2011年5月28日土曜日

首相公選しかない・・・

Blog-(19)
27-5-2011
「首相公選しかない・・・」
 東日本大震災、福島原発人災事件、その上、25万人を超える「生身の日本人」である被災者」が、親族を失い、住を奪われ、職を失って路頭に迷っている、この国難の最中、内閣も国会もマスコミさえも、「云った・・・」、「いや、云ってない・・・」と、事件の本質には全く関係の無い、無駄な言葉の「やり取り」と「責任逃れ」の言い訳で、貴重な時間が費やされて、国会本来の任務である「災害救済」が一向に進展しない。 日本とは、こんな下らない人間たちに国政を任せていたのか・・・、と考え込んでしまっている。
 これは、民主党だけの現象ではなく、近来続いていた自民党政権時代からの「汚泥の結末」であり、担当政権に「真のリーダー」がいなかった証拠であろう。
 「なぜ、こんな政治になってしまったのか ? ・・・」、つらつら考えるに、日本の政党政治に欠陥があり、国政を牽引できるリーダーが育たなくなっているのではないか ? と思うに至った。 その証拠に、都道府県知事や各地方自治体の首長たちは、少ない予算と戦いながら最善を尽くしているのに比べて、国政レベルになるとこの体たらくである。
 国政と地方政治の違い、首相と、知事首長たちとの最大の違いは、首相の政党内選出制度と、知事、首長たちの住民による直接選挙にあると思う。知事や首長には「投票者」の顔が見えるが、政党内選出の首相には党員の顔と国民が持っている「票田」しか見えない。党内派閥の価値観で動く政党政治と、行政能力の実績を直接投票者に見せなければならない知事や首長の政治に対する「責任感」と「真剣さ」の違いだと思う。
 過去、自民党は、長年の政権与党の驕りから国民疎外の「首相たらい回し」を繰り返す事で国民に匙を投げられて政権を失った。現民主党は、カネと寄せ集めの烏合の衆、未熟政治の露呈で、早くも政権与党の立場が危うくなっている。その上、政権亡失の危機感から、党内の派閥抗争が絶えず、自分たちが選んだ党首で首相でもあるのに「菅降ろし」を広言する者が多く、政治が立ち行かなくなっている。これら騒音の元凶たちが「菅直人を降ろした後、誰を立てるのか ? 」これに言及しないのは、彼らの卑しい「おこぼれ頂戴」意識か、無責任な野次馬根性であるに過ぎないからであろう。
 現在の日本は、国家危機的状態に直面しながら、どう贔屓目に見ても「次期首相」の座を託すべき「頼もしい国会議員」が一人も居ないこと「最大悲劇」である。
 この日本の危機に際して、国政を一転させる方策を講じることで、「未来を開く」ことも日本国民の叡智ではないだろうか ? その叡智とは、「首相公選」と「衆参両議会の改変」であり、「道州制の導入」に尽きる。
 「首相公選」とは、任期6年の首相を国民の直接選挙で選出することである。立候補者は、公選2年前に立候補を表明して「マニフェスト」(政策公約)を公表する。半年以内に公約実現のための論文を公表し、1年前までに「副首相」と内閣の「閣僚名簿」にあたる「補佐官名簿」を公表して内閣運営組織を明示する。10ヶ月前から全国遊説を開始して、国民との直接討議、質疑応答に応えて新内閣の「信」を問い、公選に臨む。首相公選選挙は、衆参両議院選挙と同日とする。
 首相立候補者は政党「無所属」でなければならず、公選後は「首相兼行政府長官」として国政運営に就く。閣僚も全員無所属で、大臣職ではなくて「首相補佐官」として各省事務次官との連絡に当たる。
 「衆参両議院の改変」とは、衆議院は立法府、参議院は「立法審議府」に分けて、共に「政党機能」を持たせて、立法と審議機能を果たさせる。任期は共に6年として、「半数改選制」を採る。 議員定数は「13道州制」導入を前提に、衆議院は各道州定率代表6人X13=78人 + 人口比例78人の156人、参議院は、道州代表、各2人X13=26人+ 人口比例26人の52人、衆参合計208人の議員で運営する。
 内閣は、立法議案を作成して衆議院に諮り、後に参議院で審議をして成立する。両院議員も「議員立法」提出権限を有し、首相の合意を得ることで成立する。
 衆参両議院は「首相弾劾権」を有し、両議員総数の70%以上の合意をもって首相退陣が成立し、次期首相公選が実施されるまで「副首相」が代行する。
 「道州制」は、全国を13道州(北海道、北東北、南東北、北関東、東京、北陸、南関東、東海、関西、中国、四国、北九州、南九州)に区分し、大幅な自治制と財源移譲をもって地方自治に広範な「独立性」を持たせる。その傘下にある市町村は、議会を廃止して首長の指揮下に、ローカル機能業務(地方整備専従)を主たる業務とする。中央省庁は、国政、外交、国防、司法、国税徴収と基本的な「行政指針提示」等を主たる任務として、道州政庁に大幅な行政権限と財源を移譲すると共に、政庁独自の「殖産事業」を奨励して、政庁自身の歳入増加に寄与させる。
 各級政府は、10年から15年の期間を目途に大幅な「人員削減」と「経費削減」に努め、国家と地方財政の赤字解消に努める。
 この新制度の特徴は、アメリカの大統領制と合衆国制度に似ているが、首相の不偏不党制度と立法議案の提出権を認めることで、首相が理想とする国政を実現させ、政党の利害得失、特に衆議院から「政権抗争」を切り離すことにある。と同時に、国会議員を首相補佐官に兼任させないことで、政府官僚から隔離して「官民癒着」の根源である議員汚職を絶つ目的も達成させる。当然、議員歳費も調査費、特待制度も再考され、政党助成金制度も廃止される。
 選挙方法は、首相公選は当然「全国一選挙区」、両院議員選挙は、各「道州一選挙区」で、定数代表と人口比例候補者で争われる。各選挙区の人口比例定数は、選挙管理委員会が全国有権者総数を人口比例定数で割り、立候補者数を算出するので、定数割り当ての無い選挙区も出現する。
 この「未来を開く」改正案は、当然「憲法改正」が伴う。内閣法、国会議院制度、地方自治体法も大改革をするから、当然、現職議員からの抵抗は大きいはずだ。しかし、現在の閉塞感から日本を開放して、未来に羽ばたかせるためには、彼らの抵抗を排除してこの「大改革」を遂行しなければ「日本の未来は闇」である。国民各自が明確な確信をもって日本国民固有の「請願権」を行使して、この「憲法改定」を推し進める必要がある。
 問題は、その「旗振り」をする人間を探すことである。NPO「日本を開く会」などを打ち立てて、大学生、勤労青年、サラリーマンや魚河岸の兄ぃちゃんたちまで、すべての若者を糾合して、インターネット、ブログ、ツィツター、フェイス・ブック等、あらゆる無料のメディアを駆使して、「憲法改定」の大運動を展開して国民運動にまで盛り上がらせて、「日本再生」の礎を築くことから始めることだ。
 日本人諸君よ、行動を起こすのは今しかない、豪洲太朗も微力を尽くすから、日本の未来を開くために立上がってくれ・・・!!
 今、読んだニュースでは、来週早々、自公共同で「内閣不信任案」を提出するのだそうだ。この緊急時に、宰相の首を挿げ替えようとする非常識さにも呆れているが、「人材枯渇」の現政界に代替はいるのか ?  いくら「馬鹿殿様」でも周囲がしっかりと支えれば「世間は動く」、こんな常識さえ知らないのが「今を天下」とのさばっている「永田町の先生方なのだ」、末世日本を嘆かざるを得ない。

2011年3月30日水曜日

大災害を生かす・・・

この度の「東日本大震災」と「福島原発事故」は、その規模といい、膨大な犠牲者、被災者発生の数といい、その被害はまさに前大戦に比すべき大災害になった。犠牲者の皆様に心から哀悼の意を表すると共に、不便な環境で忍耐生活を強いられている被災者の方々にお見舞いの言葉を差し上げたいと思います。
 地理的に天災発生と隣り合わせで生活することを余儀なくされている日本列島と国民のために、今回の大災害を契機に、国家事業として防災概念の根本を変革する必要があり、世界に誇れる理想的な「国家千年の大計」を立案実施して、全世界に高邁な防災対策の好例を示す必要がある。
 昔から三陸海岸は地震と津波の頻度発生地域であり、歴史的に見ても住人は絶えずこの危険に身を晒してきた。従来の政府もそれなりの対策を講じてはいたが、今回の想定外の「大規模地震と津波」は観測史上最大のものになり、その被害の甚大さは、今日までの被害想定基準を大幅に超えた。地球温暖化による海面上昇も勘案して、従来の基準を根本的に変更しなければ対応できない実態を思い知らされたといえよう。
 被害総額は、25兆円を超えると推定され、日本の国家予算、一般会計総額の30%近くになる膨大なものである。それに加えた人的被害があり、住民が失った今後の生活手段を考えると、想像を絶する額になるはずだ。藤原家摂政時代の貞観地震以来「1114年ぶりの大地震」とは云え、次の地震が発生する可能性が消えた訳ではなく、地震の稀周期性を考えると何時再来するかは予測困難である。住民個々人でも、市町村、県単位で対処できる規模の問題ではないので、国家の政治課題として対応せざるをえない事は明白である。
 陸地に制限のある日本では、どんな土地でも危険を承知で住居を定めなければならない。生活の根拠地が定まれば、勤勉な日本人はいかようにも生活手段を構築していく能力に長けている。その危険性をいかに最小限に食い止めていくかは行政の責任である。今回のBlog ではこの難題について私見を述べたい。 
まず日本列島は、地震、台風、津波、火山活動の影響が日常生活に密着しているのが現状である。三陸沖地震、東海沖地震、南海沖地震の発生は、以前から想定されており、それなりの対策は講じられてきた。しかし今回の宮城県沖地震の規模は、想定外の威力を示し、この惨状をもたらした。この回避不可能な自然現象をいかに克服するかは、人智であり、行政課題であり、究極的には「政治」の問題である。今回の大震災は、もし、あくまでも仮定の想定ではあるが、事前に「政治的に対処」されていれば、被害程度をより低く抑えられたかも知れない。しかし、過ぎ去った事象をここで問い質すのではなくて、あくまでも「将来必来の災害」に備える意味で、次に述べる対策を講じるべきである、と提議したい。
 国民の生命と財産、それを支える経済構造は国家の根幹であり、それらの保護のためには、日本国政府はあらゆる危険、天災、国難を想定した国家最重要の「防衛戦争」として位置づけ、「国防対策」に万全の備えを整える義務がある。
 
 では、対策とは何か? 答えはひとつ、「津波の回避」と「耐震建築」に尽きる。
 耐震建築は、行政指導で各個人でも実施可能である。しかし津波の回避は個人の能力を遥かに超える。そこで考えられるのが、「空中都市」(エアラ・ポリス)の建設である。すなわち、すべての集落を商業施設を付随させたまま、地上50メートル以上に整地した「高台」に移し、耐震構造を施した住居、学校、病院、市町村庁舎を緊急避難設備を兼備した公共ビルとして建設して生活基盤とする。産業施設と農耕地と遊興地域のみを海岸線で営み、そこにある工場、事務所、作業場等の建築物はすべて6階建以上の耐震、耐津波ビルと定め、屋上には必ずミニヘリポートの設置を義務づける。
 高地集落(エアラ・ポリス)と低地産業地区とはエレベーターと生活道路で繋ぐ。従来の海浜居住地はすべて「経済地区」と「農耕地」、ないしは「遊興地区」として活用し、生活道路以外の「幹線アクセス」は、すべて20メートル以上の高架道路にして、直接、主要幹線高速道路と各エアラ・ポリスに繋ぐ。幹線道路には「宿場町」のごとく、一定間隔をもって「緊急用ガソリン・スタンド」を指定して、常時一定量のガソリンとジーゼル油を備蓄させて、緊急の場合でもライフラインの確保を確実にする。緊急補給手段として大小ヘリコプターとホーバークラフト、航空貨物機の活用を常態化して、海上、陸上、航空自衛隊の持つ全機動力をもって海、陸、空、各路からの補給手段を確保する。
 政府は、緊急事態発生時には、即「緊急時内閣」を組織する権限を持ち、超党派組織をもって災害対策に当たる。自衛隊、警察、消防組織を一元指揮下の元に管理して、地方自治体組織との連携で「平和時戦争」として非常時対応を指揮する。日本赤十字との連携の上、緊急医療対策チームを組織して、民間の医師、看護師の派遣、医薬品の補給を組織化して、民間組織、とくにNPO組織と連携して個別の対応に従事させる。メディア機能を有効利用して個人の通信手段を確保する。交通施設は鉄道在来線と地方道路は補強程度にとどめ、基幹となる新幹線と幹線道路の耐震強化を図る。併せて、対外接点として外務省に「緊急対応局」を設置して各種外来支援の受け入れを担当させる。
 今回の福島原発の事故を鑑みて、核燃料発電の危険性と脆弱性を認め、「操業中止」を前提に早急に安全なる「代替エネルギー源」、太陽熱、風力、水力、海流、地熱利用、等の研究と開発に技術大国日本の全国力を挙げて努めれば、世界に先駆けて「安全なエネルギー源」の確保と実用化に必ず成功するはずである。
 さて、これらの資金源であるが、「緊急予算」の編成のみならず、「災害国債」を発行して、有利な利回りをもって国民の持っている「個人金融資産」1,500兆円から捻出し、場合によっては、政府所有の外国債、250兆円の売却も考慮すべきかも知れない。
 今回の未曾有の災害は世界中が注目する所であり、併せて、日本国民の高潔な資質、忍耐力、高い公徳心、謙譲と犠牲的精神の発露は、全世界が瞠目し賞賛を惜しまない日本独特の文化的美徳として高い評価を得た。その上に、今回の緊急時に日本政府が、いち早くこれらの果敢な最先端的な「災害復興計画」をもった対応策を打ち出して実行に移せば、対外信用の回復にも繋がり、新規「危機管理産業」の輸出市場開発の一助にもなるはずである。全世界が驚くほどの「立ち直る日本」の姿と「災害に学び、未来を築く」日本の知恵と組織力を展開すれば、人類史上稀に見る「成熟国家」として世界的な評価も得られるはずである。
 今日まで国際的な悪評を買ってきた、あの狭い国会議事堂の中で、夜叉等Politicianどもが繰り広げていた「国民疎外」の実りなき「井戸端会議」での意地の突っ張り合いを、即やめて、せめて「国家、国民」のために全霊を打ち込んで、この難局克服に邁進すれば、日本を見る世界の眼も少しは変わってくるはずである。以前、誰かさんがほざいた「一兵卒となって全身全霊をもって国家に尽くしたい・・・」との言葉を実行する最高の機会である。都内のマンション全部を売り払い、隠匿している政治資金全額を「震災復興」のために吐き出してこそ、国民からの信頼回復の一助になり、誠心誠意国家に尽くす事だ、と思うのだが・・・、果たしてこの御仁にそれだけの腹があるかどうか、正念場になりそうだ。
 奇遇ながら小筆は、3月9日早朝、08時36分、白石蔵王駅発の「やまび210号」に乗車、10時44分に東京駅に到着した時、電光板ニュースで岩手県で9時45分に大きな地震があった事を知った。翌々日の朝、大阪で三陸沖の大津波のニュースを見て、この大災害の実相を知った。以前も東京の地下鉄サリン事件を知ったのは大阪出張の時であり、関西淡路大地震の1週間後に現地に入り、ニューヨークの「9.11Terro Attack事件」の2週間後に現地に出張している。何か、自分にまつわる運命の機微と神助を感じざるを得ない。

2011年2月26日土曜日

天を仰いで嘆息す・・・、

天災続きであったオーストラリアがやっと落ち着いたと思ったら、今度はお隣のニュージランドで大地震、なんとも神様もご多忙な事である。さて、秋めいて来たシドニー、訪日を控えて何かと多忙だが、それよりも何よりも日本の政局の騒がしさが気になって仕方が無い。この国家浮沈に関わる重大時期に、衆参両院合わせて722人もいる議員たちが、政局そっちのけで派閥闘争に明け暮れ、無益な意地の張り合いをしているのだから、国民はたまった物ではないと同情している。
 日本の「重大事」とは、一に「財政赤字」、二に「安全保障」、三に「低迷景気」、四に「国家目標の亡失」、五に「教育再生」、そして最大問題として「政治不信」が挙げられる。どのひとつを取り上げても、日本国の近未来に関係する重大問題で、与野党一致団結して、挙国体制で取り組まないと解決不可能な重要問題ばかりである。それなのに、彼らにはその認識さえなく、不毛でピント外れの質疑応答ばかりを繰り返しているのが現状。企業経営に、日々生命を削っている経営者たちから「税金泥棒」と云われて当然だと思う。
 与党、民主党の内紛と野党の不甲斐無さ、それに数ある野次馬政党の無能さ加減に、日本国民のみならず国際社会までもが、あきれ返っている実情を認識すべきである。賢明なる日本国民諸氏よ、この世界に恥ずべき状態を招いたのは、他ならぬあなた達自身が「無責任な投票で彼らを選んだ結果である」と自覚すると同時に大いに反省してもらいたい。
 今回は、まず第一に2009年に民主党が掲げた「マニフェスト」(政権公約)からお浚いをしたい。公約とは、国民から「政権」を与えられたら「必ず実行します」という神聖なる「契約条項」である。民事契約なら、不履行の場合は当然「解約」と「賠償」の対象になり、契約当事者から外されるのが常識である。
 この常識を念頭に、次の9項目にわたる「民主党マニフェスト」と「細則」を見てみたい。(1)子供手当てと出産支援、 (2)公立高校実質無償化、(3)年金制度の改革、(4)医療介護の再生、(5)農業の戸別補償、(6)ガソリンの暫定税率の廃止、(7)高速道路の無料化、(8)雇用対策、(9)後期高齢者医療制度の廃止、大学奨学金の拡充、最低賃金引き上げ、中小企業支援、等々で、それに加えて細則として謳ったのが、税金の無駄遣い、天下りの根絶、議員定数80人削減、企業団体献金の禁止、アジア諸国との連携、等があった。 「鳩山民主党」は、この公約を自らの顔写真と共に、誇らかに掲げて衆議院選挙に臨み、自公政権を倒して政権の座を入手した。以来、すでに一年半、さぁ、どの項目が達成されたか、○×で答えてほしい。答えは明確、見事に[Non](ナン、皆無)である。国民の大きな期待は完全に裏切られたのである。
 実現不可能な公約を誇張して掲げた責任、財政的な裏づけが無い杜撰な政策目標、大局と世界情勢を見誤った外交、等々を掲げた事も無責任な話しだが、もっとひどいのは「公約」で約束したガソリン暫定税率廃止を、信じられない事だが、政権発足直後に自党の幹事長からのねじ込みで、いとも簡単に放棄したことである。子供手当ての減額も、高速道路の無料化もまやかしでお茶を濁している、あれだけ意気込んでいたダム建設廃止も、今では誰も口にしない。これらの公約不祥事は、すべて財源難が原因で、その後も次々と続いている。
 この公約不履行をそっちのけで、自党の一部が倒閣活動に入っている政権与党。自分たちで作った年度予算不足を補うために借金だけでは足りず、「消費税」の増率さえも計画しているのが実情だ。
 日本国憲法、246条(刑法) に「人を欺もう(あみがしら+亡)して財物を編取したる者は10年以下の懲役に処す」とある。要するに出来もしない公約を掲げた政党から出馬して国会議員になり、歳費を貰い、政党助成金を受けている議員と、その公約で「政権」を取った政党が「公約不履行」した場合、「自己の利益のために他人を騙した」ことになり、刑法でいう「詐欺罪」に該当する。まして公約を信じて投票をした選挙民の承諾なしに「公約」を変更するなんて、契約違反のみならず完璧な「詐欺行為」、重大な犯罪行為といえよう。
 現在の日本では、こんな「無法」が常識として罷り通っている。国際社会で信用が失われ、日本国債の格付けが下がるのも当然である。
 一体全体、民主党政権は何をしているのか?  Yes, 総理が代わり、幹事長を代え、内閣改造をした。しかし、代わった前総理は引退宣言を取り消す事も無く、沖縄基地問題で不穏当な発言を繰り返して不信を買い、親から貰った政治資金の説明約束を反故にし、今では後継内閣倒閣に暗躍しているらしい。元幹事長は大議員団を誇らしげに引き連れて北京詣でをしたのはよいが、その足でオバマ大統領参りをする積りが拒絶された。韓国では日本の皇統に関する不穏当な発言をして国際的な顰蹙を買い、公言した国会での資金疑惑説明も頬かむりで、強制起訴された上に、党紀違反で党員資格停止処分を受けたが、これにに不服を唱えている。ご両人共に、未だに勝手な発言を繰り返していて、要職から「自分たちが失格」した、という自覚がまるでない。
 こんないい加減な政治家を誰が信用するのか? それが摩訶不思議な事に居たのだ、16+1人、いや潜在的にもっといるばずだが、彼らに追従しようとしている議員グループだ。国家再建に無関心な国会議員、国民の付託に答えられない両院議会、政策討議が出来ない立法府、大義を亡失して保身に走る議員たち、国民はそんな彼ら一人ひとりに年間一億円近い血税を払っているのだ。政府支持率の急落は当然である。
 自民党総裁は、民主党政権を倒閣に追い込み「総選挙」で政権奪回を画策している。しかし、現在の彼らの陣容と才覚で、この「国難」を乗り切れるのか、それよりもどんな「国家百年の大計」を描いているか、大いに疑問である。
 日本の不況は、いわゆる「贅沢社会」がもたらしている「消費減退」が主因である。国民のすべてが「欲しいものが無い」のである。彼らの「買い替え消費」に頼るには、余りにもパイが小さすぎる。特に高齢者は「無駄金」は使わないものである。新規需要の喚起には、国民の欲しがる「新製品」を作り出さなければ購買意欲は湧かない。内需喚起が不可能なら、外需、それも世界に冠たる中小企業のハイテク製品の輸出振興に注目すべきである。大手企業は自前で何とか輸出も出来るが、町工場では手に負えない「輸出振興」と「貿易事務」を組織的に支援する組織を作るべきである。期待していた「国家戦略局」構想も消滅した今、経済再生のキーとして中小企業振興も視野にいれるべきではないか?
  昨日のニュースで、「菅内閣打倒」の動きが急ピッチで進行中、とあった。この策謀の中心人物が誰かは知らないが、今の与党にも野党にも、この難局克服を指導できる人材がいるとは思えないし、事実その経綸を述べる政治家も見当たらない。という事は、彼らのすべてが「野次馬」であり、「国家経営理念」を述べる事なしに、闇雲に内閣打倒を囃し立てているだけだ。うるさい野次馬は、蹴っ飛ばされ、売れない批評家は収入が減るが、騒ぎ立てるだけの国会議員でも、歳費だけは保証されている。何とも不合理な日本ではないか・・・、
 欧米諸国では、あらゆる政府支出を述べる時、必ず使われる言葉に、[This is Tax payers money](これは納税者の金である)がある。このStatesmanの謙虚な精神が財政支出を真剣に考える根拠になり、血税の無駄遣いを制する根源になっている。しかし、日本ではどうか?  歳入が大幅に減り、歳出を削れなければ、安易に国債を発行して取り作らう、それでも足りないから増税をする、こんな事しか出来ない議員たちに、とんでもない額の歳費と血税である政党助成金などを払う価値があるのか?
 こんな思いを胸に秘めながらの訪日は、誠に辛いことではあるが、春の兆しに萌える若葉の季節、運よくば、初桜に巡り会えるかと期待しつつ旅立ちの準備をしている。そう、もうひとつ、「初鰹の刺身で冷酒一杯・・・」、という事もあった。
緊急連絡は、090-3008-7549. 4日から20日まで、

2011年2月12日土曜日

地球に一大異変が・・・

どう見ても地球全体が異状を来たしているとしか思えない「気象異変」が続いている。こんな異常事態が続いていては、果たして今8ヵ月を迎えたばかりの初孫レネーが成人するまで、この地球がもつのかどうか、心配でしょうがなくなってきた。杞憂であって欲しいと願いながらこのトピックスを書く。
 まずオーストラリアの現状である。小筆がこの大陸に来着したのが32年と4ヶ月前、ちょうどオーストラリア全体が旱魃の最中で、農産物や牧草が枯れて、飼料のなくなった農家は羊や食肉牛を殺処分していた最中であった。その後、10年まえ前後から微量の降雨が見られるようになったが、基本的には旱魃状態が続いて、主要河川の減水が続き、全国規模でブッシュファイヤー(山火事)が頻発した。
 しかし、3年前から旱魃地帯に異常な豪雨が降り始めて洪水騒ぎに転じた。一昨年には、オーストラリア最大の河川、マレー・ダーリン河が度々氾濫して各地流域に洪水を起こし始めた。昨年12月初旬に降り始めたクィーンズランド州(QLD)の雨は、広大な旱魃地帯を洪水で覆うまで降り続いた。その面積は欧州全域に等しい範囲だそうだ。それに引き続いたクリスマス時期の豪雨は、内陸部の地方都市を鉄砲水で襲い、70名近い死者を出した。ある死体などは彼の村落から80kmも離れた下流で発見された。小田原から東京まで流された計算になる。
 すべてのインフラは止まり、停電は一瞬にして文明生活を野生に戻した。皮肉にも淡水の海の中で「飲み水」に窮する生活が始まった。被害者のほとんどが外界との連絡を携帯電話に頼っていた。しかし、停電は「充電」という機能を奪ったために、文明社会との連絡手段が断たれた。流水に流されてワニや毒蛇、無数の害虫が、人間が避難している高台や屋根に流れ着いた。農地は一面に水没して家畜たちは飢え始めた。オーストラリアの農産地帯、特に砂糖キビ畑は壊滅状態になり、露天掘りをしている炭鉱のほとんどが水没した。世界の70%に近い燃料炭を賄う産地である。日本のみならず世界中の電気代の高騰は間違いない。その上、クリスマスには超大型のCyclone「ターシャ」が襲い、2月3日、4日には超超大型Cyclone「ヤシー」が、瞬間風速165kmの猛スピードで同地方を駆け抜けた。 QLDの首府、ブリスベンの側を流れる「ブリスベン川」も洪水に襲われて、ビジネス街の中心部が完全に水没した。5.6mの増水で川岸にあった有名なレストランがそのまま川流に飲み込まれた。これも史上始めたのことだそうだ。
 この期間、Ⅰ千km南方に位置するシドニーは、連日36度を越える湿度の高い猛暑に襲われ、その酷暑は2週間も続いた。これも観測史上初めてのことだそうた。シドニー西方320kmにあるカウラを流れるラクラン川は、60年余りも川底を晒していたが、今回の豪雨で12m上にある橋桁を流水が洗ったそうである。
 メルボルンも例外ではなかった。一昨年前までは、毎年山火事に恐れおののいていた乾燥地帯が洪水に襲われ、住民はなすすべも無く屋根に上り救助を待った。西オーストラリアでは、異常な大気乾燥が続き、数限りない山火事で多くの住宅が塵灰と化した。
 オーストラリアの主要農産地を襲った洪水は、シドニーにも食料品の高騰で影響を与えた。まず、1kg 、$1.40前後であったバナナが$6近くに暴騰、果物、野菜、食肉の軒並みに4-5倍に高騰した。食パンの値上がりも予定され、ジュース、牛乳等の飲み物もいずれ値上がりするとの予測で、市民生活への影響は計り知れないものがある。

 世界の異常気象の兆候は、20年以上前から顕著になっていた。まず最初に、スイス・アルプスの氷河が後退し始めた。1991年8月、当時付き合っていたスイス人女性ディザイナーが休暇で故郷に帰った時、電話で自分が住んでいた時期には村のすぐ側まであった氷河が消えてなくなったので驚いた、と云ってきた。ちょうどスイスのエッツ氷河の融解で5,600年前の「アイスマン」が発見された年である。翌年1月、出張でドイツのフランクフルトに行った時、アルプスの異常高温で雪が溶けマイン川が氾濫寸前になっていて恐しい思いをしたことがあった。その後も欧州の夏冬を問わない異常気象は続き、今日に至っている、
 以後、アルプスのみならず、ヒマラヤの氷河湖の融解による崩壊が心配され、バングラディッシュとパキスタンは巨大な鉄砲水の来襲に恐れおののいている。シベリアの永久凍土が溶けてマンモスの死体が現れ、北極海の氷が溶け出して15世紀の大航海時代以来捜し求めていた「北極海航路」が利用可能になった、とのニュースが続く。南太平洋の島嶼群の水位が年々上昇して、今では満潮時に生活圏まで海水に浸かるようになったそうだ。南極では雪棚が溶けたために地表が露出して苔が生え始め、氷棚から流れ出した四国くらいの大きさの氷山が、幾つもニュージランドの南端に接近したのも最近の話である。中南米での異常降雨と鉄砲水、地滑りによる大被害も報告され、今冬の北米の異常寒波は史上に例を見ないものらしい。中国南部の異常降雨と洪水の頻発はすでに常態化しており、日本の夏の異常高温もさることながら、今年の大寒波と異常降雪も、世界各地で頻発する地震と津波、地球規模で活発化している火山活動もただ事ではない。
 地球創造以来36億年、無限の星を有するこの大宇宙で唯一の緑の星「地球」、この奇跡の地球にたった5万年前に誕生した人類は、「火」を使うことで文明を育てながら、無数の動植物と共存してきた。そして260年前、人間は蒸気機関を発明して「化石燃料」の大量消費時代に入った。以来、地表の異変が進行しながら今日に至っている。もしかすると、この化石燃料イクオール「CO2」は、人類第二の「禁断のリンゴ」であったのかも知れない。
 エルニョーニョ、ラニーニャ現象、と聞きなれない言葉が新聞を賑わしているが、要するに地球上の異常気象の学者用語で、地球規模の気象変化に変わりは無い。誰が何と云おうと、地球全体の異常化は進行している。その行き着く所は不明であるが、年毎に住み辛い環境になりつつあることだけは確かである。米中両公害大国には関心が無い「CO2削減問題」も、鳩山元総理が国連で25%自主削減の大法螺を吹いたが、世界の指導者も日本の後継総理さえも、まるで興味を示さないで「空手形」に終わった。
 しかし、近来の異常気象の進行は現実であり、実際に多くの人間と動植物に災害を与え続けている。この現象を人類は「神の警告」として、謙虚に、そして真摯にに受け止め、叡智を絞って対策を講じる必要がある。この美しくて掛け替えの無い地球を、子孫のみならず、宇宙の奇跡として、永遠に存続させる努力をすべきである、と思うのだが・・・。
 今回、オーストラリアの全国規模的な大災害を見ていて、オーストラリア人が幸せであると思ったのは、ジラード首相も野党の党首も、QLDの州首相も、災害発生の翌日には連れ添って現地に入り、ヘリコプターで被害状況を実見し、次々と被災者と会話を交わしながら、矢継ぎ早に救済措置指令を出していたことである。真の「ステーツマン」の姿を見て感動したものである。と同時に、「果たして日本では・・・」と無い物ねだりをしてみたが、「所詮、無理な願いだ・・・」と諦めて自棄酒代わりのワインを飲み始めた。

2011年1月22日土曜日

出でよ、英傑!!

 平成23年の元旦を新居で迎えた。シドニーの中心部から電車で30分、閑静な郊外といえる。引越し荷物も片付き、やっと一息着いたら、当然のごとく「憂国の情」が戻ってきた。日本の「財政赤字」である。

 「借金をして贅沢をする」、「他人の金を国民にばら撒く」、「収入を超えた出費を重ねる」、歴代の日本政府は子供でも判るこんな馬鹿げた政策を長年繰り返してきた。
期待されて政権交代を実現した民主党もこの政策を継承して、今では政府と地方自治体の借金総額は一千百四十一兆円を超えているそうだ。それに加えて、集計もされていない行政法人個々の膨大な借金があり、国民一人当たりに換算すると、おそらく一千万円近い金が、当人の了解なしに累積されてしまった事になる。国民個々人では絶対に返済不可能なこの「日本政府の借金」を憂うこと頻りである。

 日本の「財政赤字」が破砕限界に達した場合、まず第一に想定されるのが、日本の対外信用の失墜に伴う「円価、株価の大暴落」であろう。物価高騰による国内経済の大混乱は当然の事ながら、海外からの投資も当然途絶え、資本引揚げも必ず起こる。円安による輸入価格の高騰も、国民生活に重大な被害を与える。100兆円あると云われている「外貨準備金」も、あっという間に支出されて底をつき、1,450兆円に近い個人資産もすべて国債に喰われて「死に金」となる可能性が高い。
全量を輸入原料に頼っているエネルギー料金(電気、重油、ガソリン等)、公共料金、食料品の高騰は当然のことながら、輸入原材料を使用している輸出産業はコスト高で生産を中止せざるを得ないであろうし、知的財産使用料も民間企業の海外活動も当然コスト高になり制限される。 毎年政府が赤字補填で依存している「国債発行」は行き詰まり、当然7%前後とされる外国資本所持の「日本国債」も「利払い不安」から手放されるだろう。必然的に国際金融市場からの資金調達も困難になり、今までの対外債務が膨張する。対外債務の返済延期を申し出た場合、必ず「在外資産凍結」という対抗手段で報復されるのが歴史の常だ。韓国のようにIMF基金に頼る方法もあるかもしれないが、IMFの資金規模から推測して、日本経済の救済は困難であろう。

円価を例にとると、明治4年、為替相場の対米円価は1ドル1円で始まった。昭和16年、太平洋戦争の開始直前まで16円であった。しかし、敗戦後のブレトン・ウッズ協定で360円の固定相場に移行、昭和60年のブラザ合意以降240円であったものが120円になり、現在は90円代で推移している。円高は輸出には不利だが、輸入のメリットは計り知れないほど高い。
小筆が就職したのは昭和37年、当時はまだ360円の固定相場であったが、ドル需要が強く、闇レートでは500円前後で取引されていた。学生時代、中元歳暮期にデパートでバイトをしていたが、日給は270円。同年代で知合いの米兵が新橋の「靴磨き」に1ドルのチップを渡したのでびっくりした事があった。就職前に決まっていた初任給が、税込み月額9,800円($27)前後であったからだ。若くして「円安の屈辱」を痛感した経験を持っている。

日中戦争と太平洋戦争、あれだけの大戦争を戦った結果、敗戦時には国内の産業施設はすべて焼失してしまい、財政赤字は一般会計の9倍、奇しくも現在の財政赤字と同率であった。経済は行き詰まり、円価は暴落して16円から360円になった。必要物資を輸入したくても「外貨」が無かった。国民生活は困窮の極限にあり、すべて米国からの援助物資と金融支援に頼った。円価の凋落は日本経済の破滅を意味している。
それを救ったのは皮肉にも金日成で、朝鮮戦争による「戦争特需」で日本経済は再生できた。
当時、日本の耐乏生活は、現在の日常生活からは想像も出来ないくらい貧しかった。満足な食糧もなく、衣類なぞはすべて「古着」で、下駄や草履を履いて通勤通学をしたものであった。しかし、国民はそれに耐えて懸命に働き、戦後復興に邁進した結果、今日の「世界一豊かな国家」を創造した。
しかし現在の政治と人心の荒廃は、この国家存続に関わる重大問題「財政赤字」に鈍感であるだけでなく、国全体が「目先の幸せ」に眼がくらみ、毎年借金の累積を重ねて行く政府に誰も文句を云わない。この日本政府と国民の「投げ遣り的な神経」をどう理解したら良いのだろう。

国家予算の半分以上を借金に頼り、期待された「埋蔵金」も限界にきている。支出抑制も無駄遣いの排除にも関心が払われず、野放図な支出が続いて「財政赤字額」は鰻上りに増えているが、誰も是正しようとしない。今年度の税収予測はたったの38兆円なのに、国債発行44.3兆円を計上して、一般会計予算、92.5兆円を執行しようとしている。これで国債発行残高は、GDPの1.8倍になるらしい。日本の借金総額は、平均税収の24年分近くになる。「財政赤字」が破砕限界に達していることは、素人目にも明らかである。これが健全な「国家運営」と云えるだろうか?

菅内閣は「増税」を検討しているらしいが、国民に財政赤字の結果責任を押し付けた上に、増税分まで負担させようとしている。いくら増税をしても「支出抑制」をしない限り「財政赤字」の根本は解決されない。
政府が「増税」を打ち出す前にやるべき事は、支出抑制である。最初に、行政組織の徹底的な見直しをして「小さな政府」を作ることである。「小さな政府」には、当然国会議員、地方議会議員定数の「大幅削減」と歳費、議員経費の低減があり、「道州制」を導入して国、地方の官僚数を削減すると共に、行政法人制度を徹底的に見直して特別会計の大削減に踏み切ることだ。政党助成金なんて代物は、第二の小沢一郎を育てるだけだから即中止する。何もしない「野次馬政党」に血税を使うなんてとんでもない話だ。

財政赤字が「安全圏」に戻るまでは、特別会計や、公共事業、文教振興、農業保障等を含むあらゆる予算、補助金、支援金制度を中断し、ODAを含む一切の海外支援も停止する。そして、国民にも協力を求めて、子供手当てを含む社会福祉関連の支給額も最低限に押さえることだ。敗戦直後の社会状況を想い起こせば、国民は少々の耐乏生活には耐えられるはずである。何故なら、日本の財政が破綻したら、すべてがなくなるのだから、改善するまでの間、国民にも外国にも我慢してもらうのは当然だ。日本国が崩壊したら、すべてが無くなるのだから我慢するしかない。

現在の日本は、国家回天の決意で大改革を実施して支出削減を図り、現況の「財政赤字」から脱却しないと未曾有の大混乱が間違いなく起こる。この瞬間にも国家危機は進行しており、「時間切れ到来」もカウントダウンの段階に入っている。現状を放置すれば、早晩日本は財政破綻を引き起こし、五等国以下に位置づけされて、回復不可能な国家になり下がる。すでに贅沢を経験している国民は、敗戦直後の日本人以上の「茨の道」を歩まざるを得なくなる事だけは確かである。

それを防ぐ唯一の方法は、英傑の選出で「救国内閣」を組織して、彼らの改革手腕に期待するしかない。「平成維新」の実行である。
しかし誠に残念ながら、現在の日本政界にはチャラチャラして小細工にだけ長けた輩は腐るほどいるが、真の宰相の器と資質を兼備する人物は見当たらない。この難局に挑むには、腹が据わって蛮勇があり、尚且つ広範な世界観を備えた有能な「ステーツマン」、すなわち「稀代の英傑」が必要だ。
今年も「英傑出現」を待望する日々は続くだろうが、果たして神は祖国に神風を呼び込んで下さるだろうか?

小筆の新住所は、1/3 Reserve Street, West Ryde, NSW 2114, Australia.
Tel/Fax: +61-2-9874-2778. Blog: http://goushutaro.blogspot.com/

2010年12月5日日曜日

若者が消えた国

近年、訪日する度に「何かが違っている・・・」と感じることが多々ある。勿論、バスや電車の中に高齢者が溢れている風景もそのひとつかも知れないが、一番大きな違いは、どうも「若者の数が圧倒的に少ない」ことから来ているらしい。勿論、青年男女、大学生らしい姿も見えるのだが「精神的に溌剌とした若者」が消えてしまったのだ。
 この現実は、日本の将来に関わる重大な問題であるからトピックにした。

現代に生きる若者たちからは、小筆が学生時代、神田周辺に満ち溢れていた若者たちの「燃え上がるような覇気」が全く感じられないのである。当時は、真面目な学生も、バンカラな奴等も頭が空っぽの体育会系の連中も、等しく漂わせていたのが、眼をギラギラさせた、野獣を思わせるような若者特有の「覇気」であり「熱情」であった。
この現象は、学生のみならず、政界にも、会社人間にも、建設現場で働くアンちゃんたちにも、繁華街で働く姐ちゃんたちも、すべての若者たちが発していた殺気のようなものであった。彼らのすべてが、何か気に入らない事でもあれば、所構わず「取っ組み合いの喧嘩」も辞さないという、日本人若者たち独特の気概を持っていたからであろう。だから、酔っ払いの喧嘩などは日常茶飯事で、誰も驚かなかった。

 国民の40%が65才以上という現代日本。それでも「若者たち」は30%以上いるはずなのに、あの懐かしい「覇気満々」、「野生むき出し」の若者の世界が、全く消え去っているのだ。折に触れて、大学生や高校生、若い社会人と話す機会があるが、彼らは一様にこぢんまりしとした紳士淑女であり、多分インテリで優等生なのであろう。しかし、彼らの世界からは野性味が消えただけではなくて、「人生への夢」まで聞こえてこない上に、「大目標」に向ってひたすらに驀進していく覇気が感じられないのだ。 多分、現状に満足しきっていて、それ以上の世界を望んでいないのではないか・・・、と心配である。要するに、ほとんどの若者が「無気力」なのである。
 
戦後も戦前も、いや徳川末期の頃から、日本には自分の信念に従って縦横に働き、死力を尽くした若者が沢山いた。そして、野獣のような彼らの活気が現代の日本を育ててきた。徳川末期、歴史に登場した坂本竜馬や吉田松陰、新撰組や勤皇の志士たちも、すべての若者たちが自分の信念に従って祖国のために生命を賭して戦い、新しい日本を切り開いてきた。明治維新以降の若者たちも「国家のために」、日清、日露戦争で戦い、祖国を守るために戦場で生命を捨てた。太平洋戦争でも、多くの若い兵士たちが、欧米列強の搾取に喘いでいた「アジア植民地の解放」に燃えて戦い、そして死んでいった。日本の敗戦後も、インドネシア独立のために二千名以上の日本人将兵が残留して、インドネシア独立軍を助けてオランダ軍と戦い、その半分以上の日本人若者たちが生命を捧げた。日中戦争と太平洋戦争中、海外で戦った日本人将兵は620万人におよび、散華した将兵の数は240万人を超えている。 

そして敗戦後の日本人若者たちは、国内の「戦後復興」のために瓦礫の中から立ち上がり命がけで働いた。町工場の若者たちは、進駐軍が捨てた空き缶を叩き伸ばして玩具を作り輸出さえした。若き商社マンたちは、外貨を稼ぐために安月給に喘ぎながら、命がけで世界中を駆け巡り、市場開拓に命を捧げて今日の日本経済の基礎を作った。
 日本経済の基盤が整うと、若者たちは国家権力との闘争にのめり込んで行った。「警職法反対」、「安保反対」、「大学紛争」、「全学連」、「革マル」、「赤ヘル」、「安田講堂事件」、等々、何が理想で、何が不満であったのか、さっぱり解らないが、彼らは「自分たちの主張」のために「官権との闘争」に挑み、エネルギーを発散させた。国会議員とてしかり、彼らの幾人かは、今でこそ政界の長老格として乙に澄ましているが、若い頃には「青嵐会」などと称して徒党を組み、国会内で暴れ回ったのである。下町工場の若者たちは、日中は黙々と働き、夜の訪れと共に「暴走族」に変身、夜中の道路を我が物顔で疾走して憂さを晴らした。
しかし彼らのすべてが、一様に自分の本分を守り、学生は勉強を、工場の兄ちゃんたちは技術の修得に、社会人たちは各々の会社で懸命に働いていた。その上での「憂さ晴らし」であったが、彼らの「エネルギー」が日本の国力と経済の底力になった。当時は、社会全体が手を焼く「若者たち」が山ほどいたのである。
この若者たちのエネルギーが沈静化すると、次世代の若者たちは挙って海外放浪に出かけて行った。これもまた、日本人若者のエネルギーの噴出現象であったのだろう。
 
 若者の行動力は、国家将来のバロメーターである。アメリカの若者たちは、人種差別政策を変え、ベトナム戦争を中止させ、ドイツの若者は「ベルリンの壁」を打ち砕き、イスラエルの若者たちは、アラブからの祖国防衛に生命を捧げ、エンテべ国際空港から奇蹟の人質奪回を敢行した。ロシアの若者は「共産主義連邦」を崩壊に導き、韓国の学生は「独裁主義」から民主国家を導き出し、中国の若者たちは「共産党独裁政府」最大の脅威になっている。それに反して、若者の姿が全く見えない北朝鮮は、すでに「死に体」であり、金王朝の崩壊も時間の問題である。
しかし現在の日本には、このように元気な若者はすでにいなくなり、何か悟り澄ましたような、まるで羊のように大人しい「若者の形骸」のみが彷徨しているような社会になってしまった。一体全体、日本の若者たちは、何処へ消えてしまったのか?

 現在、日本を取り巻く政治環境は危機的な状況にある。国内では、打ち続く民主党政権の体たらくも、野党の不甲斐なさも、沖縄の米軍基地の問題も、小沢一郎の資金疑惑も、官僚の無駄遣いも、中井議員の皇室不敬問題もあり、国際的には、北朝鮮の拉致と核開発、続発する南鮮への暴挙も、中国の尖閣諸島への野心も、ロシアの北方領土不法占拠も、韓国が占拠する竹島問題も、不逞の輩が繰り返す捕鯨妨害もあり、若者たちの怒りの対象になって然るべき社会問題が山積している。
しかるに、これらの重大問題に怒りをぶちまける若者の姿が見えない。若者たちが社会の不条理に義憤を感じなくなったら、その国の未来は消滅したのも同然である。
何故、現代の若者たちは、これらの問題に対して「危機意識」をもって抗議し、デモらないのか? 若者たちの政治無関心と抗議行動の沈滞は、民族衰亡の兆候であり、怒りを忘れた若者たちは国家の滅亡を招く。
 
その原因が、昨今の政治に由来するとしたら、これは日本民族の将来に関わる重大問題である。
小泉内閣以降、歴代内閣の無能ぶりは国民の夢を奪い、集票と政治資金集めに汲々としている国会議員たちの浅ましい姿、公約を平気で覆す政党、国際社会で恥も外聞もなく平気で法螺を吹き回った首相たちが続き、その尻拭いさえしない後任首相たちの無責任さ、沈船から逃げ出したネズミたちが、次々と作った新政党が、何ら画期的な新指針も政策も提示できず、全くの無策を露呈したまま、議員歳費のみを貪っている現状、これらに加えて、不法進入漁船問題で大局を見失った小細工で取り繕うとした政府、どのひとつを取り上げても、日本国民の信頼を失ったのみならず、国際社会での信用まで失墜させてしまった。これらのすべてが、若者たちの政治への無関心を招いた主因になっている。国政選挙があっても「投票すべき政党も立候補者もいない・・・」、これほどの悲劇があるだろうか? 現在の日本は、この重大な社会問題に直面しているのに、事態に頬被りしたまま、無策ぶりを繰り返す現政府を憂いている。
この醜態ぶりでは、若者に「夢を抱け」と云うのが、どだい無理なのは充分承知しているが、肝心の政府に危機意識が無く、重大事に鈍感であり、対策さえ打ち出せない現実を何と理解したら良いのであろうか?

時、すでに師走、今年も日本からの明るいニュースを待ち望んだ11ケ月間であったが、国民栄誉賞ものの「はやぶさ帰還」の快挙以外、不幸にも暗いニュースばかりで、特に民主党内閣の無策ぶりには、大いに落胆し続けであった。だからと云って、他の政党が頼りになる訳ではなく、暗澹たる憂鬱さに困惑している。

若者たちよ、元気を出して立ち上がれ、さもなければ「日本の未来は闇だ」。
「俺が行かずば誰が行く・・・」、戦国武将、片倉小十郎、白石城主の言葉を添える。

2010年11月1日月曜日

ハバロスク墓参

 10月18日、三泊四日のハバロスク訪問を終えて成田空港に戻ってきた。すでに冬景色で荒涼としたシベリア上空を飛び、日本海を越えて上空から緑豊かな牡鹿半島が望見できた時はほっとした気分になった。「父の終焉の地」訪問の事のみならず、街全体の後進性が著しく、貧しい住民の姿、特に治安が極度に悪いと云われている極東ロシアでの四日間の生活に緊張していたからであろう。飛行時間、たったの2時間半なのに、なんと遠い国であろうか・・・。改めてシドニー生活に感謝した次第でもあった。
 
 今回の訪ロは、10年前にモスクワまで行って捜し求めたが不明であった「父の埋葬場所」が「ほぼ確定」出来た、という元ソ連邦平和基金、ハバロスク支部書記長、ガリーナ・ポタポバ女史からの連絡が契機であった。

 父、戸倉勝人は、享年46才で昭和24年11月3日、ハバロスクで死亡した事は、モスクワの「歴史文書保存センター」で見つけた父の個人資料とそれに添付されていた検屍報告書で確認出来ていたが「埋葬場所」の記載がなく、その追跡調査をポタポバ女史に依頼していたのだ。それが10年後の今年初頭、女史からメールで「消去法でいくと、ハバロスク第二市民墓地、日本人地区しか無い・・・」とのメールを受けたので、父の「61年忌」にも当たる今秋、墓参を決めたのであった。

 父は、日露戦争の翌年、姫路酒井藩馬廻り番頭(260石、10人扶持)、藩校「好古堂」肝煎り役(事務局長職)、兼漢文教授職を6百余年継承する戸倉家の長男で、明治維新で士族を解かれた祖父勝淑の長男として大連で生まれた。以後、満鉄勤務の勝淑の下で小学校三年生の時まで大連で育ち、青島に移転して青島日本人小学校、青島中学校の二期生として卒業、上海にあった東亜同文書院を卒業後、小倉第12師団歩兵14連隊で「一年志願制度」により「将校教育」を受けて予備少尉になった後、上海に戻り満鉄に就職した。その後、大連本社の調査部に配属されて「満州建国」を研究する「大雄峰会」に所属、関東軍との連携で「自治指導部」を結成後、満州国建国を成しどけた時の基幹メンバーの一人であった。建国後は満州国政府交通部の要職に就き奉天、ハルピン、牡丹江、吉林、新京、海城、等々、高級官僚として各地を巡る中、姉と小筆、妹が生まれた。やがて父は、日、満、漢、朝鮮、蒙古民族等、5民族の調和を図り、王道楽土建設を目的とした官民一体の国民教化組織、「満州国協和会」の幹部となって吉林、承徳、終戦の年は、首都新京(現在の長春)の協和会本部調査第一部長の要職にあった。

昭和20年6月、関東軍の「根こそぎ動員」で軍籍に戻り、鮮満国境の街、延吉で終戦を迎えた。その後、ソ連軍の捕虜となり牡丹江に移され、11月末、極寒のシベリア鉄道を貨物列車に乗せられて、一ヶ月近い旅の末にモスクワ近くのタンボフ州ラーダに移送、6ヶ月後に中央アジア、カザン近くの「エラブカ将校捕虜収容所」に移送されて23年6月末まで収容された。その後、日本への帰還途中、ハバロスクで降車を命じられて16収容所14分所に抑留されて翌年11月3日に死亡した。
モスクワで入手した父の「検屍報告書」によると、死亡2時間前に1893特別病院に運び込まれ、「急性心臓欠陥で死亡」とされ、死体解剖の結果報告が添付されていたが、症状は素人眼にも判る完全な栄養失調による過労死であった。

 当時のシベリアは、ソ連に洗脳された日本人捕虜が組織する「民主委員会」が各収容所の実権を握り、戦前の高級官僚や高級将校の前歴を持ち、洗脳を拒んだ同胞捕虜たちを「極反動分子」として、毎夜の「吊るし上げ」、「反動ノルマ」という過重な「重労働」と過少な「反動食」を与えて嗜虐していた。洗脳、自己批判を拒絶した父もその中の一人にされ、それが原因で死亡した。
青島中学校時代、剣道部主将として日本へ遠征、京都武徳会中等学校剣道大会で全国制覇をなした剣道四段、大学時代も野球、陸上等スポーツで鍛え抜かれた壮年の父が、ハバロスク移送後たった1年3ヶ月間で過労死させられたのだから、想像を絶する過酷な扱いを受けたことは明白であり、小筆が調べた生還者の手記や母への挨拶状等にも、それらしい事情が記載されていた。

 終戦の翌年、我々家族が北朝鮮鎮南浦の疎開先から38度線を徒歩で越えて、母の里、山口県花岡に引揚げて来た時は、父の生死は不明であった。やがて父から「捕虜通信用」とロシア語と日本語で印刷された往復はがきが届き、父の生存が確認できた時の喜びは、未だに忘れられない快事であった。その後、父からの葉書は全部で11通届いたが、どの葉書にも居住地の記載は無かった。父からの葉書はしばらく途絶えていたが、昭和25年5月、下松市役所経由で父の「死亡公報」が届き、「陸軍少尉戸倉勝人氏は、昭和24年10月23日、ソ連、シベリア、ハバロスク14分所にて戦病死を確認」と記された「死亡公報」が届けられ、我々家族は悲嘆の底に叩き込まれた。
その後、母は女手一つで、幼かった姉と小筆、そして妹を育て上げてくれ、寡婦のまま81才で父の元に身罷った。

 母の死後、小筆は父の経歴とソ連抑留時の足取りを調べるために、母や親戚、父の友人たちからの話と自分自身の記憶を辿り、国会図書館の保管資料、一般出版物等を読み漁り、6年余りの追跡調査と裏付け資料で確認出来た結果を「朔北の影」と題して自費出版した。その中で、シベリアにおける日本人捕虜間で発生した醜い葛藤を知り、吹き荒れた「赤い嵐」に巻き込まれ、「極反動」とされた父たちの神々しくも惨めな生活と、「民主化運動」の美名のもとに利己的な醜態を繰り広げた浅薄な日本人捕虜の姿も垣間見ることで、やるせない想いに駆られたものであった。
 ソ連抑留中の父に関する事情は、20代後半までにはかなり理解していたつもりであったが、母の苦悩を思いやって意識的に父への言及は避けていた。しかし、実際に詳細を調べ始めてシベリア移送後の「民主委員会」とその手下のアクチブたちの「反動者」に対する理不尽で卑劣な取り扱いに憤りを感じ、「奴等に何とか復讐してやりたい・・・」と思い、古い新聞のコピーを調べた結果、彼らのほとんどが、昭和24年10月31日に舞鶴に引揚げていた。彼ら6百人余りは、「日本新聞」編集部員、各収容所で威を張った「民主委員」と「アクチブ」たちで、彼らの姓名と引揚げ先も調べた。

スターリンは、一方的に日ソ中立条約を破棄して参戦し、ポツダム宣言に違反して、満州、樺太、千島列島に居留していた日本軍人と民間人男性、60万人余りのすべてをソ連邦各地に拉致して強制労働に従事させ、五年余りの抑留期間中に6万人余りの日本人捕虜を死亡させる大惨事を起した元凶であった。
彼は、日本軍の降伏とともに、日本人捕虜を洗脳し、共産主義教宣のためにソ連政府国際部副部長イワン・コワレンコ赤軍中佐に日本語紙「日本新聞」を発行させた。この新聞は、教育程度が低くて世間知らずの若い捕虜たちの心を捉え、彼らの洗脳に役立った。それを利用したのが、戦前「治安維持法」で検挙されたり、特高に「ぱくられた」経験を持つ左翼思想嫌疑のインテリ兵士たちであった。彼らは、このレッテルをコワレンコに売り込み、日本新聞の編集部にもぐり込んで、同胞が苦しんでいる最中に飢餓と強制労働から逃避した。彼らはソ連に媚びるために「共産主義礼賛」と「スターリン崇拝」の記事を書き続けた。その上、自分たちの忠誠心を見せるために「前歴者批判」と称して、同胞捕虜の前歴を暴き、非道のリンチを加えて多くの同胞を死に追いやり、抑留中の将兵死亡に少なからぬ責任を有している。

彼らの中には、「チタの帝王」として日本人捕虜に君臨した袴田陸奥夫がおり、日本新聞編集長でシベリア天皇と恐れられた浅原正基、日本人捕虜たちに「スターリンへの感謝状」への署名を強制した日本新聞宣伝部長の高山秀夫がおり、編集部員、宗像肇、吉良金之助、土井裕助、矢波久雄、小針延次郎たちと彼らに躍らされた多くの若いアクチブたちがいた。彼らのすべては、この「24年10月末帰還グループ」に前後して日本に生還しているが、あれほど彼らが煽った「日本の共産主義化」実現への努力もせず、安穏とした庶民生活に戻った。日本政府は、彼らのシベリアでの非道を問罪していないが、残された遺族の怒りは決して消えるものではない。「父の死亡日」記録相違の謎も、10月21日にハバロスクを出発した彼らグループの「見越し報告」であり、父を死節に追い込んだ下手人たちである、とみている。

 生前、母が「あの人たちは、生き残るために自分をソ連に売り渡したのでしょうが、お父様は、我が家に相承する清和源氏以来の武士道貫徹のために、師道に殉じられたのだから、誰も恨んではいけませんよ・・」と諭された事があった。
 小筆、齢70を超えた現在、シベリアの扇動者たちを恨む心も癒え、憎かった彼らが幸せな人生を過ごしてくれただろうか・・・、と思えるようになった事を喜んでいる。