2012年4月24日火曜日

Blog-(29), 「羞恥文化」を失った日本。

Blog-(29) 24-4-2012 「羞恥文化」は何処へ、  古き良き日本の生活習慣に「恥を知る・・・」と云う伝統的な精神文化があった。つまり、日常を、いかに「謙虚に生きるか」と云うことで、公道や天道に反する事、人倫に悖る事、人心に劣る事、近隣への迷惑、虚言を弄する事、等々、すべてが「恥を知らない人間」の行為として蔑まされていたし、「やくざ」の世界でさえ「こんな半端者と笑ってやって下さい・・・」と畏まったのが、世界でも希な日本文化の特徴であり、美徳でもあった。  この文化圏では、「己の恥を知る」事が最大の美徳であり、「恥を知れ・・・」と叱責される事が最大の侮辱であった。人は、すべからく「世間様に恥を掻かないように努め」、「自己規制」をしながら自分自身を戒めた。己の「恥を雪ぐ」ためには、身を挺して孤山や僧院に籠り、時には自決さえしたものであった。前大戦中、無謀な戦争を起こした軍部首脳は別として、日本軍は世界で最も勇敢な将兵を抱えていた。将兵のすべてが「己の本分」を知り、それに「悖る」行動を「恥としていた」からであった。この古き良き文化が世界最強の軍隊を育んだ主因であることを悟ったアメリカは、戦後教育ですべての「恥じを知る文明」を亡失させた。その結果が、「厚顔無恥」、「軽佻浮薄」、「礼譲知らず」な日本人が蔓延り、大道を闊歩する今日の散々たる現状である。「恥を知る、誇り高き日本人」が消えうせた結果、と云うことである。今回は、人類史上希なる日本の「羞恥文化」について私見をのべる。  まず、民主党の政権公約、マニフェストから述べる。たったの二年半前、鳩山由紀夫を党首とする民主党が「華々しいマニフェスト」を掲げて、人材と新鮮味に飽きられてマンネリに落ち込んでいた自公政権を破って政権に就いた。「コンクリートから人へ」、「官僚主導から政治主導の行政」、「天下り禁止」、「国会議員の定数削減」等々、実に新鮮で晴れやかな公約であり、国民はこぞって民主党を支持して政権を与えた。しかし二年半後の現在、この公約が何一つ実現していないのみならず、国民が予想もしなかった「消費増税」が出てきた。不適任な「閣僚任命」に対する「問責」が六件も続き、四人が「更迭」され、内政のみならず外交にも蹉跌を来たしている現状は、すでに全世界から相手にされない国家に成り下がってしまった。  二年半で三人の首相をたらい回しにした上での「東日本大震災」である。国家の赤字財政に追い討ちをかけた「復興予算」の発生、危機的財政状況にあるにも拘わらず、「ばら撒き予算」の編成を続け、景気回復の目途さえついていない現状であるにも拘わらず「消費増税」である。おまけに、党員資格停止され、公判中の小沢前幹事長が政権を揺さぶる始末。とんでもない発言と異常な虚言で降ろされた鳩山首相、原発事故で無能さを曝け出した菅首相、仕事もろくに出来ない大臣が続き、罷免騒ぎで内閣が揺れている現政権、等々、思いついて挙げただけでも十指に余る失態を重ねながら、それでもまだ「政権にしがみ付いている」のが民主党の現状である。彼らが「恥を忘れた」亡国の民の最たる者たちであろう。  二大政党であったはずの政党政治が、リーダーの統率力の欠如と結束力不足から分裂して、無数の弱小政党が蔓延る日本の国会、なんとも手の下しようがない無意味な議論が繰り返され、無駄な議事運営が性懲りも無く続いている。「出口さえ見えない」閉塞状況を続けて恥じない国会議員たちの浅ましい姿に、国民はあきれ返っているのが現状である。この状況打破に解決策はあるのか ? 残念ながら「ノー」である。今の与野党すべての国会議員にはその能力も気力も見られない。要するに、自分たちの「無能」に対して「恥じる」見識さえないのである。  政権公約にも拘わらず、一旦廃止が決まった、国交省の「八ン場ダム」工事再開、高速道路建設再開にも驚かせられているが、なし崩し的に進行している整備新幹線延長工事再開、全然自粛の気配さえない「天下り」の実態、行政法人の無駄遣いも野放しのようだ。これらも役人たちの「無恥的行為」に違いない。民間では、世界を騒がせている東電の「原発事故」、東電首脳部に自分たちの「手抜かり」で大事故を引き起こし、国民のみならず世界に迷惑を掛けている、という自覚さえ見えず、政府に「一兆円」にも及ぶ「公的資金」を当然のごとく要求し、その上での17%にも上る独善的な「値上げ」である。そこには恐縮して謝罪する気持ちも、こんな大事故を起こしたプロとしての「反省」もなければ、過失事故を「恥じる」謙虚さも見られない。  街には「振り込め詐欺」が横行し、電車内で化粧をしたり、平気で自分勝手な行動をする若者たちには「羞恥心」の欠片も見られない。こんな「羞恥心亡失」の日本人が大道を闊歩しているのが現代日本社会の悲劇である。  昨年の「東日本大震災」では、多くの被災者たちが相互援助をし合い、無数の庶民がボランティアで援助に献身した。世界中から善意の支援の手が差し伸べられ、想定外の義捐金が集まった。世界は、被災者たちの忍耐力と互助精神を賞賛して止まなかった。特に世界が驚いたのは、あの悲惨な状況下にありながら、治安に一切の乱れが無かったことである。これらの現象は、世界の常識では考えられない「奇跡的な」出来事であった。この事実は、「羞恥文化」を受け継いでいる日本人の「普遍の公徳心」と「民度の高さ」の証明でもあった。「僻地東北」と呼ばれていた被災地には、未だに日本の良俗「羞恥文化」が残っていた・・・、という事だろう。  今年の漢字は「絆」である。日本人全体の「心の繋がり」と世界中の人々との「絆」を願って選ばれた漢字が、被災地の「ガレキ処理」受け入れで破綻を来たしている。口では、心の絆で被災地を支援しよう、と述べていた人たちが、自分たちが住む環境に「ガレキ処理」の依頼が来ると「反対運動」を起こしているのだ。「奇麗ごと」は口先だけの方便で、自分たちの身に降りかかる風評被害だけは避けたい、という利己心の現れであろう。これも「羞恥心」の欠如というべきか・・・。  現在、福井県にある大飯原発再稼動について、枝野産経相と橋下市長の論争が繰り返されている。全国にある50基の原発の内、稼働中はたったの一基のみ。膨大な政府資金と政府交付金をつぎ込んで次々と建設してきた原発であるが、安全性の問題、定期検査とストレステストで49基が稼動停止中。その内の一基が大飯原発である。これが再稼動出来ないとなると、政府主導で推し進めてきた「原発優先の電源政策」の失敗が公にならざるを得ない。産経相は「火力発電」への転換を図ると3兆円のコスト高になると云ってるらしい。しかし、膨大な「原発交付金」は、停止中の原発と周辺自治体にも支払いが続いているが、この支給を停止した場合のバランスは公表していない。原発再稼動は、完全停止によって政府が受けるはずの過去の「原発依存政策」への批判から逃れるための「詭弁」としか思えないし、火力以外の「安全な発電」への研究を怠ってきた歴代政府への責任追及の恐れもある。これも「無恥の行為」と云わざるを得ない。国家大計を立てずに後手ゴテの「あと始末」に終始した政府と官僚たちの失策が現状を招いているとしか思えない。  先日、アメリカで石原都知事が、「尖閣諸島を東京都が買い取る・・・」と宣言した。理由は、中国のあくなき「海洋覇権」への食指と攻勢に日本政府が対抗措置を取らないことに業を煮やした結果であったらしい。小筆も大賛成である。領海侵犯の中国漁船、巡視艇に体当たりまでした船長を起訴もせずに釈放させた民主党政権、中国の海洋調査船の度々の領海侵犯、と自国領海と主張する中国巡視船の眼に余る行動を黙視続けてきた歴代日本政府の不甲斐無さには、全国民が辟易していたところである。東京都は、小笠原諸島、硫黄島、鳥島、等々の僻地諸島を「都内」としている。それに新しく尖閣諸島が加わっても、何ら支障はないはずである。都知事の発言は、日本全国から支持された。それに慌てた官房長官が「政府が買うのも選択肢だ」と宣った。こんな恥ずかしい発言を平気でするのを「恥知らず」と云うことも知らないらしい。このように日本全国が「無羞恥行為」で溢れている現実を憂うのは小筆だけではないはずだ。  明後日26日には、小沢一郎へ「東京地裁判決」が出される。果たして「判決は如何に・・・」、ここにも「羞恥心を亡失」した御仁がいた。シドニーは秋、涼しくはなったが、例年になく降雨続き・・・、澄み切った秋空が懐かしい・・・。 小筆、豪洲太朗への連絡は、kentokura@hotmail.com へ、Blog 通覧は、yahoo で「豪洲太朗のシドニー通信」を検索して下され。

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