2010年12月5日日曜日

若者が消えた国

近年、訪日する度に「何かが違っている・・・」と感じることが多々ある。勿論、バスや電車の中に高齢者が溢れている風景もそのひとつかも知れないが、一番大きな違いは、どうも「若者の数が圧倒的に少ない」ことから来ているらしい。勿論、青年男女、大学生らしい姿も見えるのだが「精神的に溌剌とした若者」が消えてしまったのだ。
 この現実は、日本の将来に関わる重大な問題であるからトピックにした。

現代に生きる若者たちからは、小筆が学生時代、神田周辺に満ち溢れていた若者たちの「燃え上がるような覇気」が全く感じられないのである。当時は、真面目な学生も、バンカラな奴等も頭が空っぽの体育会系の連中も、等しく漂わせていたのが、眼をギラギラさせた、野獣を思わせるような若者特有の「覇気」であり「熱情」であった。
この現象は、学生のみならず、政界にも、会社人間にも、建設現場で働くアンちゃんたちにも、繁華街で働く姐ちゃんたちも、すべての若者たちが発していた殺気のようなものであった。彼らのすべてが、何か気に入らない事でもあれば、所構わず「取っ組み合いの喧嘩」も辞さないという、日本人若者たち独特の気概を持っていたからであろう。だから、酔っ払いの喧嘩などは日常茶飯事で、誰も驚かなかった。

 国民の40%が65才以上という現代日本。それでも「若者たち」は30%以上いるはずなのに、あの懐かしい「覇気満々」、「野生むき出し」の若者の世界が、全く消え去っているのだ。折に触れて、大学生や高校生、若い社会人と話す機会があるが、彼らは一様にこぢんまりしとした紳士淑女であり、多分インテリで優等生なのであろう。しかし、彼らの世界からは野性味が消えただけではなくて、「人生への夢」まで聞こえてこない上に、「大目標」に向ってひたすらに驀進していく覇気が感じられないのだ。 多分、現状に満足しきっていて、それ以上の世界を望んでいないのではないか・・・、と心配である。要するに、ほとんどの若者が「無気力」なのである。
 
戦後も戦前も、いや徳川末期の頃から、日本には自分の信念に従って縦横に働き、死力を尽くした若者が沢山いた。そして、野獣のような彼らの活気が現代の日本を育ててきた。徳川末期、歴史に登場した坂本竜馬や吉田松陰、新撰組や勤皇の志士たちも、すべての若者たちが自分の信念に従って祖国のために生命を賭して戦い、新しい日本を切り開いてきた。明治維新以降の若者たちも「国家のために」、日清、日露戦争で戦い、祖国を守るために戦場で生命を捨てた。太平洋戦争でも、多くの若い兵士たちが、欧米列強の搾取に喘いでいた「アジア植民地の解放」に燃えて戦い、そして死んでいった。日本の敗戦後も、インドネシア独立のために二千名以上の日本人将兵が残留して、インドネシア独立軍を助けてオランダ軍と戦い、その半分以上の日本人若者たちが生命を捧げた。日中戦争と太平洋戦争中、海外で戦った日本人将兵は620万人におよび、散華した将兵の数は240万人を超えている。 

そして敗戦後の日本人若者たちは、国内の「戦後復興」のために瓦礫の中から立ち上がり命がけで働いた。町工場の若者たちは、進駐軍が捨てた空き缶を叩き伸ばして玩具を作り輸出さえした。若き商社マンたちは、外貨を稼ぐために安月給に喘ぎながら、命がけで世界中を駆け巡り、市場開拓に命を捧げて今日の日本経済の基礎を作った。
 日本経済の基盤が整うと、若者たちは国家権力との闘争にのめり込んで行った。「警職法反対」、「安保反対」、「大学紛争」、「全学連」、「革マル」、「赤ヘル」、「安田講堂事件」、等々、何が理想で、何が不満であったのか、さっぱり解らないが、彼らは「自分たちの主張」のために「官権との闘争」に挑み、エネルギーを発散させた。国会議員とてしかり、彼らの幾人かは、今でこそ政界の長老格として乙に澄ましているが、若い頃には「青嵐会」などと称して徒党を組み、国会内で暴れ回ったのである。下町工場の若者たちは、日中は黙々と働き、夜の訪れと共に「暴走族」に変身、夜中の道路を我が物顔で疾走して憂さを晴らした。
しかし彼らのすべてが、一様に自分の本分を守り、学生は勉強を、工場の兄ちゃんたちは技術の修得に、社会人たちは各々の会社で懸命に働いていた。その上での「憂さ晴らし」であったが、彼らの「エネルギー」が日本の国力と経済の底力になった。当時は、社会全体が手を焼く「若者たち」が山ほどいたのである。
この若者たちのエネルギーが沈静化すると、次世代の若者たちは挙って海外放浪に出かけて行った。これもまた、日本人若者のエネルギーの噴出現象であったのだろう。
 
 若者の行動力は、国家将来のバロメーターである。アメリカの若者たちは、人種差別政策を変え、ベトナム戦争を中止させ、ドイツの若者は「ベルリンの壁」を打ち砕き、イスラエルの若者たちは、アラブからの祖国防衛に生命を捧げ、エンテべ国際空港から奇蹟の人質奪回を敢行した。ロシアの若者は「共産主義連邦」を崩壊に導き、韓国の学生は「独裁主義」から民主国家を導き出し、中国の若者たちは「共産党独裁政府」最大の脅威になっている。それに反して、若者の姿が全く見えない北朝鮮は、すでに「死に体」であり、金王朝の崩壊も時間の問題である。
しかし現在の日本には、このように元気な若者はすでにいなくなり、何か悟り澄ましたような、まるで羊のように大人しい「若者の形骸」のみが彷徨しているような社会になってしまった。一体全体、日本の若者たちは、何処へ消えてしまったのか?

 現在、日本を取り巻く政治環境は危機的な状況にある。国内では、打ち続く民主党政権の体たらくも、野党の不甲斐なさも、沖縄の米軍基地の問題も、小沢一郎の資金疑惑も、官僚の無駄遣いも、中井議員の皇室不敬問題もあり、国際的には、北朝鮮の拉致と核開発、続発する南鮮への暴挙も、中国の尖閣諸島への野心も、ロシアの北方領土不法占拠も、韓国が占拠する竹島問題も、不逞の輩が繰り返す捕鯨妨害もあり、若者たちの怒りの対象になって然るべき社会問題が山積している。
しかるに、これらの重大問題に怒りをぶちまける若者の姿が見えない。若者たちが社会の不条理に義憤を感じなくなったら、その国の未来は消滅したのも同然である。
何故、現代の若者たちは、これらの問題に対して「危機意識」をもって抗議し、デモらないのか? 若者たちの政治無関心と抗議行動の沈滞は、民族衰亡の兆候であり、怒りを忘れた若者たちは国家の滅亡を招く。
 
その原因が、昨今の政治に由来するとしたら、これは日本民族の将来に関わる重大問題である。
小泉内閣以降、歴代内閣の無能ぶりは国民の夢を奪い、集票と政治資金集めに汲々としている国会議員たちの浅ましい姿、公約を平気で覆す政党、国際社会で恥も外聞もなく平気で法螺を吹き回った首相たちが続き、その尻拭いさえしない後任首相たちの無責任さ、沈船から逃げ出したネズミたちが、次々と作った新政党が、何ら画期的な新指針も政策も提示できず、全くの無策を露呈したまま、議員歳費のみを貪っている現状、これらに加えて、不法進入漁船問題で大局を見失った小細工で取り繕うとした政府、どのひとつを取り上げても、日本国民の信頼を失ったのみならず、国際社会での信用まで失墜させてしまった。これらのすべてが、若者たちの政治への無関心を招いた主因になっている。国政選挙があっても「投票すべき政党も立候補者もいない・・・」、これほどの悲劇があるだろうか? 現在の日本は、この重大な社会問題に直面しているのに、事態に頬被りしたまま、無策ぶりを繰り返す現政府を憂いている。
この醜態ぶりでは、若者に「夢を抱け」と云うのが、どだい無理なのは充分承知しているが、肝心の政府に危機意識が無く、重大事に鈍感であり、対策さえ打ち出せない現実を何と理解したら良いのであろうか?

時、すでに師走、今年も日本からの明るいニュースを待ち望んだ11ケ月間であったが、国民栄誉賞ものの「はやぶさ帰還」の快挙以外、不幸にも暗いニュースばかりで、特に民主党内閣の無策ぶりには、大いに落胆し続けであった。だからと云って、他の政党が頼りになる訳ではなく、暗澹たる憂鬱さに困惑している。

若者たちよ、元気を出して立ち上がれ、さもなければ「日本の未来は闇だ」。
「俺が行かずば誰が行く・・・」、戦国武将、片倉小十郎、白石城主の言葉を添える。

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