Blog-(18)
「何をしてんねぇや・・・」、
 東日本大震災、原発事故の後、早くも50日を越えようとしている。
 この大災害で田畑や家屋、生活手段のみならず、親や子供を失い、親族や縁戚の行方が不明の方々が、不自由な避難先で日々を過ごされていることに、心からの哀切と同情を感じている。と同時に、被災地では我々の同胞「日本国民」が、一日千秋の思いで自国政府からの救済の到来と未来展望予測の朗報を待ちわび続けておられることも、重々承知している。
 東電や政府が誇らかに述べた「安全原発」を信じて、自分たちの平和な村落に豊かな生活を期待して原発建設を認めた住民たち、その「確約」が「想定外」の一言で覆され、故郷を追われ、流浪の民となった人々、自分の故郷、自分の家に帰れない人たちの心情を想うと、彼らの底知れぬ激憤に同調せざるを得ない。
 彼ら被災民にとって現下の「救済」と「朗報」とは、物資的な救済のみならず、国家政策としての「確固たる復興指針」の策定である。彼らのすべてが、生きるための「救援物資」と将来への「希望の灯火」である「復興対策案」提示の双方を待望んでいるはずだ。
 この大災害に際しては、個人の力量で出来る事などは限られているので、政府の示す「未来展望」なくしては、何一つ行動を起こすことが不可能であろう。政府の示す「未来展望」に基づいて被災民個々が生活設計を立てて行く、これこそが被災民の生活再建の根本であり、希望の源泉となるはずだ。その根幹であるべき政府が、未だに「救済方式」も「対策指針」をも決めかねて、災害地救済が遅々として進展していない。原発事故の実態さえ不明で、その解決策の見通しも示されていない。大阪弁で云うと、一体全体、政府は「何をしてんねぇや・・・」と云うことになろう。
 地震と津波は天災であった。しかし「原発事故」と「無策の現状」は、日本政府による「人災」でしかあり得ない。被災地住民の願うところは明確である。住むところ「仮設住宅」の早期建設であり、インフラの復旧、生活手段の確保、である。遠大な復興計画や復興会議の検討などは遅れてもかまわない、ただちに必要な事は、「日常切迫の必要事」を即刻満たす事である。必要な住宅を「取り合えず作る」、こんな簡単な事も出来ない政府など、誰が信じることができるであろう。その昔、木下藤吉郎が蜂須賀小六の要請に応えて「清洲城」を一夜で築いた故事に習い、被災民が一番必要としている物を「取り合えず」与える。これが本当の政治ではあるまいか?
 仮設住宅は、空き地ならどこでも「手当り次第」に建設をしたら良い。地権や区画の問題など後から考えればよい、どうせ永久に住む訳ではないのだから・・・。インフラ問題も、取り合えず必要物資が被災地に搬入出来れば良い、電気、ガス、水道も、すべて仮設で良いから、取り合えず使用可能にすることだ。生活手段は、災害復旧事業が山ほどある、手近な所で被災者に出来る仕事を手伝って貰い、手間賃を払う。学校も病院もすべて仮設でも構わないから、とにかく使用可能にすることが第一である。緊急事態なのだから、すべてを「超法規的」に実施していく、こんな簡単な事が被災後一月半も掛かって何も着手されていない、とはどういう事であろう。
 聞くところによると、地方自治体が独自の判断で住民救済を実施する段階で、各種省庁間の「縦割り行政」の許認可や手続き上の弊害のために、実施が不可能な事態が多々起こっているそうだ。そんな行政上の問題を「緊急避難的に調整」する臨時の担当部署を「現場」に設置していないために、被災民が必要とする緊急対策が遅れているのだ。こんな簡単な調整事務さえも出来ないようでは、「無能な政府」と云われてもしょうがない。
 「予算がない・・・」、こんな事は言い訳にならない、平時だって「借金まみれ」で国家運営をして来たではないか? 平時に作った「マニフェスト」、特に問題がある「4K」などは、この緊急事故突発時には「凍結」して当然であり、その予算を「最重要課題」被災地復興資金として優先的に充当すべき事は、子供でも解る常識であろう。譲渡可能な「復興国債」、遺産相続税減率の「震災ボンド」、「災害復興宝くじ」等々、復興資金の集め方など、一寸頭を使えばいくらでも出てくる。この際、箪笥に眠っている民間資本、個人金融資産を「有利な金利」支払いで有用する事も考えるべきであろう。
 4月11日発足の「復興構想会議」の発言には失望した。復興増税を真っ先に折込み、被災地ですべてを失った人たちからも、増税分を徴収しようという無慈悲極まりない話である。こんな決定しか下せない「有識者」を集めた政府の知能程度を疑っている。せめて被災地を網羅する「政治特区」か「経済特区」を設定して、第一に、被災民への行政的、税的負担をゼロにするくらいの思考があって然るべきであったのではないか?  災害復旧のための「増税」を考える前に、執行予算支出の転用と無駄遣い予算の支出延期を実施して、取り合えず「手持ち資金」を作った上で救済資金へ充当し、その後で転用した予算の支出先を徹底的に精査して、不要な支出を削減してゆくべきではないか? こんな簡単で単純な復興準備「構想」を考え出すために、「有識者」の召集指示を出した政府の常識を疑うものである。
 東北地方太平洋岸は、神代の昔から「津波の常襲地」であることは世間の常識であった。その常識に「想定外」などと云う言葉はあり得ない。「想定外を想定」するのが政府の仕事であり、緊急時に住民を避難させる事も、被災民を救済する事も行政の責務である。そして、その予防措置を施し、救済資金を確保すことは、国家の「国防義務」であるはずだ。この重大問題を軽視してきた歴代政府の怠慢をここで非難しても始まらない。今、現政府がやるべき事は、被災民への緊急救済対策を即実施すると共に、早々に恒久的な「災害予防対策」を確定して実行することである。
 しかし、誠に残念な事ながら、現内閣ではそれが出来ない事が明白になった。今、国会がやるべき最重要事項は、「復興内閣」設立のために与野党がすべてのしがらみを捨てて「超党派」で「災害復興」を議論すべき時期ではないのか?  その旗振りをする人間に「臨時対策執行長官」の役職を与えて、期限付きで内閣を超越する「臨時全権」を与えてもよいのではないか?  何でも良い、「被災民を救済できる施策なら、すべてを発動させる」、この決断が出来る人間に「日本国家運営の全権」を与えることだ。何も出来ない現内閣に期待を寄せるよりも、「可能性に賭ける」こともひとつの選択肢である。
 未曾有の国難時には「足踏み」は許されない、「すべて実行」あるのみである。高額歳費と過剰な政党助成金をせしめている現両院議員たちは、自分たちの「無策」を恥じるべきである。なぜ、超党派で「緊急対策」実施の討議が出来ないのか?  醜い「菅おろし」を策動している議員たちに、この緊急時に対応すべき「施策案」があるのか? いかなる手段を講じて被災民を救済するのか? 即効性のある「対策」を提示して、
「自分たちならこうする・・・」、「だから菅さん、貴方は降りなさい・・・」、と正々堂々と公言した上で、首班おろしに挑戦すべきであろう。そんな経綸もなしに、闇雲に「菅おろし」を策謀することは、「野良犬の遠吠え」であり、最も恥ずべき「火事場泥棒」的首班簒奪に過ぎない。
 今、全世界が日本に注目している。歴代政府の行政能力への不信が続いていた上に、国内経済の低迷が続き、結果として、GDPも外貨保有高も下がっていた時に、この大災害である。世界が日本経済の先行きに注目するのは当然である。日本経済の凋落が世界経済に与えるダメージには重大なものがある。世界はそれを知っているからだ。
 幸いにして、被災民の民度の高さと忍耐力、難事に際しての規律ある行動には世界が驚嘆した。その上で、瞠目すべき政治手腕が発揮されれば、日本を見る世界の眼が変わってくるのは確実で、当然、日本の信用度も上昇するのだ。人類史上、例の無い「無謬の復興計画」を打ち立てて、「天災フリー」の国土復興計画を完成させれば、「国際社会での信頼を、一挙に回復できるのだが・・・」、 
 この夢も、政府がしっかりと舵取り出来なければ、単なる豪洲太朗の「蟷螂の夢」で終わるだろう。「日本政府、しっかりせぃやー」、まだまだ眠れぬ日が続きそうだ。