2010年5月27日木曜日

誰が日本を守るのか?

 明治24年6月、清国の北洋艦隊6隻が長崎、馬関(下関)、神戸と横浜に来航して、日本全土を騒然とさせた。彼らの旗艦「定遠」と二番艦「鎮遠」は7,144トンの姉妹艦、主砲は共に30.5センチ口径2門。当時、日本の最大軍艦は、巡洋艦「高千穂」と「浪速」で、共に3,600トン, 主砲は26センチ砲2門、日本唯一の艦隊であったが、清国は同じ編成の艦隊を4セット所有していた。往時の各国海軍の戦力は、「装甲の厚さ」で決まるトン数と主砲の口径が、「防御力」と「破壊力」を意味していて、その艦隊の絶対的な威力を現していた。トン数の少ない軍艦は、重装甲の敵艦には絶対に「勝てない」というのが世界の常識であり、超ど級戦艦は「砲艦外交」の主役でもあった。
清国は50年前、「アヘン戦争」で英国に敗北して以来、欧米列強の侵略を受けて、沿岸部は彼らの植民地でズタズタに蚕食され、国内は反政府運動で騒然としていたが、日本から見ると「とんでもない大国」であった。
明治維新を成し遂げた日本は、未だに欧米列強の侵攻の外側に位置していたとはいえ、貧乏極まりない「小さな新興国」であった。その日本が、李王朝が五百余年にわたって支配していた「大韓帝国」の宋主権を巡り清国と紛糾していた。清国はこの日本を威嚇する目的で北洋艦隊を派遣した。上陸した水兵たちは、傍若無人の限りをつくして、制止に入った日本人の巡査には死者さえでた。
日本では、維新の戦乱を潜り抜けた伊藤博文総理も含めて国民全部が、艦隊の威容と水兵たちの狼藉に接して恐慌をきたした。しかし、東郷平八郎を始め海軍幹部は、清国艦隊の幹部士官がお雇いの英国人であることと、乗員たちの「規律と志操」の緩み、「錬度の低さ」を見抜いて日本艦隊の勝機を予測した。

三年後に勃発した日清戦争は、明治日本の国運を懸けた最大の賭けであった。しかし、日本海軍はこの弱小艦隊群を率いて、不屈の練成結果と知略に長けた戦術をもって北洋艦隊を破り、陸軍は北朝鮮、満州各地で連勝し、最後は陸海軍が連携して北洋艦隊の母港である威海衛を陥落させて勝利を収めて世界を驚かせた。
北洋艦隊の司令官であった丁汝昌提督は、この敗戦と腐敗しきった母国、清朝の末路を悲観して毒を仰いで自決した。提督は文武両道に秀でた高潔な軍人として日本海軍にも多くの盟友を持っていたために、多くの日本人からも哀悼の意が表された。

さて、現在の日本の防衛に関してである。第二次大戦で敗北した日本は、「牙を抜かれた狼」になっただけではなく、世界が見えない「羊」になってしまった。
この牙とは、「物理的な力」ではなく「精神的な力」である。「世界が見えない」とは、「平和ボケ」であり「国防意識の亡失」を意味する。戦後教育の欠陥、「自虐史観」から、日本人は「自国の防衛」について考える力を失ってしまった。「平和憲法があるから日本は安全である」とする的外れな考えは、周辺国にとってはこの上もなく都合の良い憲法ではあるが、日本にとっては危険極まりない国家基本法である。
多くの日本人が「日米安全保障条約」は、米国のための安全保証であって、この条約が双務協定であるという現実を考えていない。その証拠が、今回の沖縄の米軍基地の問題である。ようするに「集団的自衛権」の意味を理解してないのである。米軍基地の県外移転、国外移転等を標榜する日本人グループは、日本を取り巻く危険な国際環境を意識していない。沖縄の米軍基地は日本の安全のみならず、東アジア、インド洋、アフリカ、中近東の安全と平和に貢献している。
イランの核装備は、日本経済の生命線である中東石油資源の供給を脅かしている。中国の果てしない軍拡は、海洋戦術にしか用の無い潜水艦隊の拡充と戦略目的不明の空母さえ建造中であり、もちろん性能を向上させた各種ミサイルの保有量は自国防衛の範囲を遥かに超えている。その中国が、世界各地のエネルギー資源と鉱物資源の占有を目指して膨大な外貨を投入していて、尚且つ尖閣諸島と東シナ海の海底資源までを独占しようとしている現実を考えると、「日本の防衛」のあり方が当然理解出来るはずである。   
オーストラリアも例外ではない。現在、中国企業の豪州最大の鉄鉱石開発会社の株の買占めで、政府を含めて大揉めである。しかし問題はこれだけでは無い、より危険な兆候は、中国共産党の独裁政権が過激な軍事官僚群に乗っ取られようとしていることである。かつて日本が体験した「軍部独走」の可能性さえ予測できる。チベットや西域の少数民族を呑み込み、植民地化してきた中国が、次に何をしようとしているのか?日本人の誰が、この問題を真剣に考えているだろうか? 友愛精神しか持ち合せていない鳩山首相は、総理になって初めて「米軍海兵隊の抑止力」を覚ったようであり、連立政権の社民党は、未だに沖縄に置かれた「米軍基地」の意味さえ理解してないのである。
以前、米軍基地を撤退させたフィリピンが、数年を経ずして自国領であった「南沙諸島」を中国に掠め取られた現実を知るべきである。

 日本は、「日米安全保障条約」の絶対的継続と「自主防衛力の拡充」、それに加えて国民の「国防意識の涵養」に早々に着手すべきである。そのためには、国家の基本法である「憲法改正」も必要であり、自衛隊を明確に国防軍に昇格させると共に、緊急事態に備えた国内法の整備も併せて早急に実行する必要がある。
 そのためには、小中高校から大学を通じて、一貫した「国防教育」と「軍事教練」の実施が必要であり、徴兵制度の導入と予備自衛官の増員も必要であろう。その上で、「核兵器」以外の究極兵器の開発を推し進め、兵器産業の振興を図るべきである。わが日本は、かつて下瀬火薬やゼロ戦を、戦後は、エザキダイオードや新幹線を、今は「ハヤブサ」を宇宙の果てに送り出して回収する最先端技術を持っている。これらの技術力と日本人の頭脳を最大限利用すれば「国家防衛の最新兵器」の開発が出来ない訳がない。要は政府首脳の決断次第である。各種兵器のコスト低減を図るために、「武器輸出」を政府許認可制度の下に認める必要もある。世界各国が精巧で高性能な日本製武器を求めているので、これらの輸出により国防費削減は、必ず実現するはずである。徳川幕府の鎖国が日本の軍事力の近代化を著しく阻害した事実と、日本の敗戦後、連合軍による「航空機製造禁止」が戦後65年経過した現在まで日本の航空機産業の立ち遅れを招いている現実を知るべきである。
 「民族自治」と「自主独立」は国際社会の常識であり、各国が等しく認めるところである。日本が「専守防衛」を前提とした国防力の充実を図って悪いはずが無い。

 この政策転換には、近隣諸国からの反撥は当然起こる。しかしこれは、あくまでも「日本の内政」問題であり、国家の安全を守るために絶対に必要な改革である。日本が「海外侵略の意思」を持っていないことを近隣諸国に納得させれば済む問題である。日本が「専守防衛」に徹しながら「抑止力の増強」に努めるのは、イランの核武装、中国の軍拡、北朝鮮の暴挙が予測される現在、当然採るべき手段であり、仮想敵国との「戦力均衡」これこそが平和維持の根本でもある。今、日本政府が「国防問題」に真剣に取り組まないと、近い将来、日本が中国に飲み込まれてしまう可能性さえある。
 「非核三原則」も「平和憲法」も理想としては結構だが、それよりも何よりも「日本が生き残ること」が大前提であり、自主防衛が確立されていてこそ「意味のある」制度となり得よう。

 今回の北朝鮮の魚雷攻撃事件で、李明博大統領のコメントを聞いた。「不当な国権侵害には、自衛権を発動する」と、朝鮮戦争で多くの犠牲者を出した上に、国土全部を焦土化された韓国民の血の滲んだ体験からの発言には、感動さえ覚えた。
果たして、今の日本にこれだけ明確に「国土防衛」について確固たる発言が出来る総理の出現を期待出来るであろうか?
 日本の安全は、他国に頼るのではなく、我々日本人自身で確立する覚悟が必要である。

 シドニーは秋、今日も冷たい雨が降り続いている。その雨を眺めながら、遠い祖国の安泰を祈らざるを得ない。頼りない政府が、母国に与える災難を如何に排除できるか・・・と、心休まらない日々が続いている。

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