになり、最近では「核兵器技術の輸出」さえ手がけている、とのことである。南朝鮮は36年間の日本植民地時代の追加補償と贖罪を未だに求め続けている。親日派の糾弾、反日教育、竹島不法占拠、日本文化の否定、それに今回の「従軍慰安婦」に係わる「平和の像」建立、等々である。彼らが強要する「歴史認識」とは、「日韓合併」のすべてを「悪」と決め付け、彼らの云っている「悪行」のすべてを日本が認めよ、という事である。そこには先般の東日本大災害に際して、韓国内からも相当額の義捐金が集まったらしい。その後の「言い分」は、韓国民はこれだけ「日本のために同情」しているのに「竹島が日本領土」と教科書に書くのはけしからん、と「筋違い」なことを云ってるらしい。
 1965年5月、日本と韓国は「日韓基本条約」を結び、戦前のすべての補償関係と請求権を清算し、日本は当時の韓国の年間予算の三倍にあたる11臆ドル余りを支払って、戦前の「すべての問題」を解決したはずである。その後もODA、1965年から90年までだけでも6千3百億円以上を支援し、民間企業の技術支援を加えると天文学的な金額を支援し続けている。「甘え」に付け込むのも半島人の性格であるのかも知れない。個人的には良質で優秀な人間も沢山いるはずであるが、なぜ、彼らは「事、日本が対象」になると、かくも無理難題を平気で口にできるのか、民俗学的にも興味ある課題である。
 朝鮮半島の人間は、李王朝成立以来、「儒教思想」を基盤に生きてきた。文を尊び、年長者を敬い、年下の者を庇うのが最大の「徳」としてきた。彼らの思考からすると「中国は年長」、「日本は幼齢」という「序列」になるらしい。その幼齢の日本が明治維新以降、自分たち兄貴分を超越する国力を付けたのみならず、自分たちの上に君臨した、という事実が許せないらしい。事ある毎に「反日感情」を剥き出しにする原因であろう。その上、戦後の韓国を牛耳った李承晩大統領が、コチコチの反日憎悪の塊で、全国民に「反日感情」を叩き込んだのも原因のひとつである。小筆は、7才から8才にかけての一年間、北朝鮮の鎮南浦という平城近くの田舎町で疎開生活を送った経験がある。終戦の3日前、満州の首府「新京」からソ連軍に追われるようにして北朝鮮まで逃げて来た所で終戦の詔勅を聴き、その直後ソ連軍に推された金日成が38度線を封鎖したために帰国できず、一年間の疎開生活を体験した。しかし、朝鮮人たちは大人しくて親切で、治安も良好で、日本人を憎んでいる風情など微塵も感じられず、何も不安は感じたことはなかった。この経験からして、日本の朝鮮半島統治は、現在の彼らが叫びまくっているほど「悪いものではなかった」と体験上確信している。従って、今日の「反日感情」は「戦後政治的に仕立てられた」もので、決して彼らの本音ではないと観ているし、時が経てば「彼らとの友好関係」も回復できるものと信じている。
 今回、日本を襲った「台風15号」、まさに日本列島を縦断して、各地に豪雨をもたらした。犠牲者や被災者には誠に申し訳ない言葉ではあるが、小筆はこの台風を「平成の神風」と感じている。何故ならば、東日本のみならず本州各地で大問題になっている「放射能汚染」地帯を最大量の豪雨で洗い流してくれたからである。この天恵「神風」は、復興予算の中から「土壌洗浄経費」を大いに削減してくれているはずである。戦時中、軍部が採用した「欺瞞の神風」は決して信じない。しかし「神州日本」とまでは云わないまでも、小筆は昔から日本の危機に必ず吹いてくれる「神風」の存在を信じているからである。シドニーは春たけなわ、初夏の花、ジャカランダが咲くのも時間の問題である。

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