2011年3月30日水曜日

大災害を生かす・・・

この度の「東日本大震災」と「福島原発事故」は、その規模といい、膨大な犠牲者、被災者発生の数といい、その被害はまさに前大戦に比すべき大災害になった。犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表すると共に、不便な環境で忍耐生活を強いられている被災者の方々にお見舞いの言葉を差し上げたいと思います。
 地理的に天災発生と隣り合わせで生活することを余儀なくされている日本列島と国民のために、今回の大災害を契機に、国家事業として防災概念の根本を変革する必要があり、世界に誇れる理想的な「国家千年の大計」を立案実施して、全世界に高邁な防災対策の好例を示す必要がある。
 昔から三陸海岸は地震と津波の頻度発生地域であり、歴史的に見ても住人は絶えずこの危険に身を晒してきた。従来の政府もそれなりの対策を講じてはいたが、今回の想定外の「大規模地震と津波」は観測史上最大のものになり、その被害の甚大さは、今日までの被害想定基準を大幅に超えた。地球温暖化による海面上昇も勘案して、従来の基準を根本的に変更しなければ対応できない実態を思い知らされたといえよう。
 被害総額は、25兆円を超えると推定され、日本の国家予算、一般会計総額の30%近くになる膨大なものである。それに加えた人的被害があり、住民が失った今後の生活手段を考えると、想像を絶する額になるはずだ。藤原家摂政時代の貞観地震以来「1114年ぶりの大地震」とは云え、次の地震が発生する可能性が消えた訳ではなく、地震の稀周期性を考えると何時再来するかは予測困難である。住民個々人でも、市町村、県単位で対処できる規模の問題ではないので、国家の政治課題として対応せざるをえない事は明白である。
 陸地に制限のある日本では、どんな土地でも危険を承知で住居を定めなければならない。生活の根拠地が定まれば、勤勉な日本人はいかようにも生活手段を構築していく能力に長けている。その危険性をいかに最小限に食い止めていくかは行政の責任である。今回のBlog ではこの難題について私見を述べたい。 
まず日本列島は、地震、台風、津波、火山活動の影響が日常生活に密着しているのが現状である。三陸沖地震、東海沖地震、南海沖地震の発生は、以前から想定されており、それなりの対策は講じられてきた。しかし今回の宮城県沖地震の規模は、想定外の威力を示し、この惨状をもたらした。この回避不可能な自然現象をいかに克服するかは、人智であり、行政課題であり、究極的には「政治」の問題である。今回の大震災は、もし、あくまでも仮定の想定ではあるが、事前に「政治的に対処」されていれば、被害程度をより低く抑えられたかも知れない。しかし、過ぎ去った事象をここで問い質すのではなくて、あくまでも「将来必来の災害」に備える意味で、次に述べる対策を講じるべきである、と提議したい。
 国民の生命と財産、それを支える経済構造は国家の根幹であり、それらの保護のためには、日本国政府はあらゆる危険、天災、国難を想定した国家最重要の「防衛戦争」として位置づけ、「国防対策」に万全の備えを整える義務がある。
 
 では、対策とは何か? 答えはひとつ、「津波の回避」と「耐震建築」に尽きる。
 耐震建築は、行政指導で各個人でも実施可能である。しかし津波の回避は個人の能力を遥かに超える。そこで考えられるのが、「空中都市」(エアラ・ポリス)の建設である。すなわち、すべての集落を商業施設を付随させたまま、地上50メートル以上に整地した「高台」に移し、耐震構造を施した住居、学校、病院、市町村庁舎を緊急避難設備を兼備した公共ビルとして建設して生活基盤とする。産業施設と農耕地と遊興地域のみを海岸線で営み、そこにある工場、事務所、作業場等の建築物はすべて6階建以上の耐震、耐津波ビルと定め、屋上には必ずミニヘリポートの設置を義務づける。
 高地集落(エアラ・ポリス)と低地産業地区とはエレベーターと生活道路で繋ぐ。従来の海浜居住地はすべて「経済地区」と「農耕地」、ないしは「遊興地区」として活用し、生活道路以外の「幹線アクセス」は、すべて20メートル以上の高架道路にして、直接、主要幹線高速道路と各エアラ・ポリスに繋ぐ。幹線道路には「宿場町」のごとく、一定間隔をもって「緊急用ガソリン・スタンド」を指定して、常時一定量のガソリンとジーゼル油を備蓄させて、緊急の場合でもライフラインの確保を確実にする。緊急補給手段として大小ヘリコプターとホーバークラフト、航空貨物機の活用を常態化して、海上、陸上、航空自衛隊の持つ全機動力をもって海、陸、空、各路からの補給手段を確保する。
 政府は、緊急事態発生時には、即「緊急時内閣」を組織する権限を持ち、超党派組織をもって災害対策に当たる。自衛隊、警察、消防組織を一元指揮下の元に管理して、地方自治体組織との連携で「平和時戦争」として非常時対応を指揮する。日本赤十字との連携の上、緊急医療対策チームを組織して、民間の医師、看護師の派遣、医薬品の補給を組織化して、民間組織、とくにNPO組織と連携して個別の対応に従事させる。メディア機能を有効利用して個人の通信手段を確保する。交通施設は鉄道在来線と地方道路は補強程度にとどめ、基幹となる新幹線と幹線道路の耐震強化を図る。併せて、対外接点として外務省に「緊急対応局」を設置して各種外来支援の受け入れを担当させる。
 今回の福島原発の事故を鑑みて、核燃料発電の危険性と脆弱性を認め、「操業中止」を前提に早急に安全なる「代替エネルギー源」、太陽熱、風力、水力、海流、地熱利用、等の研究と開発に技術大国日本の全国力を挙げて努めれば、世界に先駆けて「安全なエネルギー源」の確保と実用化に必ず成功するはずである。
 さて、これらの資金源であるが、「緊急予算」の編成のみならず、「災害国債」を発行して、有利な利回りをもって国民の持っている「個人金融資産」1,500兆円から捻出し、場合によっては、政府所有の外国債、250兆円の売却も考慮すべきかも知れない。
 今回の未曾有の災害は世界中が注目する所であり、併せて、日本国民の高潔な資質、忍耐力、高い公徳心、謙譲と犠牲的精神の発露は、全世界が瞠目し賞賛を惜しまない日本独特の文化的美徳として高い評価を得た。その上に、今回の緊急時に日本政府が、いち早くこれらの果敢な最先端的な「災害復興計画」をもった対応策を打ち出して実行に移せば、対外信用の回復にも繋がり、新規「危機管理産業」の輸出市場開発の一助にもなるはずである。全世界が驚くほどの「立ち直る日本」の姿と「災害に学び、未来を築く」日本の知恵と組織力を展開すれば、人類史上稀に見る「成熟国家」として世界的な評価も得られるはずである。
 今日まで国際的な悪評を買ってきた、あの狭い国会議事堂の中で、夜叉等Politicianどもが繰り広げていた「国民疎外」の実りなき「井戸端会議」での意地の突っ張り合いを、即やめて、せめて「国家、国民」のために全霊を打ち込んで、この難局克服に邁進すれば、日本を見る世界の眼も少しは変わってくるはずである。以前、誰かさんがほざいた「一兵卒となって全身全霊をもって国家に尽くしたい・・・」との言葉を実行する最高の機会である。都内のマンション全部を売り払い、隠匿している政治資金全額を「震災復興」のために吐き出してこそ、国民からの信頼回復の一助になり、誠心誠意国家に尽くす事だ、と思うのだが・・・、果たしてこの御仁にそれだけの腹があるかどうか、正念場になりそうだ。
 奇遇ながら小筆は、3月9日早朝、08時36分、白石蔵王駅発の「やまび210号」に乗車、10時44分に東京駅に到着した時、電光板ニュースで岩手県で9時45分に大きな地震があった事を知った。翌々日の朝、大阪で三陸沖の大津波のニュースを見て、この大災害の実相を知った。以前も東京の地下鉄サリン事件を知ったのは大阪出張の時であり、関西淡路大地震の1週間後に現地に入り、ニューヨークの「9.11Terro Attack事件」の2週間後に現地に出張している。何か、自分にまつわる運命の機微と神助を感じざるを得ない。