2010年5月7日金曜日

どうする日本!!

 一ヶ月間の訪日を終えてシドニーへ戻ってきた。日本では、東北、中国地方、九州を歴訪、各地の美しい自然とその中で暮らす人々の豊かな生活を垣間見て、これほど美しい国があるだろうかと、ほとほと感心した。鹿児島を初めて訪問したのも「知覧特攻隊基地」跡に興味があったからである。記念館には、日本の未来を信じて散華した436名の殉死将兵の写真と遺書、遺品等が展示されていた。全員若い将兵ばかりで、彼らに特攻出撃を下命したと思われる高級将校たちの遺影はなく、多分彼らは戦後も生存し続けたのであろう。この事実に思い至った時、民主党の党首と幹事長が、自分の秘書たちの有罪が確定しても、「知らぬ、存ぜぬ」で頬被りをしたまま今日に至っていることを思い出して、卑しい人間のエゴを覗いたような厭な気分になった。英語世界で使い分けされている、[Statesman] (理想の政治実現のみに専念する真の政治家)と、[Politician] (自分の利害だけを追求する政治屋)の違いをまざまざと見せ付けられた思いがした。

今回は、「日本の常識」が「世界の非常識」であることについて述べる。

 現在の日本は、まさに政治的な危機状況にある。国家主権が侵され、末期症状的な財政赤字を抱え、教育の荒廃に直面し、少子化問題解決の糸口さえ見えず、国防問題が危機に直面し、食糧の自給自足率の低下が心配され、その上、毎年三万人を越える自殺者が続出している。これらの異常な「非常識」的な現実が、日本では「常識」として安閑と看過されている現状を憂いている。

小筆が観るところ、前政権も現政権もこれらの「非常事態」とも云える「非常識」な現況を認識する様子が全く見られず、何ら具体的な対策を講じようともしていないのみならず、「危機感」さえ感じていないらしいのが最大の「国家の危機」かも知れない。能天気に高給を食み続け、票田持続に汲々としている722人の衆参両議院議員たちと内閣閣僚たちは、一体全体何をしているのか? 我が祖国、日本には真の「ステーツマン」はいないのだろうか? 心配の種は尽きることがない。

「国家主権の侵害」とは、ロシアによる北方四島、韓国の竹島の不法占拠であり、北朝鮮の日本人拉致である。それに加えて、中国と台湾による尖閣諸島への触手と日本の経済水域に属する東シナ海の海底ガス田の不法採掘準備がある。どの一つを取り上げても、重大なる国権侵害であり、これに勝る国難はない。これらのすべてが、国家を挙げて解決に当るべき事態ばかりで「憲法第九条」に拘る以前の問題であり、「国家存続」に関係する重大事である。
戦後の歴代政府が国家主権の尊厳を自覚して、この問題に明確な危機意識と問題解決への真摯な対応を続けていれば、関係各国も日本の決意を覚り何らかの応対をしていたはずであつた。ロシアに関しては、不法占拠を訴えるばかりではなく、利害をもって説得する方法もある。 たとえば、欧露で貧困に喘ぐロシア国民を東部シベリアに移住させて、朝鮮半島、中国東北地方(旧満州国)と日本全域を含めた「環日本海経済圏」構築を提案してロシアの財政危機を緩和してやり、その代価として北方四島の返還を求める方法だってある。竹島を自国領と主張している韓国には、経済断交をしてでも「国際司法裁判所」に引っぱり出すくらいの断固たる態度で臨むべきであり、北朝鮮には「偉大なる首領様を戴く人民の楽園」に、総連系在日朝鮮人全員をお返しして、その代償として拉致被害者全員の送還を要求する。東シナ海問題に関しては、止めなく軍拡に邁進する共産党独裁中国は、政府役人の汚職と利己主義に走る人民の貧富の差によって重大な難局に直面している。中国の民族的本質である「中華思想」は、弱小少数民族の併呑と搾取によって成り立っている。「相手弱し」と見た場合は、歴史的にもいつも居丈高になり、絶えず侵略を繰り返してきた。それに対応する唯一の手段は、強力な「非核兵器」を開発して「主権侵害には断固とした対応策」を取る、という強固な姿勢を示ことである。これくらいの度胸のある太っ腹で知略に富んだ首相がいてしかるべきあった。しかし、日本政府の軟弱で曖昧模糊とした事なかれ主義的な態度が、「現状の固定化」を促進してきた事実は歪めない。この政府の対応に国民までもが惑わされ、現在では「国家主権」の何たるかの意識さえ亡失してしまって、未来展望が全く見られない日本に成り下がってしまったままでいる。これこそ世界の「非常識」であり、天を仰いで嘆息する以上に悲しむべき現実である。
「財政赤字」は国家としての最大の危機である。この問題に関して国民の誰もが等しく危機感を抱いているのに、歴代政府の放漫財政と人気取りの「ばら撒き支出」とに歯止めが掛らない。この結果責任を一体誰に取らせるつもりなのか?「入るを計り、出ずるを制す」、この簡単な「家計簿の原則」を平気で無視して、赤字補填策として消費税増額を平気で口にするポリティシャンたちの安易な思考には驚かされる。この財政破綻状況にあっても、国政、県政、自治体レベルで高給を食み続ける議員たちは、議員定数削減と議員歳費、議員報酬の改定に無関心である。衆参722議席、都道府県議員2,784議席, 地方議員62,024議席のすべてを半分に削減するだけで天文学的な経費削減が可能である。各級議会の政策審議などは、議員数半分でも充分に機能するはずである。議決の後は、掃いて捨てるほどいる官僚たちにその実施を任せれば良い。「財政赤字のつけを子孫に廻す」、この破廉恥厚顔な行為を「常識」として通してきた歴代政府とポリティシャンたちの無責任な態度に憤懣を覚えざるを得ない。民主党の「事業仕分け」も「議員定数の削減」と「歳費と政務調査費」の仕分けから始めれば、内閣支持率も1%くらいは上昇していたかも知れない。因みに、オーストラリアの市町村議会議員は、すべて議員報酬はなく、「時間給」で議員として働いた時間にのみ手当てが支給されている。人口6万人余りのある市議会の議員定数は、市長、副市長を含めて15人、全員自分自身の職業を持っていて、昼間は自分の職場で働いているので、議会はすべて夜間に招集されているのが実情だが、みんな立派な行政を行っている。
日本のある人口4万人弱の市は、市長の他に25名の市議会議員がいて、全員月給制でボーナス、政務調査費まで支給されていて、その上「議員年金」まで用意されている。彼らの仕事の大半は、年五回の定例議会に出席して居眠りをするくらいしかないのにだ・・・。衆参両議会、都道府県議会も同じようなものであろう。
「教育の荒廃」は、すでに二度にわたり私見を述べてきたが、問題の根源をなす日教組の不当で理不尽な主張を、確固たる「国家教育、百年の大計」で押さえ込むだけの度量と決意が政府になければ、決して改善することは期待出来ない。教育は国家将来の根幹、教育の確立なくして国家の将来はない。政府の覚醒とその重責を担う教職者たちの使命感に期待すること大である。
「少子化への歯止め」は、すでに人口減少が始まっている日本の将来にとって重要な緊急課題である。人間の幸福は「家庭を持ち、子供を育てて、子孫を残す」ことによって達成され、その実現こそが「人類本来の使命」である、という基本的な倫理観への理解力を失っている青年男女を覚醒させることにある。そのためには、何よりも「雇用の安定」した環境を作り、早期成婚の奨励と育児環境の整備、特に託児所の保育、育児サービス等を完備する事で、共稼ぎ夫婦の収入が確保できるような社会を作る必要がある。これらを完備するだけでも、かなりの部分が解決可能であり、第二子、第三子の誕生も期待出来るはずなのに、それも未だに実施されていない。
オーストラリアも長年出産率の低減に苦しみ、移民による人口増加に頼って来た。 しかし近年、出産奨励金、母子手当て拡充制度の導入に加え、託児所の充実、小学校への保育施設併設、等の政策実施により、短期間で著しい出産率の向上に成功している。
「自殺者防止策」に到っては話題にも上がっていない。阪神・淡路大地震の犠牲者は6,500人に近かった。あの大騒ぎをした大事件の五倍を上回る自殺者が毎年派生しているのに、政府は何らかの対策を立案していない。この現状放任は「非常識」極まりなく、まさに政府自身による自国民の「大量殺人」の容認である。
「食糧自給率の向上」は国家生存の基本である。それなのに政府は、米価調整目的とやらで、国内水田の30%以上を休耕田に指定して「休耕補償金」まで支払っているのだ。その結果、国民は国際米価の5倍近くも高い米を買わされているのが現状である。農耕者年令の高齢化と継承者の不足から、この休耕田への補償金支払い政策が歓迎されていて、長年政権与党と族議員の格好な票田になっているようだが、日本将来の「食糧自給力の涵養」を考えると、これほど馬鹿らしい政策は無い。農業経営の企業化を推し進め、美味な有機耕作米を大量に生産して、せめて国民に国際米価で提供出来るようにすると共に、海外への輸出を奨励して、早急に大規模農業経営が可能にできる法整備をすべきであろう。世界では、「日本米の美味さと食の安全性」はハイテク製品と同じくらい評価されているのだから、米の輸出は必ず成功するはずである。

これら羅列した数々の悲しむべき現況を見る時、日本人が常識として受容している現実が、実は世界の非常識である事が理解できるであろう。戦後の「日本政府は、何を国政の基準におき、国家経営をしてきたのか・・・」疑問に思わざるを得ない。「55年体制」に安穏としてのさばって来た自民党の崩壊は当然の結末であった。しかし、現政権、民主党に、果たしてこれらの「非常識」を憂う志士がいるであろうか? 小筆には大きな「疑問符」を付けざるを得ないのが現状である。 

豊かな自然の中で羊のように大人しく慎ましやかな生活をしている同胞たち、その上に胡坐をかいて安座している政府と議員たち、しかし我々日本を取り巻いている国際環境は厳しく、安閑と過ごしている時期では無いことを国民全部に理解して欲しいと願っている。

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