2011年8月19日金曜日

「この道は何時か来た道」

Blog-(22)

19-8-2011.

「この道は何時か来た道・・・」
 今年も8月15日を迎えた。小筆7才の折、北朝鮮、鎮南浦の疎開先で聴いた陛下の「終戦の詔勅」のことは、今でも昨日の出来事のように想い出せる。それから66年、焦土と化した日本の姿は大いに変わり、誰も想像だに出来なかった豊かな国民生活が実現した。
 国土拡張、資源模索、それにも増して勲章欲しさに暴走し続けた軍部独裁体制は、日中戦争から太平洋戦争に拡大され、結果として日本を壊滅寸前にまで追い込んだが、昭和天皇の異例の聖断で日本は救われた。戦後の日本は、あれだけ軍部が欲しがっていた資源を「平和裏に、そしてそれ以上に」入手して国家発展の基礎となして、今日の繁栄を得た。天皇陛下のご聖慮で敗戦を選んだ日本とは別に、前大戦で戦勝国となった「連合軍」諸国は、戦後も各種「紛争」に巻き込まれて、未だに膨大な国費と人命を「戦争」に費やし続けている。歴史のアイロニーと云うべきであろうが、皮肉な現実である。しかし現在の日本の平和と安泰が、果たして「真実の姿」であるかどうかは、大いに疑問である。今回は、この「日本の真実」について述べたい。
 戦前の軍部独走は、明治憲法上、天皇のみが持つ「国軍の統師権」を軍が独自に歪曲して、陸海軍の意思に「政府が容喙できない」存在として、自らの恣意の赴くままに独走した。満州事変、日中戦争、太平洋戦争、と日本国政府のみならず、自分たちの統師の源泉である「天皇の聖慮」まで無視して、自ら求めるところへ暴走をしたのだ。政府のみならず国会の意思さえも有名無実になり、国民の意思などは当然無視された。その結果、内閣も国会の意思も何ら「国政」には反映されず、国内は荒廃の一途を辿って敗戦に至った。最後は、憲法上大いに疑問のある異例の「天皇自らの聖断」に頼って終戦に導かざるを得なかったのが、歴史の真実である。政府も国会も、軍部さえも日々、戦火に焼かれる国土と連日、万単位で玉砕して果て逝く将兵の情報を耳にしながら、誰一人として、戦争終結を叫ぶ勇気ある日本人はいなかった。まさに、総理大臣を始め、内閣閣僚、国会議員、政府高官、日本国民全員が「軍部独走」に眼をつぶり、無謀な戦争継続を黙認して破滅に突進した結果であった。しかし、天皇陛下のみは現実を直視され、「内閣の輔弼」勅裁の慣例を超越され御自らの判断で終戦の詔勅を発せられ日本の壊滅を阻止された。
 戦後66年、平和な日本にあって、なぜ今「この道は何時か来た道・・・」なのか? これが今日の主題である。 
 昨今の無能極まりない「政党独裁」の暴走と、「羊のごとく大人しい日本国民」の姿が余りにも戦前の軍部独走に似すぎている上に、国家最大の危機に直面している現実まで、昭和20年の敗戦直前の状況に酷似しているからである。55体制確立以降、自民党の「お手盛り独裁」は38年間も続き、国民に煮え湯を飲ませ続けた結果、民主党の「政権公約」を信じた国民により「政権政党」の座から引き摺り降ろされた。しかし政権を取った民主党の結末は無残なもので、二年を経ずして国民の心はすでに民主党から完全に離反している。その上、国家を代表すべき宰相、「総理大臣」が、まるで日替わりメニューのように、一年ごとにコロコロと代わる異常事態である。政権政党が駄目、最大野党の自民も駄目、その他の弱小乱立政党はもっと駄目。日本がこんな状況に追い込まれているにも係わらず、日本国民には、政府を代える「選択肢」が存在しないのが実情である。自民時代も、現、民主党時代も、「国民の意思」を表明出来る機会は、総選挙か衆議院選挙の他は、地方選挙とマスコミが実施する「世論調査の政党支持率」くらいしか表現の方法が無いのが現実である。政権与党である民主党が「国会解散」を宣言しない限り、あと2年間は国民疎外のままで、自民時代同様に「民主党内」だけでの「首相たらい回し」が続くのである。
 前大戦時、日本の財政は、歳入の9倍の借金を抱えて破産寸前であった。現在の財政赤字は、国、地方併せて、歳入の39年分、特別会計を含めた歳出予算の6.5倍を上回る「借金」、1.411兆円を抱えている。この金額には各種公社や行政法人の抱える借金は含まれていない。それに加えて今回の大震災への「復興国債」25兆円である。民主党は、この25兆円を「増税」で賄うつもりらしい。増税による「消費の落ち込み」が「一般税収」を圧迫することは常識である。増税分と減収分のバランスを熟慮した形跡は見られない。景気回復策の議論は聞かれず、「財政赤字」の上に加えられた「復興国債=増税」、その結果としての「消費減退=ネガティブ・スパイラル」、こんな政策しか取れない民主党に日本の将来を任せられるだろうか?
 増税措置の前提として、まずは「緊縮体制」を表示して「無駄遣い」を徹底的に検証削減した後で、必要経費の削減を図り、なおかつ不足する分を「増税」で補う議案を提示するのが常識である。しかし、政府はおろか、野党も、政府官僚たちの誰一人として、この膨大な「累積赤字」(赤ん坊を含めた全国民一人当たり一千万円を超える借金)の改善解消に言及する者は誰一人として居ない。前大戦時、有識者のほとんどが敗戦を予測していた。しかし軍部独裁下では、当然そのような発言が許されるはずがなく、マスコミを含めた国民のすべてが沈黙し、軍部の「先棒を担いだ」マスコミは提灯記事を書き続けた。その中で、剛直な政治家、中野正剛と正義感に溢れた逓信省高官、松前重義は、時の宰相東条英機に停戦を直言して、中野は切腹、松前は二等兵として懲罰召集されてフィリピンの戦線に送られた。戦争反対の共産党員や社会主義者たちは、或いは「転向」し、ある者は祖国を捨ててソ連や中国へ亡命した。
 現在の政治家も高級官僚たちもマスコミさえも、この膨大な「財政赤字」の行く末と「デフォルト」の危険性が待ち構えている事を充分に承知している。しかし、誰一人としてこの「財政赤字解消」を唱える者が居ないのは、戦時中「事なかれ主義」に徹底して「日本を敗戦」に導いた責任者たちと全く同質の人間集団であることの証拠であろう。政党、官界、民間人を含む全日本国民すべての「無責任風土」に対する寛容姿勢に警鐘を鳴らさざるを得ない所以である。これが「何時か来た道」、前大戦開始以降70年後の現在、「日本の真実」である。
 米国の財政危機は世界を駆け巡り、米ドル不信が招いた「超円高時代」、輸出減少は当然のことながら、国内産業の海外移転にまで歯止めが掛からないのが実情で、日本経済の行く末も決して安泰なものではない。自ら高度成長を謳い続けている中国経済も「バブル崩壊」のみならず「共産党政権崩壊」さえカウントダウンの状況にある上に、ユーロ圏内のデフォルト多発の現在、日本は何が何でも「財政健全化」に努めて、一刻も早く「身軽な国家体制」を作る必要に迫られている。そのためには、戦後66年間続いた「政党独裁政治」を早急に解消して、国家体制の根本を改定して「新時代」に即応できる政治体制を一刻も早く確立する必要がある。
 戦後66年、歴代内閣の初期支持率は常に50%に近かったが、以後急速に減少するのが常で、20%を切ると「危険水域」だとされてきた。1,2の例外を除き、常にこの減少傾向を辿るのは、国民の期待感と現実の乖離が大きすぎるからであり、つまり与野党ともに「政権担当能力」が国民の期待以下であった証拠であろう。
 日本は自ら、この「無責任風土」からの脱却を図らねばならない。その第一歩は、現行「憲法」の改正である。「憲法無謬論」を唱える者がいる、しかし人間の作った物に完璧なものは無く、時代の変遷で「憲法環境」は当然変化してくる。世界各国で60年近くも「憲法改定」をしてない国は日本だけである。
 この国家的危機に際して、国政機能を高めるために「憲法改正」の国民運動を起こすべきである。その第一は、リコール付きの「首相公選」であり、衆参両議院定数、地方議会定数の「現行三分の二」削減であり、「道州制」導入による「小さな政府」実現であり、エネルギー政策の大変革、つまり無尽蔵、ノー・コストの「潮流発電」の開発に全力を注ぎ実用化を図ることである。開発費に幾ら掛かろうと、完成した発電装置がノー・コストで運転できれば、こんなに安い買い物は無い。まさに人類史上初めての最も安全で偉大なる「エネルギー革命」である。それに加えて、国家防衛の基本である自衛隊の「国軍」への昇格、日本民族再生のための教育制度の根本的改革、等を織り込んで、国家百年の大計を早急に確立する必要がある。同胞諸君、国家回天の行動を起こすのは「諸君自身」であり、「その時はねこの瞬間」である事を自覚して欲しい。
 日本の異常な酷暑に比べて、今のオーストラリアは「肌寒い冬」、豪洲太朗も白ワインを避けて、もっぱら赤ワインに親しむ日々。それでも祖国日本の「賞味期限一年限り」の使い捨て総理になるはずの「菅後の政局」が気に掛かってしょうがない毎日である。

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