現在日本が直面している「教育環境の混迷」と「常軌を逸脱した社会現象」の原因は、過去の教師たちや生徒、彼らの親たちの責任ではなく、もちろん変容してしまった社会の責任でもなく、すべては戦後教育の基本軸を確定せずに放置してきた政府と文部省に帰するべきである。
いかなる国にもその国家が持つ固有の文化と伝統があり、その民族の特性を形成していて、良くも悪くも、いわゆる「民族性」というものが滲みでているものである。
戦前の日本には、諸外国が羨むほどの民族的特質があり良質な文化に溢れていた。だからこそ、多くの外国人が日本の風土を好み、日本人を崇拝していた。しかし、現代の日本は、そのすべてを失ってしまった。確かに他国が真似の出来ない高品質の商品やハイテク製品が世界市場で好まれ、特異な文化を供給し続けているが、それらを享受している彼らが、人間としての日本人を好み、尊敬している訳ではない。むしろ軽率な人間集団として蔑んでいる人たちも多く存在している。
各国の政府高官が集まる国際会議などの代表たちの行動をみても判るように、日本代表の存在感が全く無いのである。何故か? 答えは簡単である、現在の日本には「日本特有の文化」がなくなって国民の心が離散してしまい、各個人に「日本民族としての確固たる自信」が無いために、影の薄い存在になっているからである。逆説的には「日本固有の文化」のバックボーンを亡失しているから「日本人としての誇りが持てない」のである。
その原因は戦後教育にある。日本とはいかなる存在であるのか? 日本人が依って立つ根源は何か? 日本人としていかにして生きていくのか? この民族の根幹に係わる重要な課題を子供たちに教えてこなかったことに起因している。民主教育も結構、機会均等も良い、しかし自分が生まれた国家の根源すら理解しないで、学力だけを詰め込んでも頭でっかち「人の形骸」でしかなく、無味乾燥、品格皆無な存在であるために、人としての魅力がなく、他人から、まして外国人から尊敬される訳が無い。
何故なら、 世界には祖国を離れて、他の文化圏、「外国」で生活している人間が無数にいるが、大部分の彼らの拠り所は「金銭」だけであり、自分さえ金儲けができれば人生満足とする心情で生きている者が驚くほど多くいる。彼らは、他人を騙してまでも平気で金に執着する人間たちである。彼らには、所属している国家の安全よりも金銭の多寡が人生保全の目安であるからだ。彼らにはコミュニティーに所属しているという感覚が無いから「所属社会に対する責務」を感じないボヘミアン的な存在になって、誰からも尊敬されず、むしろ軽蔑されていて各国で大きな社会問題になっている。
現在の日本は、国内に多数の永住外国人を抱える他に、「日本人のボヘミアン」、すなわち「虚無的生活者」、「政治的、社会的な無関心層」を無数に抱え込んでしまっている。自分の権利だけを主張するモンスター・ピアレントや家族のみならず他人の存在さえも無視する若者たちなどがその典型である。
事にも理解度の劣る子供もいるし、特殊な技能にのみ秀でた子供たちもいる。これら人間の本性を無視して、「一束ひとからげ」にする事が民主教育である、とした新憲法下の文部省の間違いが今日の惨状を招いている。
優秀な生徒の能力を育て伸ばすことをしないで、程度の低い教程に押し留めることで、その子の持つ向上心を削いてきた結果であり、各家庭の経済状況の偏差を考慮せずに、同じ枠の中で教育をすることを最善とした事も間違いの原因であった。
優秀な子供たちで向学心に溢れる生徒だけを学力試験で集めた特殊学校「選良校」を作り、経済的に劣る家庭の生徒たちには奨学金を与えて就学させて、彼らの持つ能力を学年に関係なく際限なく伸ばしていく。その一方、程度の低い子供たちには彼らの特質に見合った技能を身に付ける技術学校へ進学させて社会に送り出す。経済的に恵まれた子弟には、親の経済力に見合った私立校に行かせるシステムが採用されるべきであった。 職業技術を身につけて社会にでた成人たちが、もっと高等な技術や管理能力を身につけたいと希望した時のために、年齢に関係なく通学できる「夜間教育」の場所を用意しておけば良い。このシステムを確立すれば財政難に悩む財務省も、遥かに少ない予算で教育目的が達成されるはずである。
日本政府は、国防や治安のみならず、曲がりなりにも多くの社会的便宜性と社会保障制度、高度な文化生活を国民に与えている。縦横に網羅された交通網もメディアも通信網も、都市機能もすべてが有料とはいえ、最善の品質のものが供給されている。それらは、日本という国家があって初めて享受できる民族的な文明である。国民には、これらの歴史と伝統、国家機能と自分たちの生命財産を守る義務がある。自分たちの生活環境を安全に保つためには、公共道徳を守るのみならず、一旦緩急有る場合には、身命を挺して日本と国民を守る気概を持たせるべきである。これらを学ばせることが立派な人格形成に役立つ。
その欠陥とは、教育課程で「地政学」、今で云う「国際関係論」を教えなかったからである。近代史におけるいかなる国家も、自国の地理的な位置と近隣諸国との関係を地球規模の観点から理解し、判断出来る能力を備えていないと生存できない、というのが「国家存亡」の鉄則である。まして核兵器が充満し、長距離爆撃機やミサイルが飛び、遠距離から相手国を攻撃可能な現在、この学問はあらゆる国家指導者にとっても国民にとっても最も重要な必須科目である。
この重要な教科を「軍事プロ」たちの卵に教えなかったために、モンスターに育った彼らは、国際環境下における「日本の位置」が理解出来なかった。確かに日清、日露戦争は止むを得ない防衛戦であったが、それ以後、敗戦までの戦闘は、すべて国家存亡に関係なく、モンスターたちの勲章のために引き起こされた惨禍であった。
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