2010年1月9日土曜日

「民主党政権の怪」 9-1-2010.

 昨年九月の衆院選では、民主党が予想以上の大勝をした結果、国民は新しい政治の始まりに大いなる期待感と多少の不安感を懐きながら百日余り新政権を見守ってきた。

 戦後60余年続いた自民党政権の果たした役割は、敗戦の灰燼の中からの「奇跡の復興」を成し遂げ、「日米同盟」の確立と「世界第二の経済大国」を創造して、それなりに政権与党としての役割を果たして来た。しかし、過去数年間の自民党の体たらくは、国民全体に限りない閉塞感と政治への諦観を植え付けたのみならず、国民の審判を仰がない総理大臣職のたらい回しと無責任な投げ出しの連続で、国民の徹底的な不審と批判を買った結果が民主党政権の出現であった。民主党の大勝は、決してマニフェストへの共感でも指導部への期待感でもなく、ただ「嫌自民票」の集積の結果であった、と見ている。

 そして新政権が発足したが、国民はまず最初に、鳩山首相の優柔不断な態度と曖昧な指導力、それに加えて意味不明の「友愛精神」とやらを奉じている姿に不安を抱かされた。それに加えて小沢幹事長の「数の力」を絶対視した姿と、強引ともいえる政策介入と党員の引き締め、漏れ聞こえてくる党内の言論統制の実態、等々に「はてな?」との疑問符を感じた。それに加えて、民主党の枢軸たる党主と幹事長に共通した政治資金疑惑、共に公設秘書が起訴される異常事態を招いている現実は、国民の期待を完全に裏切った。その上、この最高幹部二人に対する疑惑について、民主党議員団はおろか地方党員からも何ら批判の声も聞かれないという異常事態をどう判断したら良いのであろう。優秀な若手議員や党員が当然いるはずの党内から、この党幹部の異常事態に抗議や批判のの声が聞こえてこない状態は、民主国家日本にあっては、まさに異常としか表現出来ない状況である。

 国民は「新鮮で清廉潔白な政権党の誕生」を期待して民主党に投票したはずであった。しかしその期待は、すでに百日余りで裏切られようとしている。特に幹事長が率いる六百人余りの訪中団の胡主席表敬は、朝貢外交と比喩される醜態であったし、その直後に来日した習副主席の天皇陛下表敬訪問の強要が発覚し、それを批判した宮内庁長官への生半可な憲法論を振りかざした幹事長の発言は、政治を超越する天皇に対する不遜不敬の表明であり、与党幹事長としての品性のかけらも見られず、皇室崇拝を国是と考える国民の顰蹙を買った。

 外交面では、日本自立の基盤である「日米同盟」に対する鳩山政権の曖昧な姿勢は、米国の対日不信感を醸成し、日本経済の生命線である中近東シーレーンを守るインド洋給油活動の中止は、その理由さえ意味不明であった。その対価として決定されたのが、アフガン政府に対して4千5百億円にものぼる民生中心の経済的支援をする、という決定には唖然とさせられた。これも鳩山総理のみが唱える「友愛精神」の発露なのかも知れないが、汚職疑惑にまみれたカルザイ大統領のみならず閣僚の六割近くが国民から不信視されているアフガニスタン政府に、どうして公正な支援が可能なのか・・・、その辺の説明も無いままである。

 沖縄の米軍基地に関しても、軍備強化に邁進する中国と核装備を進めつつある北朝鮮の危険性が消えた訳ではなく、まして彼らの脅威に対抗出来るだけの抑止力が日本に装備された訳でもないのに、駐留米軍の移転を求めている政治感覚を心配せざるを得ない事態が到来している。
 沖縄と日本各地に駐留している米軍の存在は、いまだに台湾併合を目指す中国と南侵攻の野心を捨てていない北朝鮮軍への抑止力であり、米軍の存在が東南アジア、中近東、アフリカの平和維持に貢献している現実を認識するならば、日本国内の事情、まして連立政権与党の反対論に耳を貸して、国際政治の大局を見誤っていること自体が異常であると云わざるを得ない。筆者は決して自民政権の再登場を望んでいる訳ではない。しかし、この民主党政権の異常性にだけは、より多くの日本人に注目して欲しいと願っている。

 新年早々の「明るくあるべきブログ」が不満たらたらの内容になってしまったが、南十字星の下、ワインを楽しみながら祖国日本を心配し続けている豪州太朗の小言に、「このような意見もあるのか・・・」と一考して戴ければ幸甚に存じる次第。皆様からの賛否両論の意見をお聞かせ下さい。

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